熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

3月琉球芸能公演「組踊と琉球舞踊」

2019年03月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日の国立劇場は、「組踊と琉球舞踊」、天皇陛下御在位30年記念、国立劇場おきなわ開場15周年記念、組踊上演300周年記念実行委員会共催事業と銘打っての記念公演で、第2部の琉球舞踊の「汀間美童」から、天皇皇后両陛下がご来臨になり天覧公演となった。
   客席総立ちで、拍手喝采、お迎えお見送りをして、両殿下は、丁寧にお応えになっておられた。
   両陛下を間近に拝見するのは、1978年に、ブラジルで、日系ブラジル移民70周年記念の時の記念行事と晩餐会の時で、これが二度目、感激である。

   プログラムは次の通り、人間国宝以下、国立劇場おきなわが総力をあげての満を持しての大舞台であった。
   これまで、組踊は、能舞台で観た方が多いのだが、大劇場の大舞台にもしっくりフィットする素晴らしいパーフォーマンス・アーツなのである。

【第1部】 組踊「辺戸の大主(へどのうふぬし)」
辺戸の大主 宇座仁一
辺戸の大主の妻 阿嘉修
辺戸の比屋 石川直也
辺戸の子  川満香多
孫(娘) 大湾三瑠・東江裕吉・新垣悟・宮城茂雄・大浜暢明・田口博章・
伊野波盛人・仲村圭央
孫(若衆) 上原信次・玉城匠
孫(二才) 天願雄一・上原崇弘

地謡=<歌・三線>新垣俊道・仲村逸夫・仲村渠達也、
<箏>池間北斗、<笛>入嵩西諭、<胡弓>新城清弘、<太鼓>比嘉聰

【第2部】 琉球舞踊
浜千鳥(ちじゅやー)
松田恵・山川昭子・宮城りつ子・上原美希子
むんじゅる
玉城節子
汀間美童(てぃーまみやらび)
志田房子
花風(はなふう)
宮城能鳳
くば笠の鳩間節(くばがさのはとまぶし)
 大湾三瑠・阿嘉修・東江裕吉・新垣悟・田口博章

地謡=<歌・三線>新垣俊道・仲村逸夫・仲村渠達也/花城英樹・玉城和樹・神谷大輔、
<箏>池間北斗、<笛>入嵩西諭、<胡弓>森田夏子、<太鼓>宮里和希

【第3部】 組踊「二童敵討(にどうてぃちうち)」
あまおへ 玉城盛義
鶴松 佐辺良和
亀千代 宮城茂雄
母 海勢頭あける
供 石川直也・宇座仁一・玉城匠
きやうちやこ持ち 上原信次

地謡=<歌・三線>西江喜春・花城英樹・玉城和樹・神谷大輔、
<箏>宮里秀明、<笛>宮城英夫、<胡弓>新城清弘、<太鼓>比嘉聰

   今回は、最前列ほぼ中央の席を取ったので、存分に楽しませてもらった。
   今年11月の国立能楽堂の組踊の舞台を楽しみにしている。

   組踊「辺戸の大主」は、120歳の太主の祝で、家族全員が集まって、踊り歌って長寿を寿ぐと言う祝祭ムード全開の組踊で、大主の前で、琉球舞踊の「女舞」を中心に、「若衆踊」「二才踊」そして、最後に、太主たちが踊る「老人踊」が踊られると言う、組踊と琉球舞踊が、一気に楽しめると言う興味深い組踊である。
   松竹梅と鶴亀をあしらった紅型模様の薄膜の幕をバックにして優雅な踊り風景が展開されるのだが、その薄膜の陰に陣取った地謡の人々の姿が微かに見えて、サウンド効果を存分に楽しませてくれる。
   とにかく、すべて男性であるはずなのだが、「女舞」の優雅さ美しさ、
   沖縄出身の美人女優が多いのだが、この「女舞」の達人たちは、びっくりするほど美しくて魅力的である。

