この本は、1941年にヘンリー・ルースが発した「アメリカの世紀」に触発されて書かれた感じで、絶えず、ルースならどう考えるかと自問しながら、その後の暴力の世紀を展望しており、非常に興味深い。
ルースが激賞した「民主主義の論理」「法の下における自由」「機会均等」と言う、アメリカ独立宣言、憲法、権利章典で謳われている価値は、今や、普遍的なものだが、果たして、現状はどうかと言うことである。
さて、ダワーの指摘で興味深ったのは、アメリカには、第二次世界大戦の勝利感や正義感には、戦後まもなく、それとは裏腹に、深くて永続的な恐怖感と言う暗鬱で矛盾に満ちた側面があって、物質的にはあらゆる面で自信過剰で圧倒的に強大でありながら、他方では、容易に消滅するようなものでない病的に異常に満ちた怯えと不安に苛まれていた。と言うことである。
不気味な存在である敵に対する恐怖は、大規模な軍事機構を保持すべきと言う考えに政治的支援を確保する呼び水となり、高レベルのこの種の不安は、政治家と大衆を見方につけておく支配装置の役割を果たしてきた。と言うのである。
アメリカにとって、20世紀の大戦争はすべて海外の戦争であって、1941年の真珠湾攻撃など少数の例外を除いて、自国の土地で戦闘を行なったり砲撃に晒されると言った苦悩を舐める経験がなかった。
したがって、9.11事件で、ニューヨークの世界貿易センターと国防総省ビルがアルカイダの攻撃を受けて、アメリカ人が、どれほど異常な精神的ショックを受けたか、この9.11に対する一般的な反応は、第二次世界大戦開戦への反応を即座に思い出させ、「第三次世界大戦」へ突入したのかと言う議論を始めたと言う。
アメリカは、9.11事件に対して強烈な軍事的な反応を示して、その後、「テロとの世界戦争」「海外緊急軍事活動」「長期戦争」「永久戦争」戦略を打ち続けて、
アメリカ軍は、アフガニスタンとイラクと言った小国で泥沼にのめり込み、中東圏のパキスタン、シリア、リビア、イエメン、ソマリアでも、終わりのない紛争に関わっている。
この中東圏の紛争を見れば、過去の国家間紛争と似たように思えるが、実際には、様変わりで、
このような国家の名前の背後には、そのような国家を保護している諸国家、代理戦争、代理軍隊、反乱軍、対抗するテロリストや凖軍隊の組織、派閥間の憎悪、部族・民族間紛争、明白な犯罪行為や汚職行為などと言った狂気じみた実態が隠されていて、この混沌とした状態を見ると、誰が誰と何のために戦っているのかさえ、さっぱりわからないし、解決の見込みさえ全く見えない。
アメリカは、たった1回の9.11と言うテロ事件に対して高慢で大袈裟な反応を示して、強大な「国家安全保障国家」を作り上げて、国家を永続的に凖戦争状態に置き、民主主義に政治的危害を与えている。
強烈な恐怖意識によって構築された「国家安全保障国家」体制ゆえに、アメリカは、巨額の戦費の浪費のみならず、将来何十年にもわたる負債を負い続けなければならない。と言うのである。
この本で、ダワーは、多方面にわたって興味深い論陣を張っているが、経済学が専攻の私には、軍事の民営化が気になった。
「テロリズム」に対する被害妄想で、警戒監視への強迫観念を生み出し、軍事費の削減の影響もあるのであろうが、戦略転換で、アメリカ軍事史にかって見られなかったような激しい度合いで、利益を追求する企業に下請けさせることを通して、傭兵を雇うと言ったことも含めて、「民営化」されるようになった。と指摘している。
これまでにも、イラクなどで、軍人以外の米軍要員が、軍事トラブルを起こしたと報道されていたので、知ってはいたが、ダワーの指摘では、下請けと言った簡単な状態ではなく、かなり、程度が進んでいて、アイゼンハワーの「軍産複合体」とは、ニュアンスの差があるにしろ、経済に与える影響は軽微ではなかろうし、アメリカの軍事戦略や戦術にも影響を当たるだろうと思うので、注視すべきである。
ルースが激賞した「民主主義の論理」「法の下における自由」「機会均等」と言う、アメリカ独立宣言、憲法、権利章典で謳われている価値は、今や、普遍的なものだが、果たして、現状はどうかと言うことである。
さて、ダワーの指摘で興味深ったのは、アメリカには、第二次世界大戦の勝利感や正義感には、戦後まもなく、それとは裏腹に、深くて永続的な恐怖感と言う暗鬱で矛盾に満ちた側面があって、物質的にはあらゆる面で自信過剰で圧倒的に強大でありながら、他方では、容易に消滅するようなものでない病的に異常に満ちた怯えと不安に苛まれていた。と言うことである。
不気味な存在である敵に対する恐怖は、大規模な軍事機構を保持すべきと言う考えに政治的支援を確保する呼び水となり、高レベルのこの種の不安は、政治家と大衆を見方につけておく支配装置の役割を果たしてきた。と言うのである。
アメリカにとって、20世紀の大戦争はすべて海外の戦争であって、1941年の真珠湾攻撃など少数の例外を除いて、自国の土地で戦闘を行なったり砲撃に晒されると言った苦悩を舐める経験がなかった。
したがって、9.11事件で、ニューヨークの世界貿易センターと国防総省ビルがアルカイダの攻撃を受けて、アメリカ人が、どれほど異常な精神的ショックを受けたか、この9.11に対する一般的な反応は、第二次世界大戦開戦への反応を即座に思い出させ、「第三次世界大戦」へ突入したのかと言う議論を始めたと言う。
アメリカは、9.11事件に対して強烈な軍事的な反応を示して、その後、「テロとの世界戦争」「海外緊急軍事活動」「長期戦争」「永久戦争」戦略を打ち続けて、
アメリカ軍は、アフガニスタンとイラクと言った小国で泥沼にのめり込み、中東圏のパキスタン、シリア、リビア、イエメン、ソマリアでも、終わりのない紛争に関わっている。
この中東圏の紛争を見れば、過去の国家間紛争と似たように思えるが、実際には、様変わりで、
このような国家の名前の背後には、そのような国家を保護している諸国家、代理戦争、代理軍隊、反乱軍、対抗するテロリストや凖軍隊の組織、派閥間の憎悪、部族・民族間紛争、明白な犯罪行為や汚職行為などと言った狂気じみた実態が隠されていて、この混沌とした状態を見ると、誰が誰と何のために戦っているのかさえ、さっぱりわからないし、解決の見込みさえ全く見えない。
アメリカは、たった1回の9.11と言うテロ事件に対して高慢で大袈裟な反応を示して、強大な「国家安全保障国家」を作り上げて、国家を永続的に凖戦争状態に置き、民主主義に政治的危害を与えている。
強烈な恐怖意識によって構築された「国家安全保障国家」体制ゆえに、アメリカは、巨額の戦費の浪費のみならず、将来何十年にもわたる負債を負い続けなければならない。と言うのである。
この本で、ダワーは、多方面にわたって興味深い論陣を張っているが、経済学が専攻の私には、軍事の民営化が気になった。
「テロリズム」に対する被害妄想で、警戒監視への強迫観念を生み出し、軍事費の削減の影響もあるのであろうが、戦略転換で、アメリカ軍事史にかって見られなかったような激しい度合いで、利益を追求する企業に下請けさせることを通して、傭兵を雇うと言ったことも含めて、「民営化」されるようになった。と指摘している。
これまでにも、イラクなどで、軍人以外の米軍要員が、軍事トラブルを起こしたと報道されていたので、知ってはいたが、ダワーの指摘では、下請けと言った簡単な状態ではなく、かなり、程度が進んでいて、アイゼンハワーの「軍産複合体」とは、ニュアンスの差があるにしろ、経済に与える影響は軽微ではなかろうし、アメリカの軍事戦略や戦術にも影響を当たるだろうと思うので、注視すべきである。