熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・芸術祭寄席~忠臣蔵の世界~

2016年10月28日 | 落語・講談等演芸
   国立劇場開場五十周年記念として、歌舞伎も文楽も、仮名手本忠臣蔵の通し狂言が進行中だが、落語でも、今回、”忠臣蔵の世界”と銘打って、非常に興味深い公演が、国立演芸場で行われた。

   プログラムは、次の通り。 
  「芸術祭寄席‐忠臣蔵の世界‐」
浪 曲「大石と垣見の出合い」
  京山 幸枝若 曲師 一風亭 初月 ギター 京山 幸光
講 談「南部坂雪の別れ」 神田 陽子
落 語「淀五郎」 柳亭 市馬
―仲入り―
座敷唄「仮名手本忠臣蔵 俗曲十二段返し」
  京都 上七軒芸妓連中 囃子 藤舎清之連中
曲 芸 鏡味仙三郎社中
上方落語「七段目」 桂 米團治

   早々に、チケットは完売で、日頃の国立演芸場の出し物と違って、かなり、着物姿の女性客やフォーマルな服装の人が多くて、改まった雰囲気であった。
   浪曲から講談、上七軒芸妓連中の座敷歌、それに、落語二席と言うバラエティに富んだ素晴らしい公演の連続で、大変、楽しませてもらった。

   武器を携えて東海道を下る途中で、大石内蔵助と垣見五郎兵衛とが対面する場は、忠臣蔵の名場面のワンシーンで、私は、大映の映画で、大石内蔵助に長谷川一夫、垣見五郎兵衛に二代目中村鴈治郎と言う二人の名優の素晴らしい舞台を見た。
   大石内蔵助は、天野屋が調達した武器を、仇討ち決行のために江戸へ運ぶために、関所で止められるのを恐れて、「日野家の名代で垣見五郎兵衛が禁裏御用のために京都から江戸へ下る」という情報を得て、垣見の名を語って、垣見たちの中仙道輸送ルートとは違う東海道を難なく下るのだが、運悪く、神奈川宿で、京都へ帰える途中の本物の垣見と出くわしてしまう。
   本物争いで鬼気迫る二人の対面、万事休すの内蔵助は、証拠を出せと言われて、切羽詰まって連判状を、垣見に見せる。
   感動した垣見の武士の情けで、内蔵助たちは、神奈川宿を突破する。

   曲師初月の三味線に乗っての幸枝若の名調子で、感動的であったが、何故か、神奈川宿の役人二人の会話が、大阪弁。
   それに、浪曲の曲師の前の演台は凄いのだが、正面に派手な、春画もどきの若い男女の着衣の上半身姿にびっくり。

   「南部坂雪の別れ」も、私の印象は、大映の映画で、瑤泉院は山本富士子。
   それに、真山青果の「元禄忠臣蔵」で、確か、時蔵。
   内蔵助は討ち入りの直前、江戸南部坂に隠棲している浅野内匠頭の未亡人瑤泉院に最後の暇乞いに行く。内蔵助は、討ち入り決行を伝え、同士の連判状を渡し、内匠頭の霊前に参りたかったのだが、侍女の中に吉良の密偵がいるのを感じて、仇討の意思など毛頭ないと心にもないことを言って瑤泉院を激怒させて席を立たれて、仕方なく、腰元に、「東下りの旅日記。」を託して、降りしきる雪の中を帰って行く。夜中に、内蔵助からの旅日記を盗もうとする女間者を取り押さえて、ほどけた旅日記が連判状だと分かって、内蔵助の来訪の意味を知って、短慮を悔いて詫びる瑤泉院の断腸の悲痛。
   やはり、このくだりは、女流講談師の神田陽子の独壇場。
   この頃になって、少し、講談の面白さが分かってきたのは、この国立演芸場や国立能楽堂での公演のお陰で、女流の読む芸の素晴らしさに感激し始めている。
 
   上七軒芸妓連中と囃子の座敷唄は、初めての鑑賞だが、中々、華やかで優雅で良かった。
   一段目から十二段目まで、仮名手本忠臣蔵のさわりを俗曲にしたもので、ところどころだが、くだけた面白い表現が分かって面白かった。
   いずれにしても、先の浪曲や講談も、そして、落語もそうだが、仮名手本忠臣蔵の全段なり赤穂事件に通じた知識があれば、より一層楽しめるのではないかと思う。

