熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」

2018年06月02日 | 映画
   山田洋次監督作品「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」
   寅さん映画の延長線上にある「家族」をテーマにした作品で、いわば、日本の国民映画と言った位置づけであろうか。
   
   今回の主題は、主婦・史枝の家出で、家族崩壊の危機!?
   家事に疲れて、つい安楽椅子で休んでいて居眠りした隙に、泥棒が入って、コツコツ貯めていたへそくりが盗まれた。夫・幸之助から「俺が香港でタフなネゴ中に居眠りして、その上、俺の稼いだ金でへそくりをしていたのか!」と辛らつな嫌味に攻められて、我慢も限界に達した史枝は家を飛びだす。肝心な時に、富子が腰痛で寝込んでしまい、掃除、洗濯、風呂掃除、朝昼晩の食事の準備等々、やったことのない家事を父・周造たちが肩代わりするも大混乱で、主婦の消えた家族の日常生活はままならず無残そのもので、家族会議も空転して崩壊寸前で、子供たちも両親の離婚の危機に胸を痛める。

   ところで、現実問題だが、私など、家事と言っても、掃除洗濯は、機械がやるので造作ないとして、スーパーなどの買い物は殆どやっているものの、後はゴミ出しくらいで、料理と言えば、昔、テレビで田崎真也が紹介した、キングサーモンをブルーベリーと醤油で味付けしたワイン漬けを料理することくらいで何もできない。
   尤も、どうしたのか記憶が定かではないのだが、フィラデルフィアでのウォートン・スクール留学時代には、半自炊をしていたのだから、やろうと思えば、出来るのかも知れないが、今は、小1と保育園の孫二人の面倒見や家事一切を家内がやっており、どう考えても、肩代わりなどは、私には出来ない。

  核となる家族は変わらず、
  平田周造 ( 橋爪功)富子(周造の妻- 吉行和子)
  平田幸之助(周造・富子の長男- 西村まさ彦)史枝(幸之助の妻- 夏川結衣)
  金井成子(周造・富子の長女- 中嶋朋子)泰蔵(成子の夫- 林家正蔵)
  平田庄太(周造・富子の二男- 妻夫木聡)憲子(庄太の妻- 蒼井優)
  平田謙一(幸之助の長男- 中村鷹之資)信介(幸之助の二男 - 丸山歩夢)
  

  かよ(周造行きつけ酒屋のおかみ)風吹ジュンや文学塾講師高村の木場勝己は変わらないのだが、
  小林稔侍、笹野高史、笑福亭鶴瓶は、各映画ごとに役を変わって登場して達者な味のある芸を披露している。
  今回は、立川志らくが、現場検証に来た刑事で登場し、林家正蔵と、同じ落語家同士で、落語チック(?)な会話を交わしていて、そのホンワカした雰囲気が非常に良かった。
  中国に居た頃から父親の聞く落語放送に興味を持って面白かったと語っていた監督の原点が垣間見えて興味深い。
  藤山寛美の孫藤山扇治郎が、大阪弁を喋るお巡りさんとして登場していた。
  中村富十郎の長男中村鷹之資が、雄々しく成長して立派に演じている姿を見ていると、67歳の時の子供で早く逝ってしまった父親としてどう思うか、感無量であろうと思うと感に堪えない。

   山田監督も言っていたが、金井成子の中嶋朋子が、兄幸之助に意見したり追いかけて行ったりした時に、感極まって幼い頃に戻ったのであろう、「お兄ちゃん」と呼びかける台詞が3~4回続けて飛び出したが、さくらを思い出して懐かしかった。
   この映画で、史枝が家を飛び出した田舎の雰囲気や柴又の帝釈天の風景なども、もう、あの懐かしい寅さん映画のシーンで、嬉しくなった。
   何回も書いてきたが、寅さん映画に入れ込んだのは、オランダに住んでいた頃で、日本への行き帰りのJAL便、アムステルダムのホテルオークラでの映画会、日本からのビデオなどでファンとなり、家内と娘二人も、いわば、寅さん映画で、日本を感じてヨーロッパ生活を送ってきたようなものであった。
   その後、イギリスへ移っても、日本への出張時に、殆どすべての寅さん映画のビデオやレーザーディスクを買って帰って、結局、全編鑑賞しており、今でも、NHKのBSで録画したものも含めて、沢山のこっている。

   さて、史枝のへそくりを、自分一人で稼いだ金だと言って、弟庄太に窘められるのだが、経済学的に、妻の働きが、国民所得計算、すなわち、GDPに参入されないところに問題がある。
   GDP計算されれば、妻の主婦業の生産価値・付加価値は、夫の仕事と甲乙つけがたい程、高い筈である。
   妻の果たす役割だが、掃除、洗濯、食事、病気や子供の世話等々、夫婦生活も含めて殆ど四六時中働きづめだが、これに似た同じ仕事を外注すると、それ相応のコストがかかるのだが、それらは、GDP計算に反映される。
   この主婦の仕事がGDPに加算されない不備は、半世紀以上も前にサミュエルソンが指摘していたのだが、尤も、主婦の仕事だけではなく、アルビン・トフラーがコインしたプロシューマー(生産消費者)の膨大な経済活動もGDPの埒外で、GDPの概念そのものが、市場経済の反映のみであり、実際の生産価値・付加価値を表現するには、不備も良いところなのである。

   話が変な方向にそれてしまったが、この映画を見ていて、誰もが思い当たることがあり、身につまされたり、うなずいたり・・・見ている人の笑い声が絶えず、特に、女性陣の反応が豊かで、してやったりと言うところであろうか。
   最後に、土砂降りの雨をついて自家用車で妻を迎えに行った幸之助が、史枝の手を握って、「俺にはお前が必要なんだ。」
   香港で、土産に買ってきた土産のスカーフを開くと、「薔薇の花」
   「妻よ薔薇のように」!!!
コメント
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