   琉球舞踊は、組踊と違って、最後の「ば笠の鳩間節」以外は、全員女性の舞踊家の舞台で、組踊の踊りと一寸した差があって興味深かった。 
   創作舞踊の「汀間美童(てぃーまみやらび)」は、志田房子師の自作自演で、ダークブルー一色ののバックに、やや上手よりの中空に大きな満月、優雅で静かな踊りから始まる素晴らしい踊りであった。
   花風(はなふう)は、人間国宝宮城能鳳師の凄い踊り。
   愛しい人を思いながら、「私は一人どうしてお待ちしましょうか」地謡の楽に乗って、後ろを向いて、広げてさした傘の端を左手で摘まんで、静かに静かに下手に消えて行くラストシーン。

   組踊「二童敵討」は、私など知識不足なので、「曽我兄弟」の仇討物語がオリジンだと思ったのだが、能「放下僧」だと言う。
   能「放下僧」は、
   下野国の牧野小次郎は父の仇利根信俊を討とうと、兄の加勢を頼んだところ、出家の身故に断られるのだが、中国の故事を引用し説得して、2人は仇討ちを決心する。敵に近づくために、放下になって故郷を後にする。利根信俊は夢見の悪いので瀬戸の三島神社に参詣する途中で 浮雲・流水と名乗る2人の放下に出逢い、2人は団扇の謂れや弓矢のことを面白く語り、禅問答を交わしたりして取り入る。2人は曲舞や鞨鼓、小歌などさまざまな芸を見せて相手を油断させ、その隙をついて敵討ちを果たす。

   一方、組踊「二童敵討」は、
   天下取りの野望に燃える勝連城主の按司[城主]阿麻和利(あまおへ)は、首里王府に偽りを言って、邪魔な中城城主・護佐丸を攻め滅ぼし、同時に、その子ども達も皆殺しして根絶やししたと豪語して、天下取りのため近く首里王府へも攻め入ろうと考えて、野に出て酒宴を広げ遊び惚けて、勝ち戦のための願等家来に準備を命ずる。
ところが、殺したはずの護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟は、落城の際に敵の目を逃れて生きていて、母のもとで成長し、敵を討つ機会を狙っていた。仇討を決心した2人は、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけて、酒盛りをしているところに、踊り子に変装して近づく。美少年の踊りを見て感激した阿麻和利が、踊りを所望し、杯を注がせ、2人の踊りに良い気持ちになって酒をあおって酔いつぶれて、気が大きくなって、褒美に、自らの大団扇と太刀を与え、さらに、自ら着ている羽織なども、次々に与える。2人の兄弟は、丸腰になって醜態を晒した阿麻和利のすきを見逃さずに追い込んで、首尾よく父の敵を討つ。

   仇討ものでは、良く似た有名曲で、組踊「万歳敵討(まんざいてきうち)」があり、
   浜下り(はまおり)を聞きつけた謝名兄弟が、旅芸人に姿を変え浜遊びの場に近づいて高平良御鎖を追い詰め、見事父の敵を討ち果たす。と言う物語である。
   組踊には、仇討物が多いようだが、歴代朝廷の支持を得、政治権力と一体となって中国の社会・文化の全般を支配して儒教の影響もあって、接待される中国人冊封使には、大変喜ばれたのだと言う。

   この組踊の「二童敵討」だが、殆ど能に近い動きの少ない舞台なのだが、しかし、阿麻和利(あまおへ)は、能ほどセーブした立ち居振る舞いではなくて、動きも表情もかなりリアルに演じているので、その意味では、見得の美しさも含めて歌舞伎の舞台にやや近いと言う感じはするのだが、そのあたりの微妙な差は、非常に興味深い。
   それに、阿麻和利のトドメを刺すシーンは、舞台上では表現せずに、舞台の陰に追い込んで、その後、兄弟が登場して成功を述べ「踊って戻ろう」と舞台を後にして終わると言う、舞台を綺麗に終わらせると言う感じで、これまで見た組踊の舞台も、ハッピーエンドないし綺麗なエンドであったような気がする。
   これが、沖縄芸術の美意識なのであろう。
   この舞台での見せ場は、阿麻和利の登場の名乗りと見得、母と兄弟との別れ、兄弟の優雅な踊り、阿麻和利が酔っ払って次から次への「取らそう、取らそう」と丸腰になっていくところ等々、これも、能より動きや表現が、ビビッドであるところが、面白い。

   組踊は、優雅で美しくて、何度見ても感激するのだが、どこか、もの悲しい哀調を帯びたサウンドと独特な抑揚の口調に、琉球と言うか沖縄のイメージとダブって感慨を禁じ得ない。
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