国立劇場 大劇場では、今月から3回に亘って、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が、完全公演され、今月が、その最初の月である。
通し狂言の良さは、全ストーリーを、最初から最後まで上演するので、今回の舞台でも、「鶴ケ岡社頭兜改めの場」「足利館松の間刃傷の場」「扇ヶ谷判官切腹の場」などはお馴染みだが、演じられることが殆どない場が、上演されていて、興味深いだけではなく、非常に筋が良く分かって面白いことである。
この「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件を題材にはしているのだが、舞台を太平記に置き換えているのみならず、塩谷判官が、高師直に刃傷に及び切腹を命じられてお家断絶、大星由良の助などの忠臣によって仇を討つと言う原因そのものが、高師直が、塩谷判官の奥方顔世御前に横恋慕して、それが不発に終わった恋の鞘当てだと言うことである。
もっと面白いのは、高師直に恋文を渡され口説かれた顔世が、新古今集の歌に託した断りの文箱を、腰元お軽に届けさせて、お付きの勘平経由で判官から、殿中で高師直に直接手渡して、振られたことを知った師直が激昂して悪口雑言を浴びせて、いびり抜かれた判官が、堪忍袋の緒が切れて刃傷に及ぶと言うことである。
お軽が、勘平に会いたいばっかりに、重要な時期に断りの文を渡すのを逡巡していた顔世を説き伏せて、文箱を持って足利館に赴き、勘平に会って、判官が殿中で公務中の待機時間に、勘平を誘惑して愛を交わし、その最中に刃傷事件が発生する。
お軽の逢引き願望の軽はずみが、一国一城を傾けてしまうことになる。
尤も、顔世が、斧九太夫と原郷右衛門とが、賄賂を出さなかったからだと激しく言い争っているのを制して、ことの起こりは、自分が師直からの恋文を拒絶した意趣返しで、それを判官に伝えなかったことが仇となったと言っているのだが、刃傷事件で師直の怒りの引き金になった手紙を、勘平に会いたいばっかりに、最悪のタイミングで運んだ張本人は、お軽なのである。
勘平は、切腹しようとしたが、お軽が止めて、お軽の在所である山崎へ落ちて行く。
色に耽ったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず、その天罰で心を砕き、仇討の連判に加われなくなった勘平は、結局は、義父殺しの疑いを受けて自害し、お軽は、祇園の遊女となり、七段目の「一力茶屋の場」で由良之助と遭遇する。
このあまりにも尻軽で色好みのお軽と、軽薄を地で行ったような勘平が、大星に引けを取らないようなキャラクターとして登場するのが、この浄瑠璃の面白さであろうか。
もう一つの重要な登場人物は、最初に高師直と諍いを起こした饗応役の桃井若狭之助の家老加古川本蔵で、高師直に過分の賄賂を贈って、若狭之助の窮地を救い、お鉢を、塩谷判官に回して、更に、殿中での刃傷の場に居て、塩谷判官の後から抱きしめて本懐の達成を邪魔するのである。
この娘の小浪が由良之助の息子力弥の許嫁であって、二段目の「桃井館力弥使者の場」で、初々しい出会いのシーンが展開される。
しかし、後半、八段目と九段目で、嫁入りしたい小浪を伴って、義母の戸無瀬が、鎌倉から山科の大星家を訪ねるのだが、父本蔵が、判官が師直を切りつけた時に止め、若狭助と師直の対立を回避させて、師直の怒りを判官へ向かわせた張本人であるから、許されるわけはなく、娘小浪の幸せのために、自分の命と引き換えに、本蔵は、力弥の槍を受けて死ぬと言う結末になる。
この場の本蔵は、座頭役者が演じる大役である。
この通し狂言の序幕から四段目まで通しで見ると、殆どの登場人物が出て来ているので、架空に近い人物であるお軽や勘平、本蔵と言った人物を主役級に設定する作劇の巧みさなど、以上の様な事も良く分かり、その人間関係や来歴などが頭に入ると、後の芝居が面白くなり、やはり、ミドリ公演で、「一力茶屋」や「山科閑居」など単独で見るのとは違って、理解が大分深まってくる。
それに、この浄瑠璃は、政治都市であった江戸とは違って、商業の街・庶民の街であった大坂で生まれた所為もあって、その芝居好きを喜ばすためもあってか、侍中心の赤穂事件とは大分ニュアンスの異なった和の世界が色濃く描かれている。
この浄瑠璃には、顔世と師直、お軽と勘平、小浪と力弥の3つの恋物語が、かなり、強い横糸として通っている芝居で、それだけ、人間を広く深く描いているようで、非常に面白く、また、よくできていると思う。
