熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・カノコユリにアゲハチョウ

2017年08月04日 | わが庭の歳時記
   カノコユリに、一羽のアゲハチョウが、戯れ始めた。
   四六時中、庭にいるわけではないので、このような情景に出くわすことは、あまりなく、カメラを取りに部屋に入って、帰ってきたころには、大概飛び去っている。
   小鳥の場合には、もっと、動きが俊敏なので、カメラが手元にあって、小鳥がやって来た時にしか、シャッターチャンスはない。
   助かるのは、最近のデジタルカメラは、オートフォーカスの精度が高いので、ピント合わせが、かなり、楽なことである。
   それに、ソフトが進歩しているので、パソコンで、かなり、写真を修整できることも幸いしている。
   ところで、接写して拡大すると、このアゲハチョウは、戯れているのではなく、はっきりと、黒い針金のような筒状の口吻を伸ばして、カノコユリの蜜を吸っているのが、よく分かって面白い。
   

   この鎌倉山の麓では、今でも、鶯が鳴いている。
   最近、不思議なのは、嫌われもののヒヨドリをあまり見なくなったことである。
   メジロが頻繁に庭を訪れてすぐに飛び去り、動きの鈍いスズメの子が、地面をつついている。
   最近、気づいたのだが、トンビが、上空で、ピーヒョロと鳴いている。
   宝塚の田舎にいた子供の頃、空高く舞い上がって、ピーチクパーチク鳴いていた揚げ雲雀を、見たことがないのだが、不思議である。

   さて、蝶々に戻るのだが、蝶の収集にヒマラヤやあっちこっちの秘境に行くと言う近所のご仁に聞いたら、この鎌倉には、42種か何かの蝶が居ると言う。
   私など、何種類かのアゲハチョウやモンシロチョウやモンキチョウ、シジミチョウなどと言った蝶くらいしか知らないので、そんなに沢山蝶々がいるとは不思議な気がしている。

   ところで、宇宙や人間の命などの不可思議さを考えれば、創造主が、いかなる生き物を創造されようとも、不思議ではない筈なのだが、このカノコユリやアゲハチョウのような綺麗なものを見ていると、その造形の美しさ緻密さなど、何故、このような素晴らしいものが、生まれ出たのか、いつも、しみじみと眺めながら感慨に耽っている。
   そして、その素晴らしい創造物が、美しいだけではなく、呼吸して息づいているのである。

   このような自然との対話と言うか、自然との呼吸の同期化を実感できるのは、ガーデニングをしている者の楽しみであり、至福の時間ではないかと思っている。
   
コメント
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