熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

壽初春大歌舞伎・・・「将軍江戸を去る」「井伊大老」

2017年01月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春大歌舞伎で、二つの幕末と明治維新の激動期を舞台にした演目が上演されたので、興味深く観た。
   何回も観ている舞台なので、それ程、感慨はないのだが、演じる役者によって、大きく印象が異なる演目である。

   まず、「将軍江戸を去る」は、真山青果の作。
   徳川慶喜 染五郎、山岡鉄太郎 愛之助、高橋伊勢守 又五郎

   この歌舞伎は、二幕四場で、第一幕 江戸薩摩屋敷 第二幕 第一場 上野の彰義隊 第二場 同 大慈院 第三場 千住の大橋 なのだが、第一幕の勝海舟と西郷隆盛との江戸城明け渡しの決定的なシーンが省略されていて、第二幕だけなので、大分、この戯曲の良さがそがれている。
   この勝西郷会談で、西郷は、多くの民が平穏無事に生活している江戸市中を火の海にしようとした自分たちの愚かさ、そして無辜の民を殺さなければならない戦争の悲惨さ無意味さを慨嘆し、江戸城の無血開城と慶喜の助命は、朝廷のみならず官軍を救うことになると、大粒の涙を流して心情を吐露する。

   この第二場は、既に、将軍慶喜が、大政を奉還し、江戸城を無血開城して、上野寛永寺で謹慎中、翌朝に、江戸を発つ予定だったのだが、急に出発を取りやめると言いだしたので、警護中の彰義隊を突破して、山岡鉄太郎が、決死の覚悟で乗り込み、将軍を説得する劇的な舞台である。
   鉄太郎は、水戸は幽霊勤皇だと叫んだので、堪忍袋の緒が切れて刀に手をかけた慶喜に、見かけだけの「尊王」ではなく、天皇に経済力と兵力を納めて皇室を敬う「勤王」の精神に立ち返るべしと諌める。将軍が、最後に江戸を離れる「先住の大橋」の場が、江戸幕府の終焉を告げて感動的である。

  この山岡鉄太郎の行動には、西郷隆盛との事前に重要な談判が存在する。
  西郷との談判あっての山岡であって、一切を承知して慶喜を守り、江戸を守ろうと必死に奔走した山岡であったから、慶喜を説得して江戸からの出立を死守しなければ、死んでも死にきれなかったのである。 

  官軍の江戸総攻撃の15日の前、3月9日に、山岡鉄太郎は、慶喜の意を体して、勝海舟の紹介を得て、駿府まで進撃していた東征軍の大総督府に赴き、西郷と面会する。
  東征軍から、徳川家へ開戦回避に向けた条件提示がなされ、江戸城総攻撃の回避条件として西郷から山岡へ一方的な7箇条が示される。
  そのうち、第1条の「徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。」だけはどうしても受け入れることができず談判して保留として、江戸に持ち帰り勝に伝える。
   結局、この7箇条は、勝・西郷会談で、やや、骨抜きにされて、第1条は、「徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。」と言う条項に代わって、この舞台のように、将軍は江戸を去ることになるのだが、謀反を試みる輩が多数存在し不穏な状態の中で、慶喜が水戸隠居の意志を翻して江戸退去が遅れると、すべてが反故となるので、山岡鉄太郎と高橋伊勢守は、官軍の仕打ちに断腸の思いで憤懣やるかたない将軍慶喜の心情を知りすぎるほど知っているので、正に、決死の覚悟で説得にあたった。
   
   私の場合、これまで、観た記憶にある「将軍江戸を去る」は、少なくとも次の2回。
   猿之助襲名披露公演では、この「将軍江戸を去る」は、徳川慶喜 團十郎、山岡鉄太郎 中車、高橋伊勢守 海老蔵。
   国立劇場では、徳川慶喜 吉右衛門、山岡鉄太郎 染五郎、高橋伊勢守 東蔵。

   山場は、丁々発止の将軍と山岡との対話だが、わきに控える伊勢守の存在も大きい。
   自分には踏み込めない、しかし、死を賭してでも慶喜を諫めたい、その思いを必死に胸に収めて山岡をサポートする。
   実に素晴らしい舞台ばかりで、感動的であった。

   今回の舞台は、先に山岡を演じた染五郎が、将軍に代わったのだが、流石に、高麗屋で、中々風格のある将軍であった。
   愛之助は、正に、直球勝負の熱血漢を演じて好感。
   伊勢守の又五郎は、このように控えめながら心情にぶれのない忠臣を演じるといぶし銀のような芸を見せてくれて、素晴らしい。

   もう一つは、北條秀司 作・演出の「井伊大老」。  
   今回の配役は、井伊直弼 幸四郎、仙英禅師 歌六、長野主膳 染五郎、昌子の方 雀右衛門、お静の方 玉三郎。
   先に記したように、これまで観た3回ともすべて吉右衛門が井伊直弼を演じていた。
   正室の昌子の方よりは、側室のお静の方の方が、この舞台では、重要なキャラクターで、夫々、歌右衛門、魁春、雀右衛門であった。

   直弼との間の子鶴姫の四度目の月命日に、直弼がまだ若かった彦根時代から側室として仕えていたお静の方のところへ、仙英禅師が訪れて、お経をあげ、傍らにある直弼がしたためた屏風に目をとめて、その墨痕には逃れられない険難の相があると言って、正室昌子の方に対する嫉妬が解けず出家したいと言うお静の方に、その悩みは長くないと直弼の死の予感を伝る。
   そこへやってきた直弼が、禅師が「一期一会」と書き記した笠を残して立ち去ったので、禅師が自分に別れを告げたと知って、華やかに飾られた雛人形を見ながら、お静と二人で、しっとりと酒を飲み始める。
   二人がひな祭りの夜に契った彦根時代の埋木舎での貧しくても楽しかった昔を思い出しながら、あの頃に帰りたいと述懐して、直弼は、藩主になった結果、お静に悲しい思いをさせたことを詫び、自分の信じて正しいと思って決然と実行したことを誰にもそして後世の人にも理解してもらえないであろう苦衷を打ち明ける。
   お静の方は「正しいことをしながら、世に埋もれたままの人もある」と慰めると、それを聞いて晴れやかになった直弼は、「次の世も又次の世も決して離れまい」とお静の方の肩を抱きしめる。
   その翌朝、雪が降りしきる桜田門外で、直弼は果てる。

   この実に初々しくて涙が零れるほど健気で優しいお静の方を、人間国宝の玉三郎が、実に、乙女のように可愛くそして品よく演じ切って感動的である。
   幸四郎の直弼も、貫禄と風格があって絶品。
   歌六の禅師は、これまでにも観ているが、枯れて淡々とした味が何とも言えない。

   私は、これまでにも書いたが、安政の大獄には、多少違和感があるが、あの開国があってこそ、無血革命の明治維新があって、今日の日本があるのだと思っている。
   直弼の死後、遺品として大部の洋書や地図などが残されていたと言うから、アヘン戦争で西洋列強の餌食になった中国の苦衷を知り過ぎるほど知っていた筈であり、英明な直弼ゆえ、日本の進むべき道は、はっきり見えていた筈で、太平天国に酔いしれていた大衆とは、一歩も二歩も前に進みすぎていた悲劇の最期であろう。
   
   
コメント
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