観世流能楽師坂井音重氏の随想集「日本文化の精粋」と銘打った美学の本だと言う。
日本のみならず、フランス、アメリカ、中国、ロシアなど世界でも舞い続ける能楽師で、能楽オンリーではなくて、かなり、高度で密度の高い文化文明論も展開しており、興味深い。
まず、最初の「日本の四季」について、
冒頭、大宰府の天満宮の梅の話から、菅原道真、そして、能「雷電」の話へ進み、道真の失脚は、対中国の外交路線をめぐる国内の意見対立にあったと、仏教伝来、鑑真上人の来日、唐招提寺の建立、空海、最澄の渡航、そして、文学、芸能を通じての深い関係などについて論じる。
邸宅には、かなりの庭があるのであろう、玄関先の紅梅と白梅、坪庭の白梅の咲き具合などを愛でながら、その生命力、自然との調和、生きと生きる万物の尊さを感じて感動する。
やはり、能楽師なので、四季や日本の自然を語っていても、命の水では、能「養老」、自宅に咲く枝垂れ桜や御衣黄を見て能「熊野」、秋霜や紅葉から能「小鍛冶」、秋の月影を思って能「雨月」などなど、能のストーリーや能舞台での思いを開陳していて興味深い。
坂井師の年代が、私より少し先輩と言うところなので、子供の頃の、日本人の生活風景や習慣などの思い出は、共有しているので、懐かしい。
夏など、エアコンがなかったので、打ち水やうちわで涼を取るのが普通で、扇風機が文明の利器と言う時代であったから、とにかく、自然にどっぷりの生活であり、葦や細く割った竹を編んだ「簾障子」で部屋を仕切って風を通し、簾やよしずで日除けや目隠しをして、涼を感じる。
それが、普通の生活であったので、当時は何とも思わなかったのだが、今思うと、結構、情緒と言うか風情を感じて面白い。
私など、宝塚の田舎で幼少年時代を過ごしたので、庭に床几を出して、うちわをパタパタ、夜風を楽しみながら夕涼みをしていたのを思い出す。
この「日本の四季」では、自宅の庭の花木について触れていて、梅や桜の木が何本かずつ植わっていて、枇杷の木もあると言うのであるから、立派な庭であろう、
「私は朝にまず梅の花を見る。」と言うほどであるから、四季の移り変わりを、身近に感得しながら、生活しているので、かなり、ビビッドに描写されている。
私なども、同じように庭に出て、日々移り変わっていく、庭の花木の咲き具合や変化を楽しんでいるので、良く分かるし、それを題材にして、能を語っているので、興味が湧いてくる。
先月末、国立能楽堂で、喜多流の能「石橋」で、白頭と赤頭を着けた二人の獅子が登場して、牡丹の花に戯れて豪快に舞う舞台を観たが、この牡丹など、楊貴妃が愛でて脚光を浴びたのだが、花の白眉と言うべきで、特に、歌舞伎の舞台では、豪華な襖絵など異彩を放つ。
この本の冒頭部分だけ読んで、この文章を書いているのだが、それ以降は、「日本文化と西洋」「美味しい食の話」「世の中を思う」等々、もっと、幅が広くて奥行きのある文化文明論を開陳していて、非常に面白い。
わが庭の花々のショットを数枚、





日本のみならず、フランス、アメリカ、中国、ロシアなど世界でも舞い続ける能楽師で、能楽オンリーではなくて、かなり、高度で密度の高い文化文明論も展開しており、興味深い。
まず、最初の「日本の四季」について、
冒頭、大宰府の天満宮の梅の話から、菅原道真、そして、能「雷電」の話へ進み、道真の失脚は、対中国の外交路線をめぐる国内の意見対立にあったと、仏教伝来、鑑真上人の来日、唐招提寺の建立、空海、最澄の渡航、そして、文学、芸能を通じての深い関係などについて論じる。
邸宅には、かなりの庭があるのであろう、玄関先の紅梅と白梅、坪庭の白梅の咲き具合などを愛でながら、その生命力、自然との調和、生きと生きる万物の尊さを感じて感動する。
やはり、能楽師なので、四季や日本の自然を語っていても、命の水では、能「養老」、自宅に咲く枝垂れ桜や御衣黄を見て能「熊野」、秋霜や紅葉から能「小鍛冶」、秋の月影を思って能「雨月」などなど、能のストーリーや能舞台での思いを開陳していて興味深い。
坂