久しぶりに、能「安宅」を観た。
歌舞伎や文楽の「勧進帳」のオリジナル・バージョンである。
今回は、その前に、講談の「勧進帳」を聴くと言う粋な公演である。
プログラムは、次の通り。
◎古典の日記念1<安宅関の山伏問答>
講談 勧進帳 神田 松鯉
能 安宅 金剛流
延年滝流
問答之習
貝立貝付
金剛永謹(シテ)
廣田明幸(子方)
金剛龍謹,種田道一,豊嶋晃嗣,山田伊純,惣明貞助,豊嶋幸洋(ツレ)
福王茂十郎(ワキ)、山本則俊(間)
一噌幸弘(笛)、大倉源次郎(小鼓)、柿原崇志(大鼓)
4年前に、初めて「安宅」を観て、このブログで、”国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い”を書いた。
それまでに、歌舞伎や文楽で、何度も、「勧進帳」を観ていて、そのオリジナルの能の舞台がどうなのか、その違いと、歌舞伎や文楽へのアウフヘーベンを知りたかったので、能役者の見解や思い入れなどを参考にして、私なりに考えてみたのである。
勿論、能の演出も、流派によっても、あるいは、小書き次第でも、かなり、バリエーションがあるのだが、今回の金剛流の能の舞台は、小書き「問答之習」がついていたこともあって、問答と勧進帳読み上げとは、前後するものの、浄瑠璃の舞台と、良く似通っていた。
山伏問答の対し方は、ワキ/富樫某(福王茂十郎)が脇座で、シテ/武蔵坊弁慶(金剛永謹)が正中に金剛杖を肩にかけて、ともに床几にかけて対面して、修験道について語り合う。
勧進帳の読み上げについては、シテが正先の目付寄りに立って両手を伸ばして巻物を読み上げるのだが、途中、ワキが勧進帳を覗き込もうとすると、後に居たツレ/義経の郎党の一人(金剛龍謹)が中に割って入り、シテは、巻物を右側に下げて隠し、激しい睨み合いが続く。
小書き「延年滝流」では、シテが「鳴るは瀧の水」で流れを見ながら橋掛りへ行き、舞台に戻って勇壮な男舞になる。
男舞三段オロシで、シテは左手に扇、右手に数珠を持って、山伏延年の型を模して、常座で延年の型をすると言うことだが、残念ながら、私には良く分からなかった。
ラストシーンだが、「疾く疾く立てや」で、郎党が一斉に立ち上がり、後見座から出た子方の義経を先頭ににして、幕に走り入り、最後に、弁慶が笈を肩にかけて、後を追って幕に消える、一人、舞台で富樫が見送る。、このラストも、バリエーションがあるようである。
さて、問題の義経であることが見破られて以降の緊迫した舞台展開だが、非常に激しい緊張が続く。
止められた義経が、襞をついて杖を右肩にもたせて顔を伏せると、橋掛りまで退場していた郎党が刀の柄に手をかけて気負いたち、弁慶は、三の松から一の松に走り出て、殺気立つ一同を制して、舞台の義経の後ろに立って、何故通らぬかと声をかける。
富樫が許さないので、弁慶は、とっさの機転で義経を金剛杖でしたたかに打ち据えるも、なお疑うので、「強力を止めて、笈(荷物)に目をつけるのは、盗人と同じだ」と言って抗議すると、激高した十一人の郎党たちが、舞台に飛び出して来て、「打刀抜きかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔、鬼神も恐れつべうぞみえたる」と、富樫たちに激しく立ち向かう。
弁慶が杖を横にして必死に背で郎党たちを制するのだが、地団太踏んで突進する郎党たちの力に押されて前に進んで、一触触発、目と鼻の先まで来て、ついに、気勢に圧倒されて、富樫は一行の通行を許す。
この日は、何故か、郎党が六人であったが、それでも、狭い能楽堂の舞台であるから、大変な迫力で圧倒される。
私のブログを引用するが、
