熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

橋爪 大三郎他著「おどろきの中国」(1)

2018年06月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   社会学者橋爪 大三郎、大澤 真幸、宮台 真司の鼎談による中国論で、これまで読んでいた経済や政治的、軍事的観点からの中国ではない、一寸切り口の代わった視点からの話なので、結構興味深く読んだ。

   まず、冒頭第1章の「中国とはそもそも何か」について、考えてみたい。
   最初に問題としたいのは、中国は国家なのかと言うことについて、中国は、EUに似ていると言う論点である。
   しかし、ヨーロッパは、やっと今になってEUとなって纏まりかけているのは、アルプスがあり地中海があり地勢が複雑で移動のコストが高すぎる交通の困難にあったからで、中国は、フラットで、戦争もやり易く、政治的統合のコストが安くて、戦争の不幸な経験を清算して一つの政権に統一すべきだと人々の意思統一が出来上がって、二千年以上も前に、中国が生まれた。のだと言うのだが、このタイミングの問題である。
   ずっと昔から、ローマが、ブリテン島の奥深くまで進行して、バイキングが地中海に攻め込み、スペイン王朝やナポレオンなど国家横断的な版図拡大もあったし、とにかく、国境は天気図のように移動を続け、それに、民族の大移動が頻繁に行われていたヨーロッパで、地勢的な複雑さが、ヨーロッパの統一を妨げたと言う話は、全く納得がいかない程可笑しな論旨だと言うことである。
   チベットやウイグル地区では、紛争が絶えないが、これは、異民族地域であって、中原の本土の大部分は中華民族地域であり易姓革命などで支配者は変わっても変化のない中国とは違って、ヨーロッパの場合には、宗教はキリスト教であろうとも、民族や文化や歴史的背景が大きく異なっていて、国民感情や利害の対立など相容れない要素が多すぎて、統一できなかったと考えた方が、筋が通っていると思う。

   例えば、これは、私の8年間のヨーロッパ在住経験からだが、あの1時間車を走らせれば、どこからでも国境を越えてしまう小さなオランダでさえ、地方間の言葉などが違っていて、トップ建設会社の社長が、8つの別々な支店を置かなければ仕事にならないと言っていた程であり、オランダの領土の中にベルギーの飛び地があって、同じ長屋でも国境を挟むと、ガス水道電気など公共サービスは、夫々の国が行っていると言った信じられないような状態であった。
   このケースをヨーロッパ全土に置き換えれば、五万と異質な異文明異文化のモザイク模様が、ヨーロッパを分断している筈であろう。
   イギリスに5年住んでいたが、イギリスの友人の中には、ヨーロッパ人だと思っている人は非常に少なかったし、連合王国4か国の国民意識、独自意識は非常に強く、特に、スコットランド人などイギリス人だとさえ思っていなかったし、独立心が非常に強かった。

   イギリス以外に、スペインのバルセロナやバスクなどの独立運動を筆頭に、ロシアや東欧を含めて、ヨーロッパ中で、民族の対立軋轢が頻発していて、いつ爆発しても不思議でない程、ヨーロッパには、国家間、民族間の親和力が欠如していて、民族自決意識が強い。
   二度の不幸な世界大戦の惨禍を二度と繰り返すまいと犬猿の仲の独仏が主導してEUが誕生し、競ってヨーロッパの国々が参加して、疑似国家連合体のEUが存在するが、これも、思想的な心情が先行し、かつ、経済的な利点を享受できると期待しての参加国のEUであり、所詮は、政治統合しない限り成功の見込みのないEUで、その見込み薄であることを考えれば、ユーロの破綻は勿論のこと、EUの崩壊の可能性さえ考えざるを得ない。
   Brexitやヨーロッパ全土で吹き荒れている反EUのポピュリズムのうねりなどの台頭は必然だと言えようか。
   人為的に成立したEUそのものの方が、異質であったと考えるべきであっただろうと思う。
   もう一度言う。何を考えて、中国とEUとは、同じだ似ていると言う発想が出てくるのか。

   さて、面白い本だと思って読み始めたが、冒頭から、躓いてしまった。
   中国については、専門家であっても、グローバルな地政学を論じるには、バランスの取れた知見が必要であり、とにかく、現地感覚皆無での異国文明論の展開は、非常に神経を使うと言うことであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする