熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

孫の幼稚園と保育園の運動会

2017年10月18日 | 鎌倉・湘南日記
   土曜日と今日の水曜日、孫の運動会があった。
   本当は、両方とも土曜日に予定されていたのだが、雨のために、上の孫息子6歳の幼稚園の運動会が、二転三転、唯一の晴天日である今日に順延されたのである。
   孫娘1歳の方は、最寄りの小学校の体育館を借りて実施されたので、両方の運動会に、どうして掛け持って参加できるか、母親の娘は苦慮していたので、幸い雨のために、両方とも別の日となって助かったのである。

   両方の孫の朝晩の送り迎えは、祖父たる私の担当で、観劇や何かの用事が出来て東京などに出かけたりしない時は、大体、日に二回、両方を往復する。
   幼稚園は、ダウンしてアップする坂道で、保育園の方は、ダウンする坂道で、落差は2~30メートルはあるであろう。返りは逆である。
   鎌倉は山勝ちで殆ど平地がなく、我が家は、鎌倉山の斜面の西鎌倉山に位置するので、とにかく、坂道が多くて、アップダウンが激しい。
   両方を送り迎えすると、夫々、1キロ弱の道のりなので、8000歩弱なのだが、アップダウンが激しいので、気候に依ってはかなりきつい。
   スクールバスゾーンではなく、近隣の関係上車はダメ(尤も、私の場合は、運転免許証を返納したので問題外」)で、自転車は娘に禁止されているので、結局、歩いて、乳母車を押して、送り迎えせざるを得ないのである。
   いずれにしろ、良い運動になるし、趣味と実益を兼ねて、元気なうちは、やり続けようと思っている。

   そう言うわけで、幼稚園にも保育園にも、非常に緊密に付き合っているので、孫の運動会だと言っても、知らぬ顔は出来ないので、当然、最優先で、行くことになる。
   娘たちの運動会に行ったかどうか、全く記憶はないのだが、殆ど行けてなかったように思うが、今は、子供の大学の入学式や卒業式に、両親、時には、祖父母まで行くと言うから、時代が変わったのであろう。

   さて、私が孫の運動会に行くと言っても、要するに、記録写真係である。
   最近は、ピアノ発表会などでは、写真禁止で、プロが入って写真やDVDを発売する形式となっており、幼稚園でも、この運動会もそうだが、合宿やイベントによっては、プロの写真家が入って、インターネットで販売しているケースが多くなっている。
   下手でもどうでもよく、親にしてみれば、自分で子供の写真を写したいと思うのが人情で、他人の迷惑さえなければ、プロ任せはどうかと思う。
   ところで、子供の運動会となると、それなりのビデオやカメラを使用しており、流石に、スマホで写真を撮っている人は少なかった。
   いくら、子供の運動会写真を撮ると言っても、やはり、望遠ズームレンズを使って連写できるカメラが必要だと思うのだが、どうも、皆がそうと言うわけではなく、やはり、プロの写真家の記録写真の需要が強いのであろうと思う。

   私が、多少、驚きながら見ているのは、保育園や幼稚園の運動会と言っても、馬鹿には出来ない程、内容豊かでソフィスティケートであり、相当、手の込んだプログラムを組んでいて、我々の子供の時の小学校の運動会と比べても、進歩のほどは著しい。
   就学前の年長組などは、既に、しっかりした子供たちであるから、相当なことは何でもできる感じで、我々敬老者へのバッジの作成や運動会のプログラムの作成、飾りつけなどは園児たちがやったようだし、運動会のプログラムの大半は、プチ小学校運動会とも言った感じで、それ程、差を感じさせないように思った。
   1歳半の孫娘など、母親の付き添いではあるが、踏台やトンネルなど障害を越えて、プールで魚を釣ると言うのをやっていたが、一等賞でニコニコしながら、釣竿を突き出しながら先生に飛び込んで行ったのには、一寸、感動であった。
   まず、我々の子供の頃の1歳児の感覚とは様変わりである。

   子供は、3歳までが勝負だと言われているが、よく分からずに、私自身も、娘たちに対しても、過ごしてきたように思うのだが、この頃、幼稚園や保育園に出入りして、孫たちの生活や成長ぶりを見ていると、子供たちにとって、如何に、幼稚園や保育園が、重要な役割を果たしているかが、よく分かる。
   鎌倉にも、待機児童がいるようだが、これは、母親の働き支援と言うことも重要だが、子供の成長のためには、絶対、入園の門前払いはやってはならないと思う。
   そのためには、教育費の無償化も大切だが、幼児教育環境を抜本的に整備して、そして、従事する人たちの待遇を一挙にアップすることであろう。
   最低賃金のアップもそうだが、絶対必要な部門への待遇アップは、政治のみが出来る伝家の宝刀であり、富裕層やITに振り回されて大きく正義からスキューしてしまったこの社会を如何に変えられるか、今度の選挙の課題の一つである。
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