9月の第二回目の《開場35周年記念公演》は、次の通り。
能 安宅 (あたか) 武田 孝史(宝生流)
狂言 栗焼 (くりやき) 茂山 七五三(大蔵流)
能 砧(きぬた) 野村 四郎(観世流)
この日の演目では、「安宅」に関心があった。
文楽での回数は少ないが、オリジナルの能「安宅」、それを脚色して團十郎が歌舞伎化した「勧進帳」の舞台は、結構鑑賞していて、このブログでも鑑賞記を書いているのだが、やはり、名作の舞台で、何度観ても感激する。
特に、能と、歌舞伎・文楽との違いに、興味を持っていて、名優たちの記録などを調べて、2012-12-19に、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」を書いたのだが、どうしても、この日も、能を鑑賞しながら、夫々のシーンで、歌舞伎役者や太夫と人形がどう演じていたかとか想像しながら観ていて、中途半端なのである。
この能でも、今回の舞台で、約100分であるから、削ぎに削いでエッセンスを昇華した筈の能でも、決して、短くはなく、歌舞伎・文楽よりは、非常にシンプリファイされているところと、そうでないところがあって面白い。
最初、富樫(ワキ/福王和幸)が、義経(子方/和久凛太郎)たちを関所通過指示を与えるのは、能では、弁慶たちが、意を決して最期の勤めをして、その後、弁慶が、勧進帳を読み終えた後であるが、歌舞伎・文楽では、弁慶の勧進帳の後、弁慶と富樫の丁々発止の山伏問答が終わった後であり、かなり芸が細かくなっている。
尤も、能の場合には、冒頭の最期の勤めに、山伏の来歴などよって立つ使命を唱えて富樫たちを脅しにかかっていて、この祈りの中で、山伏問答の一部を唱えており、このあたりを、歌舞伎・文楽は、山伏問答に脚色したのであろう。
歌舞伎文楽との大きな違いは、能では、弁慶が義経打擲で危機を突破して関所を落ち延びて富樫が酒をもって酒宴にやって来る前に、地謡が平家との合戦など義経の不幸な運命を挿入して語っていることであろうか。
今回の舞台でもそうだが、義経が番卒・太刀持(アイ/茂山茂)に疑われて足止めされてからの両者の対決の凄さは、凄まじい。
弁慶が、富樫を盗人呼ばわりして、勢い込んでダッシュして富樫に迫る迫力、いきり立つ山伏たちを必死に抑え込んでセーブしながらも一進一退。
今回、狭い能楽堂の舞台で、富樫に迫る山伏隊は弁慶を入れて9人、富樫側は、たった2人であるから、最初役者が揃わなかったので山伏4人で踏襲している歌舞伎の舞台とは違って、力の差は歴然。
俄か造りの新関であるから、弁慶たちの力の突破も可能だと思わせる設定だが、いくら何でも、天下の関所であるから、無傷で突破などは無理だと考えた團十郎たちは、富樫の武士の情けで筋を通したのであろう。
歌舞伎文楽では、富樫が義経と見破っていて武士の情けで関所を通過させるのだが、能では、11人の山伏が、地団駄踏み抜刀せんと、いかなる天魔鬼神をも恐れさせて迫りくる勢いに押されて、力と力の対決で、関所を突破すると言うストーリー展開であるから、舞台の迫力が違うのも当然なのである。
弁慶の勧進帳読み上げは、厳かで朗々として、正に聴きどころ。
ところが、歌舞伎のような巻物ではなく、開けば、A5の2枚つづりくらいの黒い紙の両端に軸をつけたようなシンプルなもので、確かに、読み上げる勧進帳の文章も短いので、それでよいのであろう。
富樫は、最初は、聞き耳を立てていたが、その後は、直立不動で正面を向いたまま、歌舞伎のように、弁慶の巻物を覗き見などしない。
