四半世紀前に出版された本だが、非常に興味深く、読んでいて面白い。
文化芸術に造詣が深く、洗練された知性と教養に裏打ちされた殿下の、超一流の芸術家との蘊蓄を傾けた対談集なので、芸術の世界の奥深い深淵の一端などが迸り出ていて興味が尽きない。
殿下は、バレエに最も関心が深くて、前半の第一幕「バレエの世界」が、紙幅の半分を占めていて、森下洋子からヌレエフなど、バレエ関係者の対談が綴られている。
私は、若いころには、来日公演や欧米で、ボリショイやロイヤル、ニューヨークシティなどのバレエ、そして、最近では、ザンクトペテルブルグで、マリインスキーバレエの「ジゼル」など、結構、観ているのだが、綺麗で素晴らしい舞台ながら、バレリーナたちが踊るだけで、何も歌わないし喋らないのに物足りなさを感じて、オペラ一辺倒になってしまった。
さて、それぞれ、珠玉のような対談が綴られているのが、私の関心は、第二幕の「プロセニアムへの誘い」の方で、芝居の世界と言うか、クラシックの世界と言うか、バレエ以外の舞台芸術の世界である。
まず、興味深いのは、殿下の歌舞伎に対する思い入れである。
蜷川幸雄との対談で、舞台と言うとバレエが多いのだが、バレエのことを本当に楽しくなってきたのは、歌舞伎を観てからだと言う。
歌舞伎ほど、開き直った芝居はない。筋書から何からそうで、黒衣みたいに得体のしれないものもでてくれば、衣装はめちゃくちゃ派手だし、装置はだれが見ても本物だとは思わないし、嘘で固めた上でやっている芝居で、皆、結構泣いたりするわけで、そこが、やっぱり魔法である。
歌舞伎を観るようになって、他の芝居に対しても、一皮剥けてわかるようになった気がする。ベジャールとかヌレエフが日本に来ると、とにもかくにも歌舞伎座へ直行すると言う。西洋リアリズムで行き詰まったのが、能や歌舞伎にはまだ抜け道があるようで、それを西洋の演劇家は見ているように思う。とも語っている。
これに対しても、蜷川も同意して、何か手詰まりを起こすと、一寸、歌舞伎座へ行こうと思うと言っている。
殿下は、同じようなことを、先代猿之助との対談でも語っている。
オペラもバレエの演劇も皆同じで、根本的にはそれほど違いがあるはずがないのだが、本当の意味で舞台の面白さがわかるようになってきたのは、実は歌舞伎を観るようになってからである。歌舞伎は、古今東西、あれほどウソの多い芸術はないのだが、観ているうちに、そうではなくなってくる。普通の演劇だと、いかに本物に見せるかで苦労しているのに、歌舞伎は非常に荒唐無稽で、そこが最大の強みである。と言う。
これに対して、猿之助は、確かに歌舞伎ほどウソがはなはだしい芝居は少ない。ウソが大きいだけに、意外に逆の真実がすごく出る場合がある。そこが歌舞伎の歌舞伎たる由縁だと思う。と応えている。
私自身、パーフォーマンスアーツに対して、それ程、知識があるわけではないが、歌舞伎と言っても、荒事の舞台など、江戸歌舞伎の世界では、確かに、殿下の見解のような世界かも知れないが、和事の舞台、少なくとも、近松門左衛門の心中ものなどの歌舞伎には、リアリズムが厳然と存在しているし、演出次第では、ほかの芝居や舞台芸術の世界とほとんど違っているようには思えない。と思っている。
蜷川幸雄が語っていることで、非常に興味深かったことは、原則として、台本には手を加えない。いじるということはしない。その代わり、、俳優や照明や音楽や、色々なものが関わって演劇にしていく、そこのところは、作者は口を出すな。戯曲は書かない。文字には手出ししない。と語っていることである。
蜷川幸雄の舞台は、ロンドンで、「マクベス」と「テンペスト」を観てファンとなって、その後、日本に帰ってから、随分蜷川の舞台に通った。
私は、丁度、この本に出てくる「マクベス」「女王メディア」や「近松心中物語」などから入って行ったのだが、やはり、演出家として、芝居の出来に対して観客がどんな反応を示すのか、非常に神経を使っていたようで、バービカン・シアターの客席裏の扉で蜷川幸雄の姿を見たことがる。
キリ・テ・カナワのオペラは、ロンドンのロイヤル・オペラが主だが、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンアや、「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「オテロ」のデスデモーナ、「トスカ」など、いくらか舞台を観ていて、ファンだったソプラノだが、この対談で、娘の誕生日のために、メトロポリタンの舞台を蹴ったと語っているのが面白い。
ストラタスの代役で一気にスターダムに伸し上がった大恩あるMETをである。
中村紘子が、ショパンコンクールで4位入賞後、帰国した後、日本でのしがらみで、世の中が嫌になって、ピアノをやめてしまったと語っている。
再起のチャンスとなったのは、来日したワルシャワ・フィルの指揮者ロヴィッキーが、ショパンコンクールのことを覚えていて、ソリストに起用して日本ツアーをした時だと言う。
私自身、この演奏会を、大阪だったか京都だったか記憶はないのだが、出かけて行って、中村紘子の情感たっぷりの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聴いた。
若くて可愛いい中村紘子の必死になってロヴィッキーのタクトを見つめる健気な眼差しが記憶に残っているのだが、そのような逸話があることを知って、印象的であった。
この本は、1991年5月出版であるから、私が、クラシック音楽やオペラ、バレエ、そして、シェイクスピアの戯曲に入れ込み始めて劇場に通って居た頃の話が話題になっていて、実に懐かしく読ませてもらった。
全部で18名の偉大な芸術家たちの対談で、興味が尽きないが、蛇足を重ねるだけなので、これで置きたい。
文化芸術に造詣が深く、洗練された知性と教養に裏打ちされた殿下の、超一流の芸術家との蘊蓄を傾けた対談集なので、芸術の世界の奥深い深淵の一端などが迸り出ていて興味が尽きない。
殿下は、バレエに最も関心が深くて、前半の第一幕「バレエの世界」が、紙幅の半分を占めていて、森下洋子からヌレエフなど、バレエ関係者の対談が綴られている。
私は、若いころには、来日公演や欧米で、ボリショイやロイヤル、ニューヨークシティなどのバレエ、そして、最近では、ザンクトペテルブルグで、マリインスキーバレエの「ジゼル」など、結構、観ているのだが、綺麗で素晴らしい舞台ながら、バレリーナたちが踊るだけで、何も歌わないし喋らないのに物足りなさを感じて、オペラ一辺倒になってしまった。
さて、それぞれ、珠玉のような対談が綴られているのが、私の関心は、第二幕の「プロセニアムへの誘い」の方で、芝居の世界と言うか、クラシックの世界と言うか、バレエ以外の舞台芸術の世界である。
まず、興味深いのは、殿下の歌舞伎に対する思い入れである。
蜷川幸雄との対談で、舞台と言うとバレエが多いのだが、バレエのことを本当に楽しくなってきたのは、歌舞伎を観てからだと言う。
歌舞伎ほど、開き直った芝居はない。筋書から何からそうで、黒衣みたいに得体のしれないものもでてくれば、衣装はめちゃくちゃ派手だし、装置はだれが見ても本物だとは思わないし、嘘で固めた上でやっている芝居で、皆、結構泣いたりするわけで、そこが、やっぱり魔法である。
歌舞伎を観るようになって、他の芝居に対しても、一皮剥けてわかるようになった気がする。ベジャールとかヌレエフが日本に来ると、とにもかくにも歌舞伎座へ直行すると言う。西洋リアリズムで行き詰まったのが、能や歌舞伎にはまだ抜け道があるようで、それを西洋の演劇家は見ているように思う。とも語っている。
