熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・文楽「南都二月堂 良弁杉由来」

2018年09月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   実に崇高な感動的な人形浄瑠璃である。
   この浄瑠璃は、明治150年記念作品として上演されており、石山寺の開基として崇拝されている良弁僧正の伝記を脚色した明治期新作浄瑠璃の佳作であり、ストーリーもモダンで極めてストレートであるから、当然であろう。

   菅原の臣水無瀬の後室渚の方は、茶摘み見物の時、遺児光丸を鷲にさらわれ、狂気してわが子を探して諸国を流浪の果て、30年後、淀の船上で、鷲にさらわれたと言う東大寺の良弁僧正の話を聞き、一縷の望みを胸に東大寺に彷徨い辿り着き、親切な伴僧の助力によって、二月堂の杉の大木にわが子を探す貼紙を張り付け置いたところ、二月堂を訪れた良弁僧正がその張り紙に気づき、その主を尋ねると、年老いた女乞食が現れ、話の内容と子供の身に着けておいた家伝の如意輪観音が証拠となって、女乞食は渚の方で、良弁が探し求めた光丸だと分かって、母子は涙の対面を果たす。
   この口絵写真も、国立能楽堂のHPからの借用だが、親子の再会を果たした瞬間である。

   この同じ舞台を、今年の1月、大阪の国立文楽劇場で、観ている。
   口絵写真通り、玉男が良弁僧正を、そして、和生が渚の方を遣っていた。

   しかし、私が初めて文楽で「良弁杉由来」を見たのは、8年前で、良弁僧正を和生が、渚の方を文雀が遣っていて、非常に感動したのを覚えていて、次のように書いている。
   子を思う母の切ないまでの艱難辛苦の30年の日々が、証拠となる如意輪観音のお守りの仲立ちで、高僧となった雲の上の人の純粋無垢の親を思う気持ちが一つとなって昇華して行くラストシーンが感動を呼ぶ。
   和生の良弁の神々しく上品な佇まいが秀逸で、殆ど動きのない人形遣いなのだが、和生の顔までが輝いて見える。
   玉男が、良弁の首は、能面のような面差しで目も描き目で動かない上に、殆ど動きのない役どころなので、頭の微妙な角度や目線一つで感情の表現するなど非常に難しいと言っているが、和生は、文雀の左で玉男の芸を学んだのであろう。
   文雀の渚の方は、最初から最後まで出ずっぱりだが、品の良い奥方から、全国を流浪するうらぶれた老婆まで、しかし、襤褸を纏った乞食に落ちぶれようとも、心は錦、文雀の遣う人形が、苦しさに号泣しながらも高貴さをどこかに保ちながら、ただ一途に子を思うひたすらな生き様を髣髴とさせて感激しながら見ていた。

   もう一つ忘れられないのは、12年前に観た歌舞伎の舞台で、仁左衛門の良弁僧正、先の芝翫の渚の方で、顔の表情までもビビッドに覚えていて、印象記は次の通り。
   良弁僧正は日本屈指の偉大な高僧だが、仁左衛門は、実に厳かに威厳を持って登場し、正面右手の石段途中で立ち止まり、杉の木の因縁を語り師の厚恩と父母への思いを語る。この辺りから大僧正ではなく無垢の人間に戻って、杉の木に張られた一枚の紙切れが縁で、乞食に落ちぶれた実母渚の方との涙の対面を果たす。
   仁左衛門は、筋書で「本当に純真で母を思う気持ちはほとんど童心に近いと私は解釈して演じています。」と言っている様に、張り紙の場から最後まで、大僧正と言う威厳と権威をかなぐり捨てて、しかし、高僧としての品格と品位を実に上手く保ちながら、捨て身で母と子を演じている。
   渚の方が語る話を、大きく身体をその方向に傾けて身じろぎもせずにじっと渚の方を見据えて聞き続けている。錦の守り袋に収められた如意輪観音の話を聞くと大きく身体を崩して胸に手を入れる。母だと分かると駆け寄ってしっかり母を抱きしめ涙にくれる。
   渚の方を演じる芝翫が、実に上手い。プロンプターの声が大き過ぎることと多少タイミングがずれる点を差し引いても、哀切の限りを尽くして語る悲哀と良弁との親子の対面での込み上げる喜びを表現する至芸は実に感動的である。今でも、嗚咽を必死に抑えて顔を引きつらせて良弁に縋りつく芝翫の感極まった表情を思い出すのである。
   仁左衛門は、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相を彷彿とさせるのだが、同じ品格と格調を要求される役柄でも、あの場合は殆ど感情を表面に出さずに抑えた演技なのだが、この良弁は、童心に返って嗚咽に咽び母と子の愛情を表す。

   さて、余談が長くなったが、それ以前に上演された「良弁杉由来」は、初代玉男の良弁、文雀の渚の方が続いていたのだが、今年から、夫々の一番弟子である玉男と和生が人形を遣っていて、本格的な芸の継承がなったと言うことであろう。
   和生は、良弁僧正と渚の方と両方の舞台を観ているのだが、流石に人間国宝、今回は、貴人の奥方から、狂人紛いの乞食、僧正に会ってからの母心への回帰へと実に雄弁に女人を演じきった。

   初代玉男は、「人形有情」の「良弁の威厳」で、「じっと動かないで立っている間がエライ、首自体は軽いが、衣装の袈裟が重く、下がドシーっとしてバランスが悪く、遣いにくい。首を動かそうとしてもなかなか思うように動かない。慣れて来んかったら遣えませんで。」と言うなど、舞台の相当長い時間、直立不動で立ち続ける良弁人形の大変さを語っている。一度だけ、首を動かすのは、渚の方が、「恐れ多くも僧正の」と言いながら平伏する時で、それまでじっと渚の方の顔を見ているのだが、自分のことをいうてるなと思って、一寸首を逸らせるのだと言う。
   良弁で一番難しいところは、「この品にてはあらざるか」と守り袋を見せた後、「そんならあなたが」「そもじが」と言って、見つめ合って前に出て抱き合うシーンで、絶対に母への目線が外れてはならない。良弁があんまり涙を流すのも良くない。良弁が泣くのは、渚の方と抱き合う時など計4回にしています。と言っている。

   ところで、忠実で初代に傾倒している玉男のことであるから、この初代の芸をそのまま舞台で継承していたのであろうが、実際に、玉男の良弁人形を観ていて、感動すれども、初代の指摘していた細かいことは総て忘れてしまって、玉男がこのあたりをどのように遣ったのか全く気付かずに、夢中で舞台に惹き込まれ続けていた。
  
   二月堂の段の義太夫は千歳太夫、三味線は富助、実に素晴らしい、しばらく、感動が冷めやらなかった。
   
コメント
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