いずれにしても、これまで観た「安宅」と、多少は違った舞台展開ではあったが、武田孝史師の弁慶をはじめ、意欲的で迫力のある宝生流の素晴らしさ舞台を楽しませて貰った。
さて、狂言の「栗焼」。
これまでに、2回、人間国宝野村萬の太郎冠者で観ている。
能楽協会の会長と言うトップに上り詰め、狂言界の第一人者である萬の飄々とした実に温かくて滋味深い演技に感嘆した思いが残っている。
ストーリーは、
主人が、丹波の伯父から貰った40個の栗を、客に出すために、太郎冠者に焼栗にするように頼むのだが、太郎冠者は、焼きあがった栗を主人に渡す前に、客に味を尋ねられて答えられなくては恥だと、味見するうちに、その美味さに負けて、全部食べてしまう。困って、焼栗を持って行こうと思ったら、竃の神夫婦2人とその公達34人に呼び止められて栗を欲しいと言ったので与えて主人の富貴栄華を願ったと言い、残りの4つはどうしたと聞かれて、一つは虫食いで、後の3つは、栗焼く言葉に、逃げ栗・追い栗・灰紛れとあるように、それでなくなったと言う。
この奇想天外の逃げ口上も面白いが、
何よりも興味深いのは、太郎冠者を演じた茂山七五三の演技で、炭火で栗を焼く太郎冠者の器用な手つき・仕種で、特に熱い栗を一つ一つ拾い上げて、ふうふう言いながら両手で叩きながら冷ましたり、横着して並べて擦って皮をむく表情など、正に独演会であり、何かと理屈を捏ねて、栗を全部食べてしまう様子など、萬とは、また違った味を出していて面白い。
主人を演じた兄の千作のサポートが秀逸で、京都狂言の頂点を垣間見せた舞台であった。
観世流の能「砧」は、前シテ/芦屋の妻・後シテ/芦屋の妻の亡霊を人間国宝野村四郎、ツレ/夕霧を永山桂三、ワキ/芦屋某を森常好、アイ/下人を人間国宝山本東次郎、地頭/銕之丞。
銕仙会ゆかりの舞台のようなので、銕仙会のHPを引用させて貰うと、
訴訟のため都へ上っていた芦屋の某(ワキ)は、三年目の秋、年末には必ず帰郷するという伝言を侍女の夕霧(ツレ)に託す。故郷へ下った夕霧は某の奥方(シテ)のもとへ向かうが、奥方は寂しい日々を嘆くばかりであった。やがて、遠くで里人の打つ砧の音を聞いた奥方は、「夫を思う妻の打った砧の音が、遙か遠く離れた夫のもとへ届いた」という中国の蘇武の故事を思い出し、慰みに自らも砧を打ち、感傷にひたる。しかし、再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、奥方は絶望し亡くなってしまう。妻の訃報を聞いた某(後ワキ)が急いで帰郷し、弔っていると、奥方の亡霊(後シテ)が現れて夫の不実を責めるが、やがて法華経の功徳によって奥方は成仏するのであった。
ところが、今回の舞台は、オリジナルに帰って、「再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、」のところが、帰国して同宿していた夕霧から「殿はこの秋も御下りあるまじきにて候」となっていて、一層、妻の悲劇性が増している。
印象的であったのは、この舞台のラストシーン。
地謡の「・・・蘓武は旅雁に・・・君いかなれば旅枕 夜寒の衣うつつとも、夢ともせめてなど思ひ知らずや恨めしや」が、激しく高揚してピッチを上げると、シテがワキの正面に跪いて、右手を上げてワキを非難し苛む迫力の凄さ。地頭の銕之丞師が体を上下しての迫力。
ところが、一瞬、時間が止まったように静けさが舞台を支配し、美しくさえわたった笛の音が流れると、地謡は、静かに穏やかなムードで、「法華読誦のちからにて、・・・菩提の種となりにけり」と謡って、シテは成仏して留め。
いつも感激するのは、能楽のハッピーエンドは、終幕の直前、ほんの数分で、どんでん返しのように幕が下りることである。