能は、シテ一人主義を通して主役は弁慶一人で、歌舞伎では主役の義経を、能では子方が演じており、豪快でパワフルな弁慶が、ワキ富樫何某と、男と男との死を賭した息詰まるような対決を演じることによって、一本大きな筋が通っている。
一方、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。
まさに、その息詰まるようなパワーの炸裂が、このシーンである。
この能「安宅」は、殆ど対話主体の劇場劇と言った趣で、他の能と違って、地謡や囃子の活躍するシーンが、後半に少しある程度で、非常に限られている。
それに、アクションが非常に明確なので、分かりよい感じがするのだが、それだけに、演じる方も、鑑賞する方も、本当は大変ではないかと思っている。
先に観たのは、喜多流で、シテが粟谷能夫、ワキが宝生閑で、凄い舞台であった。
今回は、シテが金剛流宗家の金剛永謹、ワキが福王流宗家の福王茂十郎で、重厚で風格と威厳のある両巨頭の火花の散るような緊迫した舞台の迫力は、また、格別であった。
ところで、これ程、感動的で素晴らしい舞台であり曲だと思うのだが、神田松鯉師の話では、講談では、殆ど舞台にかからず、今回は、8年ぶりの講談で、記憶を蘇らせるのが大変だと語っていた。
講談では、富樫が、既に、義経であることを知っていて、無残にも打擲されている義経を見て、「世が世なら・・・」と言って、正視出来ずに、扇で顔を伏せて、通行を許したと言う。
「勧進帳」は、一番古い講談の部類だと言うのだが、歌舞伎や文楽同様に、時代が下ると、理知的と言うか理念的というか直線的な能とは違って、同じ安宅関の山伏問答の世界も、人情味がどうしても出てくるのであろうと思ったりしている。
能楽堂の中庭、ツワブキが咲き、万両が少し色づき始めた。
冬の足音が、近づいてきている。


歌舞伎や文楽の「勧進帳」のオリジナル・バージョンである。
今回は、その前に、講談の「勧進帳」を聴くと言う粋な公演である。
プログラムは、次の通り。
◎古典の日記念1<安宅関の山伏問答>
講談 勧進帳 神田 松鯉
能 安宅 金剛流
延年滝流
問答之習
貝立貝付
金剛永謹(シテ)
廣田明幸(子方)
金剛龍謹,種田道一,豊嶋晃嗣,山田伊純,惣明貞助,豊嶋幸洋(ツレ)
福王茂十郎(ワキ)、山本則俊(間)
一噌幸弘(笛)、大倉源次郎(小鼓)、柿原崇志(大鼓)
4年前に、初めて「安宅」を観て、このブログで、”国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い”を書いた。
それまでに、歌舞伎や文楽で、何度も、「勧進帳」を観ていて、そのオリジナルの能の舞台がどうなのか、その違いと、歌舞伎や文楽へのアウフヘーベンを知りたかったので、能役者の見解や思い入れなどを参考にして、私なりに考えてみたのである。
勿論、能の演出も、流派によっても、あるいは、小書き次第でも、かなり、バリエーションがあるのだが、今回の金剛流の能の舞台は、小書き「問答之習」がついていたこともあって、問答と勧進帳読み上げとは、前後するものの、浄瑠璃の舞台と、良く似通っていた。
山伏問答の対し方は、ワキ/富樫某(福王茂十郎)が脇座で、シテ/武蔵坊弁慶(金剛永謹)が正中に金剛杖を肩にかけて、ともに床几にかけて対面して、修験道について語り合う。
勧進帳の読み上げについては、シテが正先の目付寄りに立って両手を伸ばして巻物を読み上げるのだが、途中、ワキが勧進帳を覗き込もうとすると、後に居たツレ/義経の郎党の一人(金剛龍謹)が中に割って入り、シテは、巻物を右側に下げて隠し、激しい睨み合いが続く。
