この本のサブタイトルが、”好奇心が「知恵」と「元気」を与えてくれる。”
私より、はるかに長く人生を送って来られた海外への草分けとも言うべきお二人のお姉さんが、旅について語ると言う本、
兼高かおるのテレビ番組「世界の旅」で、海外への夢を触発されたようなものだし、文学界きっての海外通である曾野綾子との対談であるから、中身を確かめずに、買って読んだ。
冒頭、苦しかった戦中・戦後の話がかなりあって、兼高さんが、ハワイ経由でアメリカへ留学したのは、1954年であるから、まず、経験したのは、異文化でのカルチャー・ショック、アメリカの豊かさから語り始めている。
曾野さんの初めての海外は、その少し後、女流作家の視察旅行で、インド、パキスタンなど東南アジアで、強烈なカルチャー・ショックは、インドのカースト制度の実態に触れたことだと言う。
誰でもそうだと思うが、海外に出て、びっくりするのは、異文化異文明下で、全く日本とは違った習慣や経験、風景などに接した時のカルチャー・ショックで、その落差が大きければ大きいほど、強烈な印象を与える。
曾野さんは、主に、米軍に接収された箱根宮ノ下の富士屋ホテルでの経験、夫君三浦朱門とのアメリカ生活、度々訪れたアフリカなどについて語っており、兼高さんは、「世界の旅」で、訪れた国は150か国と言うから、二人とも、異国で接したタブーの話など、日本人の常識をはるかに超えたカルチャー・ショック、日本とは全く違った海外での経験や思い出を語っていて非常に面白い。
私も、留学と海外赴任で海外生活14年、訪れた国は40か国を越えているので、それなりに異文化異文明に翻弄されて、苦しい経験もしているのだが、住んだのはアメリカからブラジル、オランダとイギリスと言った、かなり、知識の入っている先進国であった所為でもあろうか、それ程、強烈なカルチャー・ショックを感じて打ちのめされたと言う経験はない。
むしろ、その違いを楽しみながら、世界を歩いていたと言う思いの方が強い。
二人がアメリカでの大学生の生活について、アメリカ人の豊かな生活に比べて、学生たちは、質素で、どちらかと言えば貧しい生活を送っており、お金がなくても、どんなことでも楽しんでしまう、自由で心は豊かな生活を送って、大学生活をエンジョイしている。と語っている。
私の場合は、全米屈指のビジネス・スクール、ウォートン・スクールのMBA、すなわち、自分たちの将来のキャリアーが成績如何で殆ど決定してしまう大学院の2年間であるから、アメリカ人学生と言えども、かなり、勉強勉強で必死であったように思う。
友人のアメリカ人は、妻が働いて学校に通っていて、そのかわり、卒業すれば、妻が代わって大学院に入るのだと言っていた。
あの名作映画『ある愛の詩 Love Story』のように、アメリカの場合は、悲しくも切ない物語は例外ではなく、日本のように、子供に貢ぐ親バカが少ないので、必死に自活する学生が多いことは事実であると思う。今でも、学費の高騰などで、アメリカの若者たちの深刻な奨学金地獄が、前途を暗くしている。
「海外が身近になった1970年代」と言う章があった。
パン・アメリカンがジャンボを飛ばして、高価だった旅行代金が大幅に引き下げられて、海外旅行は一気に身近になって、農協はじめ団体旅行がブームになって、多くの日本人が世界へ飛び立った。と言うのである。
私が、留学のためにフィラデルフィアへ飛び立ったのは、1972年、羽田からであった。
学生ビザだが、米国政府指定の聖路加病院で検診を受けて、大判のレントゲン写真フィルムを持って、サンフランシスコ空港に降り立ったのだが、兼高さんも同じことを言っており、ホノルルでフィルムを渡したら待たされたて困ったと語っているが、私の場合には、見せろとも言われなかった。
確か、ずっと後、オランダからイギリスへ移住した時にも、同じような健康関連書類を示せと言われた記憶があるのだが、まだ、日本人を信用しないのであろうか。
このアメリカ在住中に、ヨーロッパ留学生の格安里帰りチャーター便に便乗して、家族を連れてヨーロッパの貧乏列車旅をしており、また、メキシコまで足を延ばしており、これから、幸も不幸も綯い交ぜの私の海外行脚が始まったのである。
さて、買い物で国際交渉術を鍛えると言って、曾野さんは、五分の一の法則で、インドシナで、1000ドルの壺を200ドルで買ったと言う。
私もこのブログで、度々アラビアの市場での商法や外国での土産物の買い方、先の中国旅行での値切り交渉などについて書いているが、実際に、これまで、値切り交渉をせずにモノを買って、随分損をしたと思っており、日本で買うよりは安かったであろうと慰めている。
ビジネスでは、タフ・ネゴーシエーションをしても、個人の買い物では、大した金額でもないし、と思って気が弱くなっている。
ところで、お二人の異国でのタブーに接した時の戸惑いや苦労話が、面白い。
日本の「当たり前」を疑う、理解できない習慣も沢山あるので、その国のタブーを知っておくことが大切だと言うのだが、それが、そんなに生易しいことなら苦労はしない。
言葉が違うように、歴史や依って立つ伝統や習慣が違うのであるから、どこへ行ってもどんなに長く住んでも、所詮は日本人であって、絶対に、現地人のようにはなれないし振舞える筈がない。
お二人の結論は、日本人のマナーは超一流であるから、日本人は誇りをもってよく、少し気を付けて丁寧な立ち居振る舞いを心がければよい。と言うことである。
さて、この本のほんの一部しかコメントできなかったが、実に、タフな国際人と言おうか、世界のどこへ出しても引けを取らない素晴らしいコスモポリタンのタフなお姉さんがおられると言うだけでも元気の出る、面白い本であったことを付記して置く。