そんなことが、通し狂言で、観ると、一層良く分かる。
さて、大序と三段目の「足利館松の間刃傷の場」で主役となる高師直だが、田口章子さんによると、「太平記の人物像そのままで、権力主義者で女好きでその上強欲だ。」
反対の意を唱えるものがあれば未熟者呼ばわりし、横柄な態度を示す。挙句、仕事中に女を口説き、見咎められれば脅しにかかる。最も憎まれる敵役だが、傲慢で好色な人間くささが憎み切れない人物像となっている。と言う。
こんな嫌な人物だが、関容子さんによると、歌右衛門が顔世を演じた時に、二代目延若の男の色気にゾッコン参って、「困っちゃう」などと身を揉むほどだったと言うから、役者次第では、単なる好色で嫌な奴と言うことではないようである。
ところで、今回、高師直を演じた左團次だが、何故か、嫌みが少し灰汁抜けした感じで、厭らしさエゲツナサが柔らかく淡白となり、これまでとは違った師直像を創り出していて興味深かった。
さて、大ベテランの秀太郎の顔世だが、この大序では、師直に次いで重要なキャラクターであった筈で、風格と言い、芸の確かさと言い、素晴らしいと思った。
歌右衛門が、関容子に、普通から言えば若立ちの役だけれど、一寸、年齢が積んでこないと、そこにこう、大きさとか、品格とかがあって、それでいて美しくなければならない。と言っている意味が、秀太郎の舞台を観ていて、少し、分かったような気がした。
幸四郎の由良之助は、これまでに、何度も観ており、由良之助像の一つの頂点と言うべきで、いつも、良質なベートーヴェンの「運命」や「田園」を、コンサートホールで聴いているような思いで観ている。
梅玉の判官と錦之助の若狭之助の威厳を伴った風格と格調の高さ。
隼人の凛々しくも颯爽とした力弥も素晴らしいが、いつもながら、小浪の米吉の初々しさ優しさ美しさ、それでも、恥じらいを伴いながらの恋のアタック、うまいと思う。
本蔵の團蔵、戸無瀬の萬次郎は、ベテランの味。
高麗蔵のお軽と扇雀の勘平が、塩谷家の命運を決することになる危ない逢瀬を、鮮やかに描いていて面白い。
由良之助は、祇園での放蕩三昧を止め、山科から、堺を目指し出立して、天河屋から武器を受け取って、船で、鎌倉の師直邸を目指して、稲村ケ崎へと出帆する。
「仮名手本忠臣蔵」もいよいよ佳境に入って面白くなって行く。
通し狂言の良さは、全ストーリーを、最初から最後まで上演するので、今回の舞台でも、「鶴ケ岡社頭兜改めの場」「足利館松の間刃傷の場」「扇ヶ谷判官切腹の場」などはお馴染みだが、演じられることが殆どない場が、上演されていて、興味深いだけではなく、非常に筋が良く分かって面白いことである。
この「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件を題材にはしているのだが、舞台を太平記に置き換えているのみならず、塩谷判官が、高師直に刃傷に及び切腹を命じられてお家断絶、大星由良の助などの忠臣によって仇を討つと言う原因そのものが、高師直が、塩谷判官の奥方顔世御前に横恋慕して、それが不発に終わった恋の鞘当てだと言うことである。
もっと面白いのは、高師直に恋文を渡され口説かれた顔世が、新古今集の歌に託した断りの文箱を、腰元お軽に届けさせて、お付きの勘平経由で判官から、殿中で高師直に直接手渡して、振られたことを知った師直が激昂して悪口雑言を浴びせて、いびり抜かれた判官が、堪忍袋の緒が切れて刃傷に及ぶと言うことである。
お軽が、勘平に会いたいばっかりに、重要な時期に断りの文を渡すのを逡巡していた顔世を説き伏せて、文箱を持って足利館に赴き、勘平に会って、判官が殿中で公務中の待機時間に、勘平を誘惑して愛を交わし、その最中に刃傷事件が発生する。
お軽の逢引き願望の軽はずみが、一国一城を傾けてしまうことになる。
尤も、顔世が、斧九太夫と原郷右衛門とが、賄賂を出さなかったからだと激しく言い争っているのを制して、ことの起こりは、自分が師直からの恋文を拒絶した意趣返しで、それを判官に伝えなかったことが仇となったと言っているのだが、刃傷事件で師直の怒りの引き金になった手紙を、勘平に会いたいばっかりに、最悪のタイミングで運んだ張本人は、お軽なのである。
勘平は、切腹しようとしたが、お軽が止めて、お軽の在所である山崎へ落ちて行く。