小書き「延年滝流」では、シテが「鳴るは瀧の水」で流れを見ながら橋掛りへ行き、舞台に戻って勇壮な男舞になる。
男舞三段オロシで、シテは左手に扇、右手に数珠を持って、山伏延年の型を模して、常座で延年の型をすると言うことだが、残念ながら、私には良く分からなかった。
ラストシーンだが、「疾く疾く立てや」で、郎党が一斉に立ち上がり、後見座から出た子方の義経を先頭ににして、幕に走り入り、最後に、弁慶が笈を肩にかけて、後を追って幕に消える、一人、舞台で富樫が見送る。、このラストも、バリエーションがあるようである。
さて、問題の義経であることが見破られて以降の緊迫した舞台展開だが、非常に激しい緊張が続く。
止められた義経が、襞をついて杖を右肩にもたせて顔を伏せると、橋掛りまで退場していた郎党が刀の柄に手をかけて気負いたち、弁慶は、三の松から一の松に走り出て、殺気立つ一同を制して、舞台の義経の後ろに立って、何故通らぬかと声をかける。
富樫が許さないので、弁慶は、とっさの機転で義経を金剛杖でしたたかに打ち据えるも、なお疑うので、「強力を止めて、笈(荷物)に目をつけるのは、盗人と同じだ」と言って抗議すると、激高した十一人の郎党たちが、舞台に飛び出して来て、「打刀抜きかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔、鬼神も恐れつべうぞみえたる」と、富樫たちに激しく立ち向かう。
弁慶が杖を横にして必死に背で郎党たちを制するのだが、地団太踏んで突進する郎党たちの力に押されて前に進んで、一触触発、目と鼻の先まで来て、ついに、気勢に圧倒されて、富樫は一行の通行を許す。
この日は、何故か、郎党が六人であったが、それでも、狭い能楽堂の舞台であるから、大変な迫力で圧倒される。
私のブログを引用するが、
能は、シテ一人主義を通して主役は弁慶一人で、歌舞伎では主役の義経を、能では子方が演じており、豪快でパワフルな弁慶が、ワキ富樫何某と、男と男との死を賭した息詰まるような対決を演じることによって、一本大きな筋が通っている。
一方、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。
まさに、その息詰まるようなパワーの炸裂が、このシーンである。
この能「安宅」は、殆ど対話主体の劇場劇と言った趣で、他の能と違って、地謡や囃子の活躍するシーンが、後半に少しある程度で、非常に限られている。
それに、アクションが非常に明確なので、分かりよい感じがするのだが、それだけに、演じる方も、鑑賞する方も、本当は大変ではないかと思っている。
先に観たのは、喜多流で、シテが粟谷能夫、ワキが宝生閑で、凄い舞台であった。
今回は、シテが金剛流宗家の金剛永謹、ワキが福王流宗家の福王茂十郎で、重厚で風格と威厳のある両巨頭の火花の散るような緊迫した舞台の迫力は、また、格別であった。
ところで、これ程、感動的で素晴らしい舞台であり曲だと思うのだが、神田松鯉師の話では、講談では、殆ど舞台にかからず、今回は、8年ぶりの講談で、記憶を蘇らせるのが大変だと語っていた。
講談では、富樫が、既に、義経であることを知っていて、無残にも打擲されている義経を見て、「世が世なら・・・」と言って、正視出来ずに、扇で顔を伏せて、通行を許したと言う。
「勧進帳」は、一番古い講談の部類だと言うのだが、歌舞伎や文楽同様に、時代が下ると、理知的と言うか理念的というか直線的な能とは違って、同じ安宅関の山伏問答の世界も、人情味がどうしても出てくるのであろうと思ったりしている。
能楽堂の中庭、ツワブキが咲き、万両が少し色づき始めた。
冬の足音が、近づいてきている。


