熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

九州の神楽が響舞する 〜國學院大學

2017年10月08日 | 能・狂言
   國學院大學の百周年記念講堂で、「九州の神楽が響舞する」が上演されたので、鑑賞する機会を得た。
   福岡の京築神楽と宮崎の西米良神楽が上演され、その前に、夫々の神楽の魅力や特色について、民俗芸能学会の久野隆志氏と國學院の小川直之教授の解説があって、延々3時間以上に及ぶ、非常に意欲的な素晴らしい神楽が執り行われた。
   能や狂言のオリジンは、神楽であり、猿楽、田楽を経て、室町時代に、観阿弥世阿弥によって大成され、江戸幕府による式楽制度に依って、一気に日本の古典芸能のトップに上りつめたのであるが、元々、神に奉納する芸能であり、日本人の心のよりどころでもあった。

   子供の時に、祖父に連れられて、よく、三輪の大神神社に参っていたので、微かに神楽の記憶はあるが、今の私の神楽認識は、神社の巫女さんが、鈴を振りながら厳かに舞うと言う程度の印象しかなく、本格的な神楽に接したことがなかった。
   今回、見せてもらった神楽は、神社の儀式的なものは別として、プログラムに組み込まれた神楽の夫々には、立派な目的とテーマがあって、笛、太鼓、鉦の楽に乗って演じられる舞踊劇であって、立派なパーフォーマンスアーツなので、驚くと同時に、楽しませて貰った。

   特に、京築神楽の「御先」などは、正に、上質の芝居の舞台を観ているような感じであった。
   天照大神の孫・邇邇芸命が豊葦原中国に降臨した時、出迎えた猿田彦大神の形相が凄まじかったので、鬼神と間違えられて、荒ぶる猿田彦を、高木神が鎮めて封じ込む、と言うテーマの神楽である。
   猿田彦は、おおべしみのような厳つい威厳のある面をつけ、能の衣装と見まがうばかりの素晴らしい出立で、同じく能装束に似て盛装した高木神と、丁々発止の戦いで、勇壮な舞を披露する。
   舞台狭しとくんずほぐれつ、時には流れるように美しく、舞うが如く激しく演じており、歌舞伎で言う見得と思しき絵の様なシーンの数々は、観ていて感動的でさえあった。

   前半の「御福」は、4人が神棚の前で、神々を称賛する詞や歌を謡いながら、神降ろしの舞を舞うのは、神社の儀式的なパーフォーマンスだが、太鼓、笛、鉦の楽が調和して美しい。
   この舞台は、夫々、30分以上に及ぶのだが、もうこうなれば、立派な舞台芸術である。
   40年途絶えていたのを、平成14年に復活したと言うのだが、古老の記憶が頼りであったであろうが、日本の地方文化の素晴らしき伝統と実力は捨てたものではないと思った。

   後半の西米良神楽は、宮崎の越野尾と小川村の2団体の響舞で、もっと神聖の勝った神楽で、穢れなき清らかさの象徴か、舞い手の衣装は全員「白衣白袴」。
   厳粛な儀式的な神楽もあれば、剣の舞や弓将軍と言った勇壮な神楽もあり、33種もあると言うのだが、とにかく、簡素だが優雅で美しい。
   漆黒の闇の中、満天に輝く星空にくっきりと流れる天の川の下で、境内の舞台だけが明るく浮かび上がって、楽の音に乗って、厳かに神楽が舞い続けられると言う。

   驚いたのは、小川神楽などは、集落の人口が90余人で、舞台に登場した人が21人。
   どうして、宮崎と熊本の県境の山間の寒村で、このような途轍もない神楽が、保存されて演じられ続けているのか、驚きを通り越して、驚異でさえある。

   能の原点を観たくて、今回の鑑賞機会を得たのだが、日本人の信仰や古典芸能について、改めて、考えさせられた。
   西米良の特産品が即売されて客で賑わっていたが、必死の町おこし村おこしを感じて、地方の元気印を垣間見た。
   帰りに、渋谷の繁華街に立ち寄ったが、前に向かって進めないくらいの雑踏。東京一極集中の悲劇を、もう、ボツボツ真剣に考えなければならないと思う。
   
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