歌舞伎「マハーバーラタ戦記」を観る前に、予備知識をと思って、マハーバーラタの翻訳者である著者のこの新書を読んだ。
膨大な説話の内、八話を選んで、解説付きで収載されていて、バラエティに富んだ話なので、大分雰囲気が分かって、参考になった。
第一話は、シャクンタラーの物語。
大勢の友を引き連れて狩りに来た月氏族のドシャンタ王が、美しい聖仙カンバの娘シャクンタラーにゾッコン惚れて辛抱堪らず、父の留守中に、口説きに口説いて、ガンタルヴァ方式で結婚し、生まれた子が男なら跡取りにすると約束して帰国する。
ところが、ドンファンの常で、待てど暮らせど、後はなしのつぶて。
6歳になった偉丈夫に育った息子を伴って、シャクンタラーは登城して、王に面会するが、王は、知らぬ存ぜず、帰れとケンモホロロ。
しかし、シャクンタラーは、王の瞳の奥に密かな動揺が隠されていたのを見逃さず、理路整然と王の道、王たるものの振舞いについて滔々と説き、分からなければ帰ると踵を返すと、王母が、理を悟って王を説得して、ハッピーエンド。
私が、まず、冒頭から感心したのは、何千年も前の古代インドにおいて、権力者である王を前にして、堂々と論陣を張って遣り込める女性がいたと言う事実である。
そして、人の上に立つ王の倫理道徳、人の道が理路整然と説かれていたこと。
尤も、そうであるから、ヒンズー教の重要な聖典なのであるのだが。
第二話は、創造主もお手上げ。
大の女好きで鳴り響いているインドラ神が、聖仙の妻で絶世の美女ルチーに横恋慕。
聖仙は、留守中に、インドラ神から、妻ルチーを守るように、弟子のピプラに命令するのだが、一計を案じたピプラは、彼女の膣内に潜入して、インドラ神を撃退する。
著者のコメントでは、
インドラ神は、自然信仰時代の神だからセックスが好きなのは当然、人類は物心ついてから女も男も”ヤッテバカリ”なのだ。それが、何かの拍子で徳性を磨きはじめ、天界の神々の脅威となったので、神々は人間の徳性をなんとかしてくれとブラフマー大神に泣きついたので、大神は男女に区別を設けた。しかし、あらゆる点で、女は男を凌駕しており、そこから、男女の関係はぐじゃぐじゃになったと言う。
とにかく、このインドの神々は、実に自由奔放に生きている感じで、人間の方が特性が高いと言うのであるから、何をか況やである。
女神がいるのかいないのかは知らないが、女好きの神々が多いから、神と人間との間の子供がどんどん増えて行くのが面白い。
「教訓その一」天然自然の営みとしての強烈な肉欲と怒りを与えられた女に、男は所詮かなわず、女には従うべき経典の定めもないほどに偉大な所感覚が備わっている。太陽の熱と言う本性を誰も所有できぬように、女の本性そのものを男は所有できないのだ。
と言うのだが、はてさて、どう言う事であろうか。
いずれにしろ、NHKの世界ニュースを見ていると、インドでの女性に対する性的虐待やセクハラ被害の凄まじさが目を引くのだが、古代インドとは、男女関係は大違いと言うことであろうか。
第三話は、今回の歌舞伎「マハーバーラタ戦記」で、賭博で、国も王妃もすべて失った百合守良王子(ユリシュラ)と同じように、悪魔の神が乗り移ってすべてを賭博で失って弟に城を簒奪されるニシャダ国のナラ王とダマヤンティー王妃の純愛物語である。
無一文になって裸同然で夫ナラ王に見捨てられたダマヤンティーが、たった一人で彷徨う冒険譚で、菩薩の様に清らかで健気な女の鏡とも言うべきダマヤンティーの生き様が清々しい物語で、この本で最も紙幅を割いている。
この話も、インドの女性賛歌の物語であるのが、興味深い。
第四話は、性の化身。
若い旅のバラモン僧が、一夜泊めてもらった家の老婦人に誘惑されて迫られて、性に目覚めると言う話だが、この老婦人が、「性の化身」であると言うのがミソ。
第五話は、マハーバーラタは核兵器で終結した!
