国立劇場開場50周年記念公演で、「民俗芸能」のタイトルで、神楽、壬生狂言、淡路人形芝居の3演目が演じられたが、私は、淡路人形座の「賤ヶ岳七本槍」だけを鑑賞した。
上演方式など多少違いはあるのだが、私としては、いつもこの国立小劇場や大阪の国立文楽劇場で演じられる文楽協会の舞台と同じような感覚で楽しんだ。
このように洗練された高度な文楽が、淡路人形座で演じられていると言うのは、驚異でさえある。
以前に、淡路か徳島だったが、忘れてしまったが、「傾城阿波の鳴門」のおつるの舞台を観たのを覚えているのだが、これも、感銘深かった。
この淡路の人形芝居は、野外の広々とした客席の隅々まで観て楽しめるように、大きな人形を遣い、振りや動作など動きを大きくして、表現も誇張されていると言うのだが、確かに、人形のかしらも大きめで、表情がリアルであるのが面白いと思った。
淡路人形座のHPによると、「賤ヶ岳七本槍」のあらすじは、次の通り。
”柴田・真柴の戦いが続く中、鏡山の頂きにある清光尼(深雪)の庵室を政左衛門が訪ねる。両者の戦いを高みから見物すると言って遠眼鏡を据えさせる政左衛門であったが、意外にも深雪に強く還俗を求める。そこに久吉が三法師をつれて訪れ、蘭の方の首を早く渡すよう迫る。承諾した政左衛門はしばしの猶予を請い久吉を奥で待たせる。
一方、遠眼鏡でいくさの様子を見ていた腰元たちから勝久が見えると聞いた深雪は、恋情忍びがたく還俗を決意する。そこに政左衛門が現れ蘭の方は恩ある先代政左衛門の忘れ形見ゆえ殺すわけにはいかないと 述べ、身代わりになるよう説得するが、勝久に会いたい一心の深雪は拒否する。しかしやがて戦場から「勝久を討ち取った」という声が聞こえてきたので、失意とともに深雪は身代わりを受け入れ、政左衛門は深雪の首を討つ。政左衛門は、偽三法師を連れた久吉が小田家を乗っ取ろうとしているのではないかと疑うが、久吉は三法師に扮した実子の捨千代を討つ。肉親を殺し忠義を貫く久吉に政左衛門も心を許し、本物の三法師を託す。久吉は三法師を抱き馬に乗って堂々と安土に帰還する。”
今回上演されたのは、前述のあらすじの大半である「清光尼庵室の段」が、舞台の殆どを占めており、その後、約45分くらいの「真柴久吉帰国行列の段」と「七勇士勢揃の段」が続いている。
政左衛門が、娘の深雪を、蘭の方の身代わりに、殺そうとする修羅場が見せ場で、結局断腸の思いで殺すのだが、実子を三法師の身代わりに立てて欺き続けて殺さらずを得なかった真柴には、すべて先刻承知と言うどんでん返しが面白い。
プログラムを買わなかったので、詳細は分からないのだが、大夫は、竹本友庄以外は、竹本姓の女性陣で、三味線もすべて鶴澤姓の女性陣が弾いていて、非常に新鮮で清々しい浄瑠璃を聴いた思いで、楽しませてもらった。
人形遣いは、最初から最後まで、黒衣で、出遣いはなく、主遣いの表情は分からなかった。
尤も、人形も、凄いテクニックと迫力で、いずれにしろ、私も元兵庫県人でもあるので、淡路で、これだけの素晴らしい古典民俗芸能が維持されていると言うのは、驚きでもあり喜びでもあった。

賤ヶ岳七本槍とは、天正十一年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が織田勢力を二分し 天下を賭けた戦いに於いて、功名をあげた秀吉方7人で、福島正則・加藤清正・加藤嘉明・平野長泰・脇坂安治 ・糟屋武則・片桐且元 を指す。
関ケ原の戦いにおいて、既に、豊臣方を離れている人物がいて興味深い。

上演方式など多少違いはあるのだが、私としては、いつもこの国立小劇場や大阪の国立文楽劇場で演じられる文楽協会の舞台と同じような感覚で楽しんだ。
このように洗練された高度な文楽が、淡路人形座で演じられていると言うのは、驚異でさえある。
以前に、淡路か徳島だったが、忘れてしまったが、「傾城阿波の鳴門」のおつるの舞台を観たのを覚えているのだが、これも、感銘深かった。
この淡路の人形芝居は、野外の広々とした客席の隅々まで観て楽しめるように、大きな人形を遣い、振りや動作など動きを大きくして、表現も誇張されていると言うのだが、確かに、人形のかしらも大きめで、表情がリアルであるのが面白いと思った。
淡路人形座のHPによると、「賤ヶ岳七本槍」のあらすじは、次の通り。
”柴田・真柴の戦いが続く中、鏡山の頂きにある清光尼(深雪)の庵室を政左衛門が訪ねる。両者の戦いを高みから見物すると言って遠眼鏡を据えさせる政左衛門であったが、意外にも深雪に強く還俗を求める。そこに久吉が三法師をつれて訪れ、蘭の方の首を早く渡すよう迫る。承諾した政左衛門はしばしの猶予を請い久吉を奥で待たせる。
一方、遠眼鏡でいくさの様子を見ていた腰元たちから勝久が見えると聞いた深雪は、恋情忍びがたく還俗を決意する。そこに政左衛門が現れ蘭の方は恩ある先代政左衛門の忘れ形見ゆえ殺すわけにはいかないと 述べ、身代わりになるよう説得するが、勝久に会いたい一心の深雪は拒否する。しかしやがて戦場から「勝久を討ち取った」という声が聞こえてきたので、失意とともに深雪は身代わりを受け入れ、政左衛門は深雪の首を討つ。政左衛門は、偽三法師を連れた久吉が小田家を乗っ取ろうとしているのではないかと疑うが、久吉は三法師に扮した実子の捨千代を討つ。肉親を殺し忠義を貫く久吉に政左衛門も心を許し、本物の三法師を託す。久吉は三法師を抱き馬に乗って堂々と安土に帰還する。”
今回上演されたのは、前述のあらすじの大半である「清光尼庵室の段」が、舞台の殆どを占めており、その後、約45分くらいの「真柴久吉帰国行列の段」と「七勇士勢揃の段」が続いている。
政左衛門が、娘の深雪を、蘭の方の身代わりに、殺そうとする修羅場が見せ場で、結局断腸の思いで殺すのだが、実子を三法師の身代わりに立てて欺き続けて殺さらずを得なかった真柴には、すべて先刻承知と言うどんでん返しが面白い。
プログラムを買わなかったので、詳細は分からないのだが、大夫は、竹本友庄以外は、竹本姓の女性陣で、三味線もすべて鶴澤姓の女性陣が弾いていて、非常に新鮮で清々しい浄瑠璃を聴いた思いで、楽しませてもらった。
人形遣いは、最初から最後まで、黒衣で、出遣いはなく、主遣いの表情は分からなかった。
尤も、人形も、凄いテクニックと迫力で、いずれにしろ、私も元兵庫県人でもあるので、淡路で、これだけの素晴らしい古典民俗芸能が維持されていると言うのは、驚きでもあり喜びでもあった。

賤ヶ岳七本槍とは、天正十一年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が織田勢力を二分し 天下を賭けた戦いに於いて、功名をあげた秀吉方7人で、福島正則・加藤清正・加藤嘉明・平野長泰・脇坂安治 ・糟屋武則・片桐且元 を指す。
関ケ原の戦いにおいて、既に、豊臣方を離れている人物がいて興味深い。

