熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

人間到る処青山ありと言うのだが

2017年01月03日 | 生活随想・趣味
   元旦早々、奈良に住む友人から、年賀の電話を貰った。
   東大寺の転害門近くに住んでいて、二月堂までは、歩けばすぐであり、よく、散歩に出かけて行くと言う。
   私は、奈良を訪れると、入江泰吉旧宅前の小道を戒壇堂に向かって歩いて右に折れて、大仏殿裏の公園を抜けて、小川沿いの裏参道を上って二月堂に歩くのが好きなので、その話を聞いて、羨ましいと思った。
   坂の下から二月堂の舞台を仰いだ写真を随分撮ったのだが、手元にないので入江泰吉の写真を借りると、アングルは違うが、この道である。
   季節の変わりにつれて、両側の塔頭から覗く花々が情趣を添えて絵になる。
   

   現役を引退して自由な身になった時に、関西に帰って、京都か奈良に住もうと考えたことがあった。
   しかし、まだ、多少色気もあって、それに、勉強や観劇のチャンスなどを考えれば、東京から離れがたくなった。
   長く住んでいた千葉を終の棲家と思っていたのだが、ひょんなことで、鎌倉に移り住んで、今では、鎌倉生活に落ち着いている。

   さて、「人間到る処青山あり」と言う言葉がある。
   「故事ことわざ辞典」によると、
   ”人間到る処青山ありとは、世の中は広く、死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもあるのだから、大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍するべきであるということ”らしい。
   私の場合、別に、待望を抱いて大いに活躍したわけでもなく、何となく成り行きとして人生を送ってきてしまったと言うことで、むしろ、忸怩たる思いの方が強いのだが、振り返ると、ずいぶんいろいろなことがあった。
   青山とは、骨を埋めるところと言う意味のようだが、この言葉の雰囲気を取って、素晴らしい所とか美しい所とかと言う意味に解すると、随分、色々な幸運にも恵まれて、想像を超えた素晴らしい貴重な青山を見てきたように思っている。

   終戦後の混乱期に幼少年期を送り、神武景気以降の経済成長や安保闘争の時代から、Japan as No.1の時代に、企業戦士として多忙な日々に明け暮れ、バブル崩壊で、日本の失速と言う暗澹たる逆転劇の中で生きてきたことを考えると、もう、想像を超えた人生だと言えよう。
   その間に、私の場合には、14年と言う、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスでの海外生活があったので、日本中全体が、貧困に明け暮れて、夢さえ見ることの出来なかった苦しい子供時代を思うと、信じられないような展開であった。

   学生時代に、”向こう通るは女学生、3人揃ったその中で、一番ビューティが気に入った、マイネフラウにするならば、俺もこれから勉強して、ロンドン、パリを股にかけ、フィラデルフィアの大学を・・・卒業した時にゃ、・・・”と言う学生歌を蛮声をはりあげて、「アホナこと言うなあ」と思いながら歌っていた。
   しかし、これを、地で行くことになったのだから、「人間到る処”青山”あり」と言わざるを得ないと思っている。

   ベルリンの壁の崩壊前後の激動のヨーロッパを歩いてきたし、ダイアナ妃と握手し、チャールズ皇太子と日本経営について立ち話もした。

   住まいだが、日本だけでも、子供時代を西宮宝塚伊丹の阪神間で送り、一年、宇治に住み、大阪、埼玉、千葉、鎌倉に住んでいて、海外でも、フィラデルフィアの学生寮から、サンパウロ、アムステルフェーン、ロンドンと、それも、何度も移転を繰り返しているのであるから、私の場合、随分、あっちこっちに、故郷がある。
   長い人生、苦楽綯い交ぜ。
   苦しくて死ぬ思いをしたことも何度もあったし、逆に、素晴らしい経験もして、知盛ではないが、「見るべきものは見つ」と言う思いもした。
   しかし、カバン一つを持って、仕事上とは言え、殆ど無防備で、先進国も治安の悪い発展途上国も紛争地帯も、若気の至りで、よく無事に歩き続けてきたものだと、思うと冷や汗が出ることがある。

   今年は、どんな年になるのか。
   昔のように起承転結の激しい人生とは縁遠くなった晴耕雨読の日々。
   世の中は、正に激動。
   20世紀から21世紀の今日にかけての世界の歴史を考えると、目を見張るような展開だが、益々、政治経済社会の激動は激しく予断を許さなくなってきている。
   今年は、スケールの大きな文化文明史を勉強してみたいと思っている。
コメント
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