   市場の「淀五郎」は、
   座頭の市川團蔵が、「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官役の藤十郎が急病になったので、若手の澤村淀五郎を抜擢して代役に立てると言う話である。
   淀五郎は張り切るのだが、演技が未熟であまりにも下手なので、四段目の「判官切腹の場」で、大星由良助役の團蔵は、花道に登場したものの、七三で平伏したまま、舞台に出ないので、七三で止まったまま、判官は切腹してこと切れる。
   意地悪で皮肉屋の團蔵は、何故ダメなのか、淀五郎は解らないので聞くのだが、家来が殿にあれこれ言えない、分からなければ腹を切って死んでしまえ、と言う。
   頭にきた淀五郎は、憎い團蔵を殺して、舞台で本当に腹を切ろうと心に決めて、暇乞いに、初代中村仲蔵のところへ行く。
   様子を察した仲蔵は、判官切腹の作法や芝居のやり方を一から教えてくれたので、淀五郎は必死で稽古する。
   その成果が表れて、翌日、淀五郎の芸は上達していたので、その舞台姿を見た團蔵は、喜んで、今度は定石どおりに舞台まで出て、淀五郎の判官の側まで出て来て平伏する。   定五郎は、いつも七三にいる團蔵の由良之助の方を向いたらいない。側に来ているので側感極まって、「待ちかねた。」

   市場は、殆どまくらなしで、30分を語り切ったのだが、歌舞伎役者のほろりとする良い噺で、聴かせてくれた。

   上方落語の米團治は、今度は、「七段目」。
   この前は、「四段目」を聴いたので、連続の仮名手本忠臣蔵噺。
   両方とも、芝居好きの丁稚と若旦那が、大旦那に叱られながら、二階に上げられて、そこで、ひとくさり、忠臣蔵の芝居を演じる滑稽噺である。
   こんどは、大旦那が、二階に追い上げた若旦那に注意させようと二階に上がらせた小僧の定吉が、これも芝居好きで、若旦那に誘われてお軽にされて、若旦那の平右衛門と一緒に、七段目の一力茶屋の場を実演する。
   仇討決行の手紙を読まれた由良之助の身請け話の意図が、お軽殺害と知った平右衛門が、自分が殺して手柄にして討ち入りの一味に加えてもらおうと、お軽の定吉に抜き身の真剣を振り回すので、怯えた定吉が逃げた拍子に、梯子段を転げ落ちる。
   心配した大旦那が、「七段目から落ちたのか」と聞いたら、「てっぺんから」。
   普通は、「てっぺんからか」と聞いたら、「七段目」と言うのがオチのようだが、師匠の米朝がこのようにしたので、それを踏襲している。
   とにかく、團十郎や仁左衛門など、器用に歌舞伎役者の声音を真似て、派手な身振り手振りで演じ続ける米團治の眼の玉を上下左右、白黒させての熱演に、観客は大喜び。
   米朝のような貫禄と風格には欠けるが、上方落語のホープ、人気絶頂の話術の冴えは、流石である。

   この米團治、まくらに、歌舞伎なら親が偉いと、御曹司と言われるが、落語は継承がないのでバカボンと言われると言いながら、人間国宝になって文化勲章を貰ったのは米朝だけ、その長男、と言って笑わせていた。
   落語家になるつもりはなかったが、ざこばに、やったらええ、やってあかんかったらやめたらええ、と言われて入ったのだと言う。
   歌舞伎の話なので、南座で、先の猿之助から話があって、1か月間公演を一緒にした小米朝のころの話を感激交じりに話していた。
   猿之助の宙乗りの紹介で、「隅から隅まで、ずいーっと」と言ったので、これは、座頭だけが使う口上だと窘められたり、自分の掛け声がないので、その時、祇園で遊んでいたので、「お茶屋!」になった話など、語りながら、「七段目」に入った。
   次には、こってりとした大阪弁丸出しの上方落語を聞きたい。

   ごっちゃ煮の忠臣蔵であったが、面白かった。
   
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