私より、はるかに長く人生を送って来られた海外への草分けとも言うべきお二人のお姉さんが、旅について語ると言う本、
兼高かおるのテレビ番組「世界の旅」で、海外への夢を触発されたようなものだし、文学界きっての海外通である曾野綾子との対談であるから、中身を確かめずに、買って読んだ。
冒頭、苦しかった戦中・戦後の話がかなりあって、兼高さんが、ハワイ経由でアメリカへ留学したのは、1954年であるから、まず、経験したのは、異文化でのカルチャー・ショック、アメリカの豊かさから語り始めている。
曾野さんの初めての海外は、その少し後、女流作家の視察旅行で、インド、パキスタンなど東南アジアで、強烈なカルチャー・ショックは、インドのカースト制度の実態に触れたことだと言う。
誰でもそうだと思うが、海外に出て、びっくりするのは、異文化異文明下で、全く日本とは違った習慣や経験、風景などに接した時のカルチャー・ショックで、その落差が大きければ大きいほど、強烈な印象を与える。
曾野さんは、主に、米軍に接収された箱根宮ノ下の富士屋ホテルでの経験、夫君三浦朱門とのアメリカ生活、度々訪れたアフリカなどについて語っており、兼高さんは、「世界の旅」で、訪れた国は150か国と言うから、二人とも、異国で接したタブーの話など、日本人の常識をはるかに超えたカルチャー・ショック、日本とは全く違った海外での経験や思い出を語っていて非常に面白い。
私も、留学と海外赴任で海外生活14年、訪れた国は40か国を越えているので、それなりに異文化異文明に翻弄されて、苦しい経験もしているのだが、住んだのはアメリカからブラジル、オランダとイギリスと言った、かなり、知識の入っている先進国であった所為でもあろうか、それ程、強烈なカルチャー・ショックを感じて打ちのめされたと言う経験はない。
むしろ、その違いを楽しみながら、世界を歩いていたと言う思いの方が強い。
二人がアメリカでの大学生の生活について、アメリカ人の豊かな生活に比べて、学生たちは、質素で、どちらかと言えば貧しい生活を送っており、お金がなくても、どんなことでも楽しんでしまう、自由で心は豊かな生活を送って、大学生活をエンジョイしている。と語っている。
私の場合は、全米屈指のビジネス・スクール、ウォートン・スクールのMBA、すなわち、自分たちの将来のキャリアーが成績如何で殆ど決定してしまう大学院の2年間であるから、アメリカ人学生と言えども、かなり、勉強勉強で必死であったように思う。
友人のアメリカ人は、妻が働いて学校に通っていて、そのかわり、卒業すれば、妻が代わって大学院に入るのだと言っていた。
あの名作映画『ある愛の詩 Love Story』のように、アメリカの場合は、悲しくも切ない物語は例外ではなく、日本のように、子供に貢ぐ親バカが少ないので、必死に自活する学生が多いことは事実であると思う。今でも、学費の高騰などで、アメリカの若者たちの深刻な奨学金地獄が、前途を暗くしている。
「海外が身近になった1970年代」と言う章があった。
パン・アメリカンがジャンボを飛ばして、高価だった旅行代金が大幅に引き下げられて、海外旅行は一気に身近になって、農協はじめ団体旅行がブームになって、多くの日本人が世界へ飛び立った。と言うのである。
私が、留学のためにフィラデルフィアへ飛び立ったのは、1972年、羽田からであった。
学生ビザだが、米国政府指定の聖路加病院で検診を受けて、大判のレントゲン写真フィルムを持って、サンフランシスコ空港に降り立ったのだが、兼高さんも同じことを言っており、ホノルルでフィルムを渡したら待たされたて困ったと語っているが、私の場合には、見せろとも言われなかった。
確か、ずっと後、オランダからイギリスへ移住した時にも、同じような健康関連書類を示せと言われた記憶があるのだが、まだ、日本人を信用しないのであろうか。
このアメリカ在住中に、ヨーロッパ留学生の格安里帰りチャーター便に便乗して、家族を連れてヨーロッパの貧乏列車旅をしており、また、メキシコまで足を延ばしており、これから、幸も不幸も綯い交ぜの私の海外行脚が始まったのである。
さて、買い物で国際交渉術を鍛えると言って、曾野さんは、五分の一の法則で、インドシナで、1000ドルの壺を200ドルで買ったと言う。
私もこのブログで、度々アラビアの市場での商法や外国での土産物の買い方、先の中国旅行での値切り交渉などについて書いているが、実際に、これまで、値切り交渉をせずにモノを買って、随分損をしたと思っており、日本で買うよりは安かったであろうと慰めている。
ビジネスでは、タフ・ネゴーシエーションをしても、個人の買い物では、大した金額でもないし、と思って気が弱くなっている。
ところで、お二人の異国でのタブーに接した時の戸惑いや苦労話が、面白い。
日本の「当たり前」を疑う、理解できない習慣も沢山あるので、その国のタブーを知っておくことが大切だと言うのだが、それが、そんなに生易しいことなら苦労はしない。
言葉が違うように、歴史や依って立つ伝統や習慣が違うのであるから、どこへ行ってもどんなに長く住んでも、所詮は日本人であって、絶対に、現地人のようにはなれないし振舞える筈がない。
お二人の結論は、日本人のマナーは超一流であるから、日本人は誇りをもってよく、少し気を付けて丁寧な立ち居振る舞いを心がければよい。と言うことである。
さて、この本のほんの一部しかコメントできなかったが、実に、タフな国際人と言おうか、世界のどこへ出しても引けを取らない素晴らしいコスモポリタンのタフなお姉さんがおられると言うだけでも元気の出る、面白い本であったことを付記して置く。