熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「のみとり侍」

2018年06月04日 | 映画
   とにかく、面白い映画で、「お犬様」と言うのも奇天烈だが、「猫の蚤取り稼業」とは。
   江戸の珍商売と言うことだが、大坂なら、もっと面白い商売があったのであろう。

   ストーリーは、
   越後長岡藩のエリート藩士・小林寛之進(阿部寛)は、藩主・牧野備前守忠精(松重豊)の和歌を良寛作だと言って機嫌を損ねて、猫ののみとりを命じられる。猫ののみとりとは、猫ののみを取るのではなく、床で女性に愛を届ける裏稼業であった。寛之進は、切羽詰まって、のみとりの親分・甚兵衛(風間杜夫)とその妻・お鈴(大竹しのぶ)の元で働く。寺子屋を開いて子供たちに無償で読み書きを教える極貧の浪人佐伯友之介(斎藤工)や長屋の人々、のみとり屋の同僚などの助けを借り、“のみとり”を始める。最初のお得意が、亡き妻・千鶴にそっくりのおみね(寺島しのぶ)で、何も分からず相手をして、「下手くそ!」と罵られて落ち込む。偶然、妻・おちえ(前田敦子)に浮気を封じられた恐妻家で色事師・清兵衛(豊川悦司)に出あって、女の喜ばせ方の指南を受ける。しかし、一人前になった寛之進だが、老中・田沼意次(桂文枝)が失脚すると、急遽“のみとり”禁止令が出て、寛之進は、犯罪者として捕縛されて川っぷちにさらされる。
   藩の恥さらしとして藩主の前に引き出されて、沙汰を待つが、意外にも、清廉潔白な寛之進が、同僚に命を狙われていたので、のみとりとして助けるために追放していたので、悪家老たち獅子身中の虫を成敗して綱紀粛正のための役に任じられる。お手打ちを覚悟して諦めていたおみねと共に城を退出する。

   大の男が、派手だが品のない着物をひっかけて、隊列を組んで、「猫の蚤取りましょう」と通りを練り歩き、客の女性に呼び止められて、部屋に入って行く。
   遊郭とは違って、至ってオープンだが、インターネットをいくら叩いて調べても、猫の蚤取り商売はあったようだが、この女性に奉仕すると言う裏稼業の説明は探せなかった。
   江戸時代のペットの9割は猫だったと言うことであるが、この映画でも出ていたように、フカフカの毛皮を猫にかぶせて、乗り移った蚤を取ると言う商売が、結構繁盛したと言うのだが、これが、元祖の「猫の蚤取り」。
   「親孝行でござ~い」と言って流した親孝行屋もあったと言うから、あの田沼意次の時代には、奇天烈極まりない大道商人がいたとかで、何でもありであったのであろう、大らかな時代であった。
   この田沼意次を演じるのが、桂文枝で、道中、賂商人を一人一人呼んで怪しげな会話を交わし、囲い人おみねが蚤取り侍と戯れているところに乗り込んできて、寛之進に意見するなど、悪辣さエゲツナサ、その片鱗を見せて面白い。

   それに、出色の出来は、いかがわしいのみとりの元締めの甚兵衛(風間杜夫)とその妻・お鈴(大竹しのぶ)夫婦の名うての蚤取り連中を操るコミカルタッチの強かさとそのユーモア、
   同じく監督の鶴橋康夫の「後妻業の女」で、大竹しのぶと素晴らしい芸を見せた清兵衛の豊川悦司の色事師ぶり、
   R-15指定の映画で、寛之進とおみねと同様に、甚兵衛も美女と派手な濡れ場を演じるのだが、渡辺淳一作品の映画と違って、画面ぼやかしシーンはないので、至って健康的(?)。

   よく考えてみれば、これは、寛之進とおみねのラブストーリーでもあり、
   寺子屋の主・極貧の浪人佐伯友之介(斎藤工)や誠意のある医師宋庵 (伊武雅刀)などの赤ひげのような善人の登場など一服の清涼剤であり、
   そして、誠実に一生懸命生きている心優しい長屋の住人や子供たちの温かくて優しい眼差しも、この映画のサブテーマであって、見逃せない。
   それに反して、権力者とそれに靡いて追従する人間たちの群像は、誰が悪いのか小学生でも知っている、どこかのモラル欠如の知的後進国の縮図そっくり。悲しい人間のsagaを感じて心が塞ぐ。

   それに、また、この映画は、東洲斎写楽のイメージを暗示していて、別な面から江戸文化を感じさせてくれて、興味深い。
   
コメント
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