熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・ハナミズキの紅葉が秋の気配

2016年10月26日 | わが庭の歳時記
   わが庭の門扉を通り抜けると、玄関口との間に植え込みがあって、大きなヤマボウシと白いアメリカハナミズキが植わっている。
   夏には涼しい木陰を作ってくれて、有難いのだが、今は、落ち葉が一面に地面に敷き詰めている。
   まだ、もみじなどの紅葉には早いのだが、この2本は、秋色に染まって散り始めているのである。
   今年は、中途半端な気温の所為か、いつもより、赤い色が出ずに、少しボケた感じの紅葉である。
   ヤマボウシの方が、葉が少し小ぶりで、先に散り始めて、殆ど葉が残っていない。
   
   
   
   

   柿の葉の紅葉を見たくて植えた錦繡が、色づいて殆ど葉は落ちてしまった。
   タキイの通販で買って3年前に植えたので、まだ、木が小さいのだが、一枚の葉に、秋のもみじの錦を凝縮したような、色彩美の素晴らしさは、正に、日本の美であり、秋の象徴であろう。
   
   
   ツワブキも、花を開き始めた。
   私の庭のツワブキは、すべて、千葉の庭から移植したので、斑入りである。
   大きな団扇の様な葉の間から、すっくと花茎を伸ばして、その先に数輪黄色い菊の様な花を咲かせるのだが、何故か、この花だけは、花弁が不揃いで、美的感覚に欠けているのが面白い。
   津和野を歩いた時に、路傍に沢山のツワブキが咲いていたのを思い出した。
   

   もう一つ、わが庭に咲いているのは、ばらで、春のような華やかさはないが、ひっそりと咲く風情が良い。
   秋のばらは、息の長いので、一輪挿しに良く似合う。
   
   
   
   
   秋と言えば、実の季節でもある。
   先日まで、木についていたフェイジョアの実は、全部落ちてしまった。
   キウイはたわわに実がなっていて、先日、100個くらい採って熟成させているのだが、まだまだ、たくさん木に残っている。
   熟成だが、採取した固い実を、何個か柱にぶつけて、ポリ袋に入れた実と一緒にして密封しておくと、1週間くらいで食べられるようになる。
   上手く熟成できれば、孫に幼稚園の放課後保育のクラスの子供のおやつ用に持って行かせようと思っている。
   ゆずと夏柑の実がたわわについている。
   木が、まだ小さいので、今年は、みかんもレモンも、実がつかなかった。
   
   
   
   
コメント
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