双方合わせて800万の軍勢は、「ブラフマシラス」と言う新兵器で一瞬にして灰となると言う話。
大量殺戮を繰り返して人類は滅びる、と言う古代インドの予言であろうか。
興味深いのは、第七話の「最上の贈物」。
王に、最上の贈物は何かと聞かれて、インドラ神が、最上は、土地だと答えた後に、次に最上なのは、牝牛だと言って、あらゆる故事来歴や神話を引いて、牝牛や乳牛にまつわる話を滔々と説く。
ダクシャと言う生類創造神のゲップからスラビ(豊穣の牛)が現れて世界の繁栄を導いた。などと言う話だが、これを読むと、何故、インドでは、牛が聖なる生き物であるかと言うことが分かって面白い。
第六話は、禿鷹とジャッカル。
子の死を悼む親族が、この死骸もろとも、禿鷹とジャッカルに食い殺されると言う話。
最後の第八話は、ヒンズー教徒が一番怖がったナーガ(族)。
この叙事詩は、ナーガ(キングコブラ)をやっつける逸話から始まっているようだが、アーリア人のインド侵攻に一番抵抗した原住民が、ナーガ族だったと言うから、この話も当然かもしれない。
ナーガのほかに、ガルダの話があって面白い。
今回は、この本に収載されている説話について触れただけだが、とにかく、アラビアンナイトを読んでいるようで面白い。
神話と言えば、ギリシャ神話を一寸かじった位だが、おそらく、大体大らかで、ある意味では、天衣無縫なのであろうと思うと興味深い。
膨大な説話の内、八話を選んで、解説付きで収載されていて、バラエティに富んだ話なので、大分雰囲気が分かって、参考になった。
第一話は、シャクンタラーの物語。
大勢の友を引き連れて狩りに来た月氏族のドシャンタ王が、美しい聖仙カンバの娘シャクンタラーにゾッコン惚れて辛抱堪らず、父の留守中に、口説きに口説いて、ガンタルヴァ方式で結婚し、生まれた子が男なら跡取りにすると約束して帰国する。
ところが、ドンファンの常で、待てど暮らせど、後はなしのつぶて。
6歳になった偉丈夫に育った息子を伴って、シャクンタラーは登城して、王に面会するが、王は、知らぬ存ぜず、帰れとケンモホロロ。
しかし、シャクンタラーは、王の瞳の奥に密かな動揺が隠されていたのを見逃さず、理路整然と王の道、王たるものの振舞いについて滔々と説き、分からなければ帰ると踵を返すと、王母が、理を悟って王を説得して、ハッピーエンド。
私が、まず、冒頭から感心したのは、何千年も前の古代インドにおいて、権力者である王を前にして、堂々と論陣を張って遣り込める女性がいたと言う事実である。
そして、人の上に立つ王の倫理道徳、人の道が理路整然と説かれていたこと。
尤も、そうであるから、ヒンズー教の重要な聖典なのであるのだが。
第二話は、創造主もお手上げ。
大の女好きで鳴り響いているインドラ神が、聖仙の妻で絶世の美女ルチーに横恋慕。
聖仙は、留守中に、インドラ神から、妻ルチーを守るように、弟子のピプラに命令するのだが、一計を案じたピプラは、彼女の膣内に潜入して、インドラ神を撃退する。
著者のコメントでは、
インドラ神は、自然信仰時代の神だからセックスが好きなのは当然、人類は物心ついてから女も男も”ヤッテバカリ”なのだ。それが、何かの拍子で徳性を磨きはじめ、天界の神々の脅威となったので、神々は人間の徳性をなんとかしてくれとブラフマー大神に泣きついたので、大神は男女に区別を設けた。しかし、あらゆる点で、女は男を凌駕しており、そこから、男女の関係はぐじゃぐじゃになったと言う。
とにかく、このインドの神々は、実に自由奔放に生きている感じで、人間の方が特性が高いと言うのであるから、何をか況やである。
女神がいるのかいないのかは知らないが、女好きの神々が多いから、神と人間との間の子供がどんどん増えて行くのが面白い。
「教訓その一」天然自然の営みとしての強烈な肉欲と怒りを与えられた女に、男は所詮かなわず、女には従うべき経典の定めもないほどに偉大な所感覚が備わっている。太陽の熱と言う本性を誰も所有できぬように、女の本性そのものを男は所有できないのだ。
と言うのだが、はてさて、どう言う事であろうか。
いずれにしろ、NHKの世界ニュースを見ていると、インドでの女性に対する性的虐待やセクハラ被害の凄まじさが目を引くのだが、古代インドとは、男女関係は大違いと言うことであろうか。
第三話は、今回の歌舞伎「マハーバーラタ戦記」で、賭博で、国も王妃もすべて失った百合守良王子(ユリシュラ)と同じように、悪魔の神が乗り移ってすべてを賭博で失って弟に城を簒奪されるニシャダ国のナラ王とダマヤンティー王妃の純愛物語である。
無一文になって裸同然で夫ナラ王に見捨てられたダマヤンティーが、たった一人で彷徨う冒険譚で、菩薩の様に清らかで健気な女の鏡とも言うべきダマヤンティーの生き様が清々しい物語で、この本で最も紙幅を割いている。
この話も、インドの女性賛歌の物語であるのが、興味深い。
第四話は、性の化身。
若い旅のバラモン僧が、一夜泊めてもらった家の老婦人に誘惑されて迫られて、性に目覚めると言う話だが、この老婦人が、「性の化身」であると言うのがミソ。
第五話は、マハーバーラタは核兵器で終結した!
双方合わせて800万の軍勢は、「ブラフマシラス」と言う新兵器で一瞬にして灰となると言う話。
大量殺戮を繰り返して人類は滅びる、と言う古代インドの予言であろうか。
興味深いのは、第七話の「最上の贈物」。
王に、最上の贈物は何かと聞かれて、インドラ神が、最上は、土地だと答えた後に、次に最上なのは、牝牛だと言って、あらゆる故事来歴や神話を引いて、牝牛や乳牛にまつわる話を滔々と説く。
ダクシャと言う生類創造神のゲップからスラビ(豊穣の牛)が現れて世界の繁栄を導いた。などと言う話だが、これを読むと、何故、インドでは、牛が聖なる生き物であるかと言うことが分かって面白い。
第六話は、禿鷹とジャッカル。
子の死を悼む親族が、この死骸もろとも、禿鷹とジャッカルに食い殺されると言う話。
最後の第八話は、ヒンズー教徒が一番怖がったナーガ(族)。
この叙事詩は、ナーガ(キングコブラ)をやっつける逸話から始まっているようだが、アーリア人のインド侵攻に一番抵抗した原住民が、ナーガ族だったと言うから、この話も当然かもしれない。
ナーガのほかに、ガルダの話があって面白い。
今回は、この本に収載されている説話について触れただけだが、とにかく、アラビアンナイトを読んでいるようで面白い。
神話と言えば、ギリシャ神話を一寸かじった位だが、おそらく、大体大らかで、ある意味では、天衣無縫なのであろうと思うと興味深い。