能 安宅 (あたか) 武田 孝史(宝生流)
狂言 栗焼 (くりやき) 茂山 七五三(大蔵流)
能 砧(きぬた) 野村 四郎(観世流)
この日の演目では、「安宅」に関心があった。
文楽での回数は少ないが、オリジナルの能「安宅」、それを脚色して團十郎が歌舞伎化した「勧進帳」の舞台は、結構鑑賞していて、このブログでも鑑賞記を書いているのだが、やはり、名作の舞台で、何度観ても感激する。
特に、能と、歌舞伎・文楽との違いに、興味を持っていて、名優たちの記録などを調べて、2012-12-19に、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」を書いたのだが、どうしても、この日も、能を鑑賞しながら、夫々のシーンで、歌舞伎役者や太夫と人形がどう演じていたかとか想像しながら観ていて、中途半端なのである。
この能でも、今回の舞台で、約100分であるから、削ぎに削いでエッセンスを昇華した筈の能でも、決して、短くはなく、歌舞伎・文楽よりは、非常にシンプリファイされているところと、そうでないところがあって面白い。
最初、富樫(ワキ/福王和幸)が、義経(子方/和久凛太郎)たちを関所通過指示を与えるのは、能では、弁慶たちが、意を決して最期の勤めをして、その後、弁慶が、勧進帳を読み終えた後であるが、歌舞伎・文楽では、弁慶の勧進帳の後、弁慶と富樫の丁々発止の山伏問答が終わった後であり、かなり芸が細かくなっている。
尤も、能の場合には、冒頭の最期の勤めに、山伏の来歴などよって立つ使命を唱えて富樫たちを脅しにかかっていて、この祈りの中で、山伏問答の一部を唱えており、このあたりを、歌舞伎・文楽は、山伏問答に脚色したのであろう。
歌舞伎文楽との大きな違いは、能では、弁慶が義経打擲で危機を突破して関所を落ち延びて富樫が酒をもって酒宴にやって来る前に、地謡が平家との合戦など義経の不幸な運命を挿入して語っていることであろうか。
今回の舞台でもそうだが、義経が番卒・太刀持(アイ/茂山茂)に疑われて足止めされてからの両者の対決の凄さは、凄まじい。
弁慶が、富樫を盗人呼ばわりして、勢い込んでダッシュして富樫に迫る迫力、いきり立つ山伏たちを必死に抑え込んでセーブしながらも一進一退。
今回、狭い能楽堂の舞台で、富樫に迫る山伏隊は弁慶を入れて9人、富樫側は、たった2人であるから、最初役者が揃わなかったので山伏4人で踏襲している歌舞伎の舞台とは違って、力の差は歴然。
俄か造りの新関であるから、弁慶たちの力の突破も可能だと思わせる設定だが、いくら何でも、天下の関所であるから、無傷で突破などは無理だと考えた團十郎たちは、富樫の武士の情けで筋を通したのであろう。
歌舞伎文楽では、富樫が義経と見破っていて武士の情けで関所を通過させるのだが、能では、11人の山伏が、地団駄踏み抜刀せんと、いかなる天魔鬼神をも恐れさせて迫りくる勢いに押されて、力と力の対決で、関所を突破すると言うストーリー展開であるから、舞台の迫力が違うのも当然なのである。
弁慶の勧進帳読み上げは、厳かで朗々として、正に聴きどころ。
ところが、歌舞伎のような巻物ではなく、開けば、A5の2枚つづりくらいの黒い紙の両端に軸をつけたようなシンプルなもので、確かに、読み上げる勧進帳の文章も短いので、それでよいのであろう。
富樫は、最初は、聞き耳を立てていたが、その後は、直立不動で正面を向いたまま、歌舞伎のように、弁慶の巻物を覗き見などしない。
いずれにしても、これまで観た「安宅」と、多少は違った舞台展開ではあったが、武田孝史師の弁慶をはじめ、意欲的で迫力のある宝生流の素晴らしさ舞台を楽しませて貰った。
さて、狂言の「栗焼」。
これまでに、2回、人間国宝野村萬の太郎冠者で観ている。
能楽協会の会長と言うトップに上り詰め、狂言界の第一人者である萬の飄々とした実に温かくて滋味深い演技に感嘆した思いが残っている。
ストーリーは、
主人が、丹波の伯父から貰った40個の栗を、客に出すために、太郎冠者に焼栗にするように頼むのだが、太郎冠者は、焼きあがった栗を主人に渡す前に、客に味を尋ねられて答えられなくては恥だと、味見するうちに、その美味さに負けて、全部食べてしまう。困って、焼栗を持って行こうと思ったら、竃の神夫婦2人とその公達34人に呼び止められて栗を欲しいと言ったので与えて主人の富貴栄華を願ったと言い、残りの4つはどうしたと聞かれて、一つは虫食いで、後の3つは、栗焼く言葉に、逃げ栗・追い栗・灰紛れとあるように、それでなくなったと言う。
この奇想天外の逃げ口上も面白いが、
何よりも興味深いのは、太郎冠者を演じた茂山七五三の演技で、炭火で栗を焼く太郎冠者の器用な手つき・仕種で、特に熱い栗を一つ一つ拾い上げて、ふうふう言いながら両手で叩きながら冷ましたり、横着して並べて擦って皮をむく表情など、正に独演会であり、何かと理屈を捏ねて、栗を全部食べてしまう様子など、萬とは、また違った味を出していて面白い。
主人を演じた兄の千作のサポートが秀逸で、京都狂言の頂点を垣間見せた舞台であった。
観世流の能「砧」は、前シテ/芦屋の妻・後シテ/芦屋の妻の亡霊を人間国宝野村四郎、ツレ/夕霧を永山桂三、ワキ/芦屋某を森常好、アイ/下人を人間国宝山本東次郎、地頭/銕之丞。
銕仙会ゆかりの舞台のようなので、銕仙会のHPを引用させて貰うと、
訴訟のため都へ上っていた芦屋の某(ワキ)は、三年目の秋、年末には必ず帰郷するという伝言を侍女の夕霧(ツレ)に託す。故郷へ下った夕霧は某の奥方(シテ)のもとへ向かうが、奥方は寂しい日々を嘆くばかりであった。やがて、遠くで里人の打つ砧の音を聞いた奥方は、「夫を思う妻の打った砧の音が、遙か遠く離れた夫のもとへ届いた」という中国の蘇武の故事を思い出し、慰みに自らも砧を打ち、感傷にひたる。しかし、再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、奥方は絶望し亡くなってしまう。妻の訃報を聞いた某(後ワキ)が急いで帰郷し、弔っていると、奥方の亡霊(後シテ)が現れて夫の不実を責めるが、やがて法華経の功徳によって奥方は成仏するのであった。
ところが、今回の舞台は、オリジナルに帰って、「再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、」のところが、帰国して同宿していた夕霧から「殿はこの秋も御下りあるまじきにて候」となっていて、一層、妻の悲劇性が増している。
印象的であったのは、この舞台のラストシーン。
地謡の「・・・蘓武は旅雁に・・・君いかなれば旅枕 夜寒の衣うつつとも、夢ともせめてなど思ひ知らずや恨めしや」が、激しく高揚してピッチを上げると、シテがワキの正面に跪いて、右手を上げてワキを非難し苛む迫力の凄さ。地頭の銕之丞師が体を上下しての迫力。
ところが、一瞬、時間が止まったように静けさが舞台を支配し、美しくさえわたった笛の音が流れると、地謡は、静かに穏やかなムードで、「法華読誦のちからにて、・・・菩提の種となりにけり」と謡って、シテは成仏して留め。
いつも感激するのは、能楽のハッピーエンドは、終幕の直前、ほんの数分で、どんでん返しのように幕が下りることである。