色に耽ったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず、その天罰で心を砕き、仇討の連判に加われなくなった勘平は、結局は、義父殺しの疑いを受けて自害し、お軽は、祇園の遊女となり、七段目の「一力茶屋の場」で由良之助と遭遇する。
このあまりにも尻軽で色好みのお軽と、軽薄を地で行ったような勘平が、大星に引けを取らないようなキャラクターとして登場するのが、この浄瑠璃の面白さであろうか。
もう一つの重要な登場人物は、最初に高師直と諍いを起こした饗応役の桃井若狭之助の家老加古川本蔵で、高師直に過分の賄賂を贈って、若狭之助の窮地を救い、お鉢を、塩谷判官に回して、更に、殿中での刃傷の場に居て、塩谷判官の後から抱きしめて本懐の達成を邪魔するのである。
この娘の小浪が由良之助の息子力弥の許嫁であって、二段目の「桃井館力弥使者の場」で、初々しい出会いのシーンが展開される。
しかし、後半、八段目と九段目で、嫁入りしたい小浪を伴って、義母の戸無瀬が、鎌倉から山科の大星家を訪ねるのだが、父本蔵が、判官が師直を切りつけた時に止め、若狭助と師直の対立を回避させて、師直の怒りを判官へ向かわせた張本人であるから、許されるわけはなく、娘小浪の幸せのために、自分の命と引き換えに、本蔵は、力弥の槍を受けて死ぬと言う結末になる。
この場の本蔵は、座頭役者が演じる大役である。
この通し狂言の序幕から四段目まで通しで見ると、殆どの登場人物が出て来ているので、架空に近い人物であるお軽や勘平、本蔵と言った人物を主役級に設定する作劇の巧みさなど、以上の様な事も良く分かり、その人間関係や来歴などが頭に入ると、後の芝居が面白くなり、やはり、ミドリ公演で、「一力茶屋」や「山科閑居」など単独で見るのとは違って、理解が大分深まってくる。
それに、この浄瑠璃は、政治都市であった江戸とは違って、商業の街・庶民の街であった大坂で生まれた所為もあって、その芝居好きを喜ばすためもあってか、侍中心の赤穂事件とは大分ニュアンスの異なった和の世界が色濃く描かれている。
この浄瑠璃には、顔世と師直、お軽と勘平、小浪と力弥の3つの恋物語が、かなり、強い横糸として通っている芝居で、それだけ、人間を広く深く描いているようで、非常に面白く、また、よくできていると思う。
そんなことが、通し狂言で、観ると、一層良く分かる。
さて、大序と三段目の「足利館松の間刃傷の場」で主役となる高師直だが、田口章子さんによると、「太平記の人物像そのままで、権力主義者で女好きでその上強欲だ。」
反対の意を唱えるものがあれば未熟者呼ばわりし、横柄な態度を示す。挙句、仕事中に女を口説き、見咎められれば脅しにかかる。最も憎まれる敵役だが、傲慢で好色な人間くささが憎み切れない人物像となっている。と言う。
こんな嫌な人物だが、関容子さんによると、歌右衛門が顔世を演じた時に、二代目延若の男の色気にゾッコン参って、「困っちゃう」などと身を揉むほどだったと言うから、役者次第では、単なる好色で嫌な奴と言うことではないようである。
ところで、今回、高師直を演じた左團次だが、何故か、嫌みが少し灰汁抜けした感じで、厭らしさエゲツナサが柔らかく淡白となり、これまでとは違った師直像を創り出していて興味深かった。
さて、大ベテランの秀太郎の顔世だが、この大序では、師直に次いで重要なキャラクターであった筈で、風格と言い、芸の確かさと言い、素晴らしいと思った。
歌右衛門が、関容子に、普通から言えば若立ちの役だけれど、一寸、年齢が積んでこないと、そこにこう、大きさとか、品格とかがあって、それでいて美しくなければならない。と言っている意味が、秀太郎の舞台を観ていて、少し、分かったような気がした。
幸四郎の由良之助は、これまでに、何度も観ており、由良之助像の一つの頂点と言うべきで、いつも、良質なベートーヴェンの「運命」や「田園」を、コンサートホールで聴いているような思いで観ている。
梅玉の判官と錦之助の若狭之助の威厳を伴った風格と格調の高さ。
隼人の凛々しくも颯爽とした力弥も素晴らしいが、いつもながら、小浪の米吉の初々しさ優しさ美しさ、それでも、恥じらいを伴いながらの恋のアタック、うまいと思う。
本蔵の團蔵、戸無瀬の萬次郎は、ベテランの味。
高麗蔵のお軽と扇雀の勘平が、塩谷家の命運を決することになる危ない逢瀬を、鮮やかに描いていて面白い。
由良之助は、祇園での放蕩三昧を止め、山科から、堺を目指し出立して、天河屋から武器を受け取って、船で、鎌倉の師直邸を目指して、稲村ケ崎へと出帆する。
「仮名手本忠臣蔵」もいよいよ佳境に入って面白くなって行く。