熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジャレド・ダイアモンド著「歴史は実験できるのか」奴隷貿易のアフリカへの影響

2018年09月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のネイサン・ナン教授の「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」は非常に興味深い論考であった。
   2008年のThe Quarterly Journal of Economicsに掲載されたNathan Nunn の”The Long-term Effects of Africa's Slave Trades ”と同じなので、Harvard Universityから原文をコピーして読んでみた。
   結論は、 I find a robust negative relationship between the number of slaves exported from a country and current economic performance. To better understand if the relationship is causal, I examine the historical evidence on selection into the slave trades and use instrumental variables. Together the evidence suggests that the slave trades had an adverse effect on economic development.
   後述する。

   歴史の自然実験に基ずく論文集の一環なので、過酷な奴隷貿易とアフリカ各地域の経済状況とを、非常に緻密な統計分析で実施しているのだが、今回は、その手法やアプローチには触れずに、この調査から判明した非常に重要な結論について論じてみたいと思う。
   世界史を勉強しておれば、当然、アフリカからの奴隷貿易については、それなりの知見を得るのだが、私の場合、群馬県立女子大学で、ブラジル学の講座を持った時に、三角貿易について、この奴隷貿易など、相当突っ込んで調べたので、非常に興味を感じて、この論文を読ませて貰った。

   さて、ネイサン・ナンの結論だが、奴隷貿易が、その後のアフリカの経済発展に悪影響を及ぼしたのは明白で、特に多くの奴隷が連れ去られた地域は、今日のアフリカでも最も貧しい地域であることが確認されており、奴隷貿易の影響は驚くほど大きかった。
   奴隷貿易が行われなかった場合、世界最悪ではなく、アフリカ諸国の所得の平均値は、他の途上国と同じレベルで、4世紀にわたって盛んにおこなわれた奴隷貿易が、今日のアフリカの発展を遅らせた大きな原因である。と断じている。

   それでは、奴隷貿易と今日の経済の発展状況との関係にある根底にある因果関係だが、過激な奴隷狩りや奴隷の確保が、アフリカの秩序を維持していた大きな民族集団や多くの共同体の編成を妨げて、今日のアフリカで民族の多様性のレベルが高くなったことが、開発が極単に遅れ貧弱な実績となった原因である証拠が揃っていると言う。
   奴隷の捕獲だが、奴隷は戦争や襲撃の際に捕獲されるのが最も一般的だったのだが、需要が増加すると、以前は同盟関係にあったり取引を行うなど関係のあった村まで襲撃したり、共同体の内部でも、知人友人は勿論、家族や自分の子供までも売り払うと言った状態に至り、
   ヨーロッパ人や奴隷商人も、内部抗争を焚きつけるために一役買ったり、村や国の中でも強力な集団と戦略的な同盟を結んで奴隷を連れ去った。
   内部抗争が発生すると政治が不安定となり、かって存在していた統治形態は崩壊し、後は、仲間を売り飛ばした襲撃者が小さな集団(バンド)を結成することが多いのだが、この時出現した国家を治めた軍事特権階級は、組織は小規模で不安定な状態であった。と言うのである。
   
   パトリック・マニングが、「奴隷制度は、窃盗、賄賂、暴力の行使、策略といった要素がそなわっている。したがって、今日蔓延する腐敗の起源は植民地時代以前にあって、奴隷制度は、原因の一つだと考えても良いだろう。」と言っており、ジョセフ・イニコリが、アフリカの奴隷貿易が齎した長期的な結果として「アフリカでは、経済の進行プロセスが開発から遠ざかり、未開発と他者への依存に向かってしまった。」と言っている。
   奴隷貿易が、アフリカ社会の制度や社会構造にもたらした悪影響については、海外の奴隷需要が政治を不安定にさせ、国家を弱体化させ、政治や社会の分裂を招き、最後に国内の法制度の悪化に繋がった。と多くの研究が断じている。
   
   南北アメリカに向かった太平洋経由の奴隷貿易で、奴隷が最も多く送りだされたのは、奴隷海岸(トーゴ、ベニン、ナイジェリア)、アフリカ中西部(コンゴ共和国、アンゴラ)、黄金海岸(ガーナ)であり、世界的な最貧国である。
   過去に連れ去られた奴隷の人数が多い国ほど、2000年の所得は低く、逆に、その数が少ない国ほど、今日の所得は高くなっていて、奴隷の売買と現在の所得は強い逆相関となっている。

   ところが、非常に興味深いのは、最も発展の遅れていた地域で奴隷貿易が盛んだったのかと言うと、そうではなく、最も発展していた地域で起こったと言うのである。
   当初、ヨーロッパとアフリカの間で主に取引されていたのは、奴隷ではなくて合法的なもので、アフリカでヨーロッパと積極的に貿易を行なえるのは、十分に発展した社会に限られていた。
   地中海からアフリカの沿岸沿いに南下して貿易相手を探していたポルトガルが、中央政権国家で自国通貨を持ち、市場も貿易網を十分発展していたガーナに遭遇したのである。(ガーナは、アンゴラの360万人に、続いて、二位160万人の奴隷が連れ去られている。)
   ここで、興味深いのは、ナン教授は経済学者であり、当時の社会はマルサスの学説が当て嵌まる状態で、物質的な進歩が実現すれば、それは所得の増加ではなく、人口の増加と言う形で反映されて、人口密度と連れ去られた奴隷の数とは正の相関関係」だと指摘している。
   奴隷貿易が始まったのは、ポルトガルが、プランテーションで膨大な労働力が必要となってからで、大航海時代の幕開けと呼応しており、ヨーロッパ列強の雪崩を打った新世界への進出とともに、一気に活気づいたのである。
   
   人類の起源は、アフリカで生まれた女性ルーシーだと言われており、このルーシーの子孫が、海越え山越えて、世界へ伝播して今日の人類社会を築き上げた。
   アフリカのことについては、書きたいことが沢山あるのだが、今回は、ナン・ハーバード大学教授の学説の紹介にとどめておきたいと思う。
   
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