熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・開場35周年記念公演「翁」「井筒」「乱」

2018年09月06日 | 能・狂言
   本格的には、今月から始まる国立能楽堂の《開場35周年記念公演》の初日は、「翁」で始まる次のプログラム。

   翁(おきな)  金剛 永謹(金剛流)
    松竹風流(まつたけのふりゅう) 大藏 彌太郎(大蔵流)
   能  井筒(いづつ) 物著(ものぎ)  観世 清和(観世流)
   能  乱(みだれ) 置壺(おきつぼ)   片山九郎右衛門(観世流)

   金剛永謹宗家の金剛流『翁』は、2011年と2016年の式能で、これまで、2回、鑑賞している。
   *「翁」上演中の入退場は出来ませんので、ご了承ください。と言うことだが、遅刻常習犯の私は、2回、「翁」をミスっていて、
   春日神社の特別な演出で、「式三番」の原型とされる翁(白式尉)、三番三(黒式尉)に父を加えた「父尉延命冠者」の形式で演じられる金春流の特別公演の時も、この日は風が強くて東横線が動かず遅れて、国立能楽堂でモニーターで観ざるを得なかった残念な経験がある。
   遅れて困った思い出はいくらでもあるが、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、「ばらの騎士」で、1幕に入場できずに、パバロッティのイタリア人歌手を聴けず、地下室のぼけたモニターで見たことなどなど、飛行機の国際線でも何度も遅れたことがあるが、よくも無事に生きていると思うことが時々ある。
   そんなわけで、今回は、30分も余裕をもって、出かけたのだが、こんな時に限って、特別な感慨がないのが面白い。

   金剛永謹宗家の「翁」の威厳と風格は格別で、あの柔和で優しい白式尉の翁面をかけて舞台で舞い始めると、大らかで人間らしい雰囲気を醸しだしながら、神羅万象悉く靡いて、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣言わずもがな、すべての幸せを引き寄せる神性を帯びた「翁」を舞って崇高な時間空間を作り出す。
   やはり、「翁」は、演者総てが精進潔斎して舞台に立つ、能にあって能にあらず、と言うことがよく分かって、感動的である。

   この「翁」は、上掛りと違って、面箱持と千歳が一人の狂言方(野村忠三郎)が務めており、翁舞の後、翁だけが退場する。

   今回の「翁」で、特に興味深かったのは、大蔵流の狂言「松竹風流」が、翁帰りの後、演じられたことで、「狂言一声」の囃子となって、松の精(大藏彌太郎)と竹の精(山本泰太郎)が登場して、風流千歳(善竹富太郎)との問答で目出度い由来を述べて舞い納めて、退場し、その後、何時もの通り、三番三(野村千五郎)が舞うのである。
   「松竹風流」は、晴れの催しに限り「翁」に挿入される特別演式とかで、この能楽堂の開場初日にも演じられたと言う。
   橋掛かりに、人間国宝山本東次郎以下10人の風流地謡の雄姿も舞台を荘厳して素晴らしい。

   千五郎の満を持しての三番三が、素晴らしい。
   緩急自在、「鈴ノ段」など、セーブにセーブを重ね切り詰めた究極の舞を追求しながら一気に頂点を目指して舞い続ける、地霊を呼び起こして豊穣を願う農耕民族の祈りを昇華すれば、こうなるのであろう。
   大藏彌右衛門宗家と大藏吉次郎師が後見を務めていたのが、印象に残っている。
   この舞台の写真を、国立能楽堂の写真を借りると次の通り。
   

   観世清和宗家の能「井筒」は、優雅で美しく、後場の序ノ舞の素晴らしさは感動的。
   今回の「井筒」は、特殊演出「物着」によって、シテは中入りせずに、舞台後方で扮装を改め、アイも登場しないので、アイ狂言もない。
   正先に、角に一叢、本物の薄をつけた作り物が置かれていて、後場で、後シテ紀有常の娘が、これを井戸に見立てて覗き込み、業平の衣装を身に着けた自分の姿を映して、昔を懐旧する。
   地頭に梅若実、小鼓に大倉源次郎、大鼓に亀井忠雄と言った人間国宝が座を占め、華を添えていた。

   ところで、この能「井筒」は、伊勢物語の第二十三段を中心にして、歌を、第十七段と第二十四段から取って脚色した物語だが、綺麗にストーリー化されている。
   この段の(一)筒井つの と (二)かなしき心化粧 までは、殆ど同じだが、最後の(三)河内のくに高安の女 は省略されているのが面白い。
   昔は、妻の家への通い婚であったので、有常が亡くなって経済的に困ったので、業平は、高安の女に入れ込んだのだが、最初は魅力的であったのだが、その後、気になって行って見ると、馴れ馴れしくなって、自分で飯匙を持ってご飯を盛っているのを見て、すっかり嫌気がさして行かなくなったと言うのである。
   高安の女は、何度も恋焦がれて手紙を出すのだが、ナシのつぶて。

   学生の頃、平家物語と源氏物語を愛読して、伊勢物語など眼中にはなかったのだが、能を見始めてから、少しずつ勉強して、和歌の理解には格好なのであろうが、結構、難しい古典であることが分かってきた。。

   観世流能「乱」は、「猩々」の特殊演出だとか。
   前に、シテ井上裕久、ワキ工藤和哉ほかの観世流能「大瓶猩々」を観たことがある。
   酒好きの猩々たち5人が、舞台上で、優雅に群舞する変わった趣向の能で、江戸時代の綱吉の頃に作曲されたと言う。

   この「乱」だが、富貴の酒屋高風(ワキ/宝生欣哉)が、いくら酒を飲んでも顔色一つ変えない猩々(シテ/片山九郎右衛門)を待っていると、現れて酒を飲み、遊舞を存分に舞って、高風の孝行の徳を誉め、汲めども尽きぬ酒壺を与えると言う話。
   40分ほどの短い能だが、幼児のような可愛い猩々の面で勇壮な出で立ちをしたシテの舞う乱舞が面白い。
  

   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする