熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・「夏祭浪花鑑」

2018年06月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部は、
  一、夏祭浪花鑑 鳥居前 三婦内 長町裏

団七九郎兵衛 吉右衛門
お辰 雀右衛門
一寸徳兵衛 錦之助
お梶 菊之助
下剃三吉 松江
玉島磯之丞 種之助
傾城琴浦 米吉
団七伜市松 寺嶋和史
大鳥佐賀右衛門 吉之丞
三河屋義平次 橘三郎
堤藤内 桂三
釣船三婦 歌六
おつぎ 東蔵


   宇野信夫 作 大場正昭 演出
   二、巷談宵宮雨
     深川黒江町寺門前虎鰒の太十宅の場より深川丸太橋の場まで

龍達 芝翫
虎鰒の太十 松緑
おとら 児太郎
おとま 梅花
薬売勝蔵 橘太郎
徳兵衛 松江
おいち 雀右衛門

  夏祭浪花鑑は、1745年8月に大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃で、その後歌舞伎化された。
   全九段の通し狂言だが、今日では、今回の舞台のように、三段目「住吉鳥居前」・六段目「釣船三婦内」・七段目「長町裏」が通して上演されており、それなりに、きっちりとした歌舞伎になっている。
   この舞台の主人公であ団七九郎兵衛は、浮浪児であったのを三河屋義平次に育てられて、娘のお梶と所帯を持って子供も生まれて、堺で行商の魚屋をしている。義侠心が強く、老侠客釣船三婦らとつきあっていて、恩人の泉州浜田家家臣玉島兵太夫の息子磯之丞の危難を救うため、大鳥佐賀右衛門の中間を殺したので、入牢となるのだが、
   今回の舞台は、兵太夫の尽力で、団七が、住吉鳥居前で、釈放されるところから始まる。
   「釣船三婦内」では、徳兵衛女房お辰が国許に帰るための暇乞いに来たので、三婦の女房おつぎが、磯之丞を一緒につれて帰ってほしいと頼むのだが、三婦が「色気があり過ぎてダメだ」と言ったので、、妾の顔が立たぬと焼き鏝を己の頬にあて美貌を醜くしてしまい、女ながらに気風の良さ心意気を示す壮絶なシーンがある。
   そして、義平次が駕籠を従えて門口に現れ、団七に頼まれて磯之丞の愛人琴浦を引き取りに来たと言って、琴浦を駕籠に乗せて連れて行く。後に来た団七は、お辰から事情を聞かいて、琴浦に執心の佐賀右衛門が欲深い義平次を使って琴浦を攫う算段だと悟って、急いで駕籠のあとを追う。
   「長町裏」では、堺筋の東側にある長町裏で、団七は駕籠に追いつき義平次を詰り琴浦を返すよう懇願するが、断られて散々悪態をつかれて、団七の雪駄で額を打たれて眉間に傷を負わせられたので堪忍袋の緒が切れて争ううちに、義平次を殺してしまう。

   さて、この「夏祭浪花鑑」だが、大坂を舞台にした浄瑠璃・歌舞伎で、このブログでは、海老蔵と吉右衛門の団七の舞台について、書いている。
   夫々、素晴らしい舞台であって感激して観たので、それはそれでよかった。
   しかし、何も大坂に拘ることもないのだが、この時にも書いたので引用すると、
   天神祭の頃の大阪の盛夏は、耐えられない程むし暑いのだが、この歌舞伎の題名が、夏祭浪速鑑と銘打った以上、あの地面の底から湧きあがってくるようなムンムンした気が狂いそうな程のむし暑さを滲みだせなければ、舞台のイメージが出てこないのではないかと言うことで、江戸のアウトローを主人公にした侠客物とは違って、この舞台のように侠気のある市井の平凡な庶民を主人公に仕立てた人間臭い、それにしてどこか粋な雰囲気を醸し出した土壌あっての作品だと思うからである。
   悪い人でも舅は親。南無阿弥陀仏。凄惨な親子の殺戮劇の後の団七の言葉だが、正気を逸して気が狂っても当然かも知れないと思えるほど暑くて耐えられない、どろどろした大阪の大地と空気の香りが滲み出て来なければ、この芝居の良さは分からないような気がしている。
   それに、団七と義平次の殺戮の場では、塀の向こうを、だんじり囃子に乗ってだんじりや山車が通り過ぎて行く演出の冴えなど、正に、夏祭の雰囲気がムンムンして、宵宮の太鼓かつぎの連中が、団七をその輪の中に巻き込んで行くシーンなど、正気と狂気とを綯い交ぜにした舞台であり、効果抜群である。

   ところで、私は、吉右衛門の舞台で、好きなのは、終幕の刺青と赤褌の団七の華麗な舞うように演じて絵になる見得づくしの殺戮の舞台よりも、序幕の牢から釈放された無残な冴えない犯罪人が、住吉神社の境内に店を出す髪結床に入って男を上げて颯爽と再登場する変わり目の鮮やかさで、これで、一挙に舞台展開が見えて、ストーリーが本筋に入る。
   この店の暖簾に、播磨屋の家紋が描かれていて、その家紋をつけた浴衣姿のいい男が団七なのである。

   前に見た吉右衛門の舞台では、一寸徳兵衛を仁左衛門、傾城琴浦を孝太郎が演じており、やはり、大阪弁の雰囲気は格別であった。
   先の仁左衛門が、上方色の乏しい東京の役者の舞台を見て、藤十郎(当時扇雀)に、「上方歌舞伎の冒涜や、あんさん手本に、団七をやっておくれやす」と指示したとかウイキベディアに書かれてあるのを読んだのだが、こてこての大阪弁尽くしの「夏祭浪花」を観たいと思っている。
   
   その意味では、大阪弁で語られて、本拠地を大阪に置く文楽での「夏祭浪花鑑」は、一味も二味も違って、また別な素晴らしさがあって良い。
   東京での舞台は、少なくて、このブログでは2回しか記録はないのだが、2回とも、徳兵衛の女房お辰は簔助で、火鉢で真っ赤になった鉄弓で顔を焼くシーンでは、身体を張って生きている任侠の女房としての心意気、気丈夫なお辰の心の揺れを実に鮮やかに人形に託して演じて感動した。
   桐竹勘十郎の団七と吉田玉也の義平次との殺戮シーンは凄かったし、釣船三婦は桐竹紋寿、一寸徳兵衛は吉田玉女が遣っていた。
   6年前の舞台では、玉女の団七と勘十郎の義平次で、二人の井戸端での殺戮シーンの迫力は流石であったし、釣船三婦を遣った桐竹紋寿の風格も凄かったが、残念ながら、もう見られなくなってしまった。

   「巷談宵宮雨」は、初めて観る歌舞伎で、面白かった。
   龍達は女犯の罪で寺を追われた妙蓮寺の住職だった龍達を演じた芝翫が、実に上手かった。
   虎鰒の太十の松緑と、おいちの雀右衛門の息のあった夫婦のドタバタ模様も秀逸。
   怪奇めいた結末が興味深い。

コメント
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