熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・狂言「鼻取相撲」・落語「花筏」・講談「谷風情相撲」

2017年08月25日 | 能・狂言
   タイトルは、逆にしたが、国立能楽堂の恒例の8月の企画公演で、能抜きの講談・落語・狂言の興味深い公演で、今回の共通テーマは、相撲であった。
   相撲は、古くからあって、古代には「節会相撲」、中世では「武家相撲」、近世では「勧進相撲」で、江戸時代の勧進相撲で、一般化したと言う。
   力士と言うサムライ士身分をあてられたのも、この頃からだと言うことである。

   ところで、講談(一龍齋貞山)の「谷風情相撲」は、ざっくばらんに言えば、江戸時代の大横綱の谷風梶之助が仕掛けた一世一代の八百長相撲の話である。
   浪花節でもあるようだが、落語の「佐野山」の方で、よく知られていると言えようか。
   十両の筆頭に上がってきた佐野山は小兵ながら親孝行で知られているのだが、母親が大病を患って看病するも治らず、極貧芋を羅うがごとき生活をしていて食もままならず連戦連敗しており、廃業が囁かれていたのを、見かねた谷風が、千穐楽に佐野山との取り組みを設定して負けると言う話である。
   天下一の人格者の谷風の佐野山を思っての情相撲だったので、誰も後ろ指を指すものはいなかったと言う美談である。
   一龍齋貞山の名調子が爽やかだったが、能楽堂の音響効果が合わなかったのか、私には、聞きづらかった。

   次の落語は、上方落語のトップスター南光の「花筏」。
   NHKの「バラエティー生活笑百科」で、仁鶴の室長補佐(サブ司会)として12年ぶりにレギュラー復帰しているが、仁鶴の後を継ぐのであろうか。
   千早赤阪村出身だと言うから、こてこての河内弁を喋っていたのであろう、典型的な関西人で、私など、摂津だが、関西を離れて海外や関東など殆ど関西とは縁切りの生活をしてきたが、語り口から雰囲気総てが、ぴったり来て、聞いていて実に楽しい。
   
   この「花筏」は、相撲の興行を請け負ったが、部屋の看板力士・大関花筏が病気になったので、窮地に立った親方に懇願されて、全く相撲に縁のない素人の提灯貼り職人が、顔が良く似ているからという理由だけで、代わりに地方巡業に出かけて行くと言う話である。
   病気なので土俵入りだけすればよく、後は、宿舎で好きなように飲み食いしておれば良いと言う条件で行くのだが、地元相撲で連戦連勝の千鳥ケ浜大五郎と名乗る網元のせがれと千穐楽で取り組まなければならなくなる。
   病気だと言いながら、毎日、大酒大飯食らいで、宿の女中に夜這いをかけたと言うのであるから、親方も断れなくなったのである。
   ところが、この大五郎も、親が賄賂を渡して倅に勝たせていたと聞いて、両者とも、相撲を取れば殺されてしまうと怖気づいて戦々恐々。
   両者、南無阿弥陀仏を唱えながら対戦するのだが、両方、後ろに転げる筈だったのだが、先に提灯屋の突きで、大五郎が倒れる。
   オチは、さすがは花筏。張り手は大したもんだ。
   張り(=貼り)手が上手いのは、提灯屋だから。

   南光は、ひとくさり、祝儀の話をしていた。
   昔、相撲の谷町が、某力士を会食に招待した時に、お相伴で招かれて出かけたのだが、帰りに、お車代として、力士は一束100万円で、「ごっつあんです」。自分は、3万円もらったが、タクシー代は5000円くらいなので、嬉しくて三拝九拝してお礼を言ったと言って、客を笑わせていた。
   えらいちがいでっせえ。とも。

   メインは、京都の茂山千五郎家の狂言・大蔵流「鼻取相撲」。
   シテ/大名 千三郎、アド/太郎冠者 あきら、アド/新参者 千五郎
   「蚊相撲」「文相撲」と同じで、大名が、太郎冠者に、新しい雇人をリクルートしに送り出し、連れて来た新参者が、相撲が得意なので、大名が相手になって相撲を取ると言う話である。
   今回は、相手が、鼻取相撲の取り手なので、知らない大名が面食らう。
   偉ぶった大名の千三郎、軽妙なタッチが何とも言えないあきら、堂々と受けて立って舞台を締める千五郎・・・流石に上手い芸巧者たちで、楽しませてくれた。
コメント
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