これに対しても、蜷川も同意して、何か手詰まりを起こすと、一寸、歌舞伎座へ行こうと思うと言っている。
殿下は、同じようなことを、先代猿之助との対談でも語っている。
オペラもバレエの演劇も皆同じで、根本的にはそれほど違いがあるはずがないのだが、本当の意味で舞台の面白さがわかるようになってきたのは、実は歌舞伎を観るようになってからである。歌舞伎は、古今東西、あれほどウソの多い芸術はないのだが、観ているうちに、そうではなくなってくる。普通の演劇だと、いかに本物に見せるかで苦労しているのに、歌舞伎は非常に荒唐無稽で、そこが最大の強みである。と言う。
これに対して、猿之助は、確かに歌舞伎ほどウソがはなはだしい芝居は少ない。ウソが大きいだけに、意外に逆の真実がすごく出る場合がある。そこが歌舞伎の歌舞伎たる由縁だと思う。と応えている。
私自身、パーフォーマンスアーツに対して、それ程、知識があるわけではないが、歌舞伎と言っても、荒事の舞台など、江戸歌舞伎の世界では、確かに、殿下の見解のような世界かも知れないが、和事の舞台、少なくとも、近松門左衛門の心中ものなどの歌舞伎には、リアリズムが厳然と存在しているし、演出次第では、ほかの芝居や舞台芸術の世界とほとんど違っているようには思えない。と思っている。
蜷川幸雄が語っていることで、非常に興味深かったことは、原則として、台本には手を加えない。いじるということはしない。その代わり、、俳優や照明や音楽や、色々なものが関わって演劇にしていく、そこのところは、作者は口を出すな。戯曲は書かない。文字には手出ししない。と語っていることである。
蜷川幸雄の舞台は、ロンドンで、「マクベス」と「テンペスト」を観てファンとなって、その後、日本に帰ってから、随分蜷川の舞台に通った。
私は、丁度、この本に出てくる「マクベス」「女王メディア」や「近松心中物語」などから入って行ったのだが、やはり、演出家として、芝居の出来に対して観客がどんな反応を示すのか、非常に神経を使っていたようで、バービカン・シアターの客席裏の扉で蜷川幸雄の姿を見たことがる。
キリ・テ・カナワのオペラは、ロンドンのロイヤル・オペラが主だが、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンアや、「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「オテロ」のデスデモーナ、「トスカ」など、いくらか舞台を観ていて、ファンだったソプラノだが、この対談で、娘の誕生日のために、メトロポリタンの舞台を蹴ったと語っているのが面白い。
ストラタスの代役で一気にスターダムに伸し上がった大恩あるMETをである。
中村紘子が、ショパンコンクールで4位入賞後、帰国した後、日本でのしがらみで、世の中が嫌になって、ピアノをやめてしまったと語っている。
再起のチャンスとなったのは、来日したワルシャワ・フィルの指揮者ロヴィッキーが、ショパンコンクールのことを覚えていて、ソリストに起用して日本ツアーをした時だと言う。
私自身、この演奏会を、大阪だったか京都だったか記憶はないのだが、出かけて行って、中村紘子の情感たっぷりの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聴いた。
若くて可愛いい中村紘子の必死になってロヴィッキーのタクトを見つめる健気な眼差しが記憶に残っているのだが、そのような逸話があることを知って、印象的であった。
この本は、1991年5月出版であるから、私が、クラシック音楽やオペラ、バレエ、そして、シェイクスピアの戯曲に入れ込み始めて劇場に通って居た頃の話が話題になっていて、実に懐かしく読ませてもらった。
全部で18名の偉大な芸術家たちの対談で、興味が尽きないが、蛇足を重ねるだけなので、これで置きたい。