熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中村光夫著「ドナウ紀行」(2)

2016年10月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、ウィーンとブダペストについて、感想を書いたが、今回は、その他の紀行文について書いてみたい。

   ドナウと言えば、やはり、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」の印象が強すぎて、特別な思い入れを感じるのだが、私には、プラハを横切るスメタナの「モルダウ」のような詩情や、ライン川のようなロマンを感じさせてくれるような雰囲気はない。
   ウィーンの森の北方を流れるドナウ河も、そうである。
   随分昔、アムステルダムから、アウディでウィーンを訪れて、その帰途、ライン川沿いに、リンツに向かってドイツに抜けた。
   丁度、寅さん映画のウィーン編で、寅が牧師に出合って「御前様」とつぶやくシーンに出てくる青い教会の屋根が見えるドナウ川の畔で、一泊したのだが、このあたりのドナウ河は、何の変哲もない田舎の川である。

   しかし、ドイツの黒い森の奥深くに源流を発して、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ロシアなど17か国を貫流する国際河川で、その規模の壮大さは、驚異的でさえある。

   ブダペストを抜けると、一挙に寂しくなると言うことで、船は、ベオグラードとブカレストの郊外に停泊して、夫々、バスツアーで、市内を観光する。
   私は、行ったことがないので、イメージが湧かないのだが、両都市とも、小パリの雰囲気があったと言う。
   ベオグラードを過ぎると、急峻なカルパチア山脈を横切るので、それまで、平地ばかりの風景に飽きていた船客は、山々が重畳とした荒々しい姿で両岸に迫り、大きな渓流となり、景観を楽しんだと言うのだが、山脈を刻み切った自然の驚異に感嘆である。。

   興味深いのは、船の中での描写で、食事の時に相席になったベルリンのお婆ちゃんとの交流、客室での相部屋で苦労したこと、船内でのアトラクション、ベオグラードの郊外で、接舷した逆走する遊覧船からの食料などの積み込み時に、その船でロンドンへ向かう盗難に遭って着の身着のままの若い日本女性との遭遇、船長との面会等々の脱線話で、ユーゴスラビアの税関員の乗り込み臨検に緊張した話など、私などとは一寸違った旅への緊張ぶりも面白いと思った。

   ドナウの河口は、三角州となっていて、三つに分かれて黒海に流れ込んでいて、一番北側の支流のロシア領のイズマイールに停泊したので、本流のスリナ川の河口にある灯台を背景とした零の里程標識を写せなかったと残念がっているのが面白い。
   「鉄の門」、ドナウの河口、黒海などに臨んでの中村光夫の文明論のような記述に興味を感じた。

   イスタンブールについては、吉川逸治に、カハリエ・ジャミィを訪れよ言われて行ったこのモスクのことばかりを、感動して訪問記を綴っている。
   イスタンブールの北郊にあるコーラ修道院Christos tes Chorasとして知られている博物寺院で、内部を飾るパレオロゴス朝(1261‐1453)美術の代表作であるモザイクが素晴らしいと言う。
   最初は、キリスト教会であったのが、モスクに改造されたのだが、正に、ハギア・ソフィア大聖堂と同じで、これより、規模は小さいと言うのだが、このモザイクの価値が高い。
   私は、ハギア・ソフィアには、二度行っており、上階にも上って、浮き出たキリスト像をじっくりと見せてもらったのだが、塗りつぶされていたお陰で、良好に保存されたと言うことであろう。
   アジアでのイスラムの偶像破壊の痕跡は凄まじいが、トルコのイスラムは、比較的、宗教には寛容だったのであろう、イスラム化しても、キリスト教会が、改造されて維持されているケースが多い。
   コルドバのメスキータなどは、逆なケースで、モスクの中に教会があって、感動的な雰囲気を味わえるし、その融合が、非常に興味深い。
   グラナダのアルハンブラにも隣接して教会があるが、イスラムとキリスト教の接点であったスペインには、こんなケースが多く、文化の融合の一形式として、非常に興味深いと思う。

   この本では、ドナウの源流を求めて、源流へのドイツ旅や黒い森などに、相当、紙数を割いているが、私には、殆ど興味がなかった。
   結構、楽しんで読ませてもらったが、時代の流れや変遷等々、時代を感じるなど、副産物があって面白かった。
   
コメント
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