熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「雲雀山」

2018年06月13日 | 能・狂言
   能「雲雀山」は、初めて観る能であった。

   ストーリーは非常にシンプルで、物売りの芸能が主体なので、狂女物として扱われて、四番目物。
  横佩(ワキ/森常好)右大臣豊成は、人の讒言を信じて娘の中将姫(子方/岡桃果)を雲雀山に捨てて殺させようとするが、忠義な家臣(ワキツレ/森常太郎)と乳母(前シテ/岡久広)が、姫を匿って養育する。雲雀山に狩りに出た豊成は、姫を養うため、歌をおもしろく歌って花を売る女(後シテ/岡久広)に出あって、その女を乳母の侍従と分かって、養育しているのを聞き知っていたので、会わせろと迫る。父は、自分の浅はかな振る舞いを悔いたので、乳母は、姫と再会させる。


   ウイキペデイアによると、継母である照夜の前に憎まれ折檻などの虐待を受け、14歳の時、父の豊成が諸国巡視の旅に出かけると、照夜の前は、今度は家臣に中将姫の殺害を命じる。しかし、命乞いをせず、亡き実母への供養を怠らない、極楽浄土へ召されることをのみ祈り読経を続ける中将姫を、家臣は殺める事が出来ず、雲雀山の青蓮寺へと隠す。翌年、豊成が見つけて連れ戻す。と書かれており、この逸話が、能「雲雀山」作曲の元になっているのであろう。
   中将姫は、美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出され、百官の前で琴を演奏し、賞賛を受け、13歳の時に、三位中将の位を持つ内侍となり、16歳の時、淳仁天皇より、後宮へ入るように望まれたと言う程有名人であったので、能「雲雀山」の世界とは縁遠い筈なので、能のテーマとしての常套手段の一つ、親子の生き別れと再会、を踏襲して、このようなストーリー展開となって、さらに、中将姫を一途に思い続ける乳母を狂女風の花売りに仕立てて、非常にカラフルで花尽くしの美しい謡を鏤めて、能の世界を作り上げたのであろう。
  
   解説の田中貴子教授は、花売りと言えば「大原女」を思うと言って、花売りは、元は薪売りであったと、色々説明されていたが、私は、マイ・フェア・レディのコベントガーデンのイライザを思っていた。
   室内装飾は勿論のこと、イベントの度毎に、花飾りを楽しみ、プレゼントには花を選ぶなど、何時でも花が主人公となっている欧米人とは違って、日本人は、仏事などの花のイメージが強くて、一寸、花への姿勢が違うので、この能のように、花売りが前面に出て、サブテーマになっているのは、珍しいのではないかと言う気がしている。

   さて、若い頃に、私自身、何度か、中将姫が尼となって入山したと言う二上山の山麓にある当麻寺を訪れているのだが、京都や奈良の古社寺からは一寸離れたところにあるお寺なので、行く度ごとに、改まった気持ちになって、由緒ある境内の佇まいの静けさが印象に残っている。
   特に、優雅で美しい国宝の西塔と東塔の三重塔が好きで、これを見たくて行っていたと言う気がするのだが、塔頭の一室でお茶をいっぷく頂きながら憩う一時も楽しかった。
   中将姫が織り上げたと言われている「当麻曼荼羅」は、本物か複製か、記憶は定かではないのだが、どこかで、見たように思う。
   相撲の祖と言われている野見宿禰と当麻蹴速に関係する遺跡があるのも、この当麻であり、けはやの塚が、駅から当麻寺への街道沿いにあった。


   能は、想像を逞しくして、謡を拝聴すべきであろうが、やはり、雑念であろうとも、何でも良いから、知らないよりは知っている方が良いのではないかと、無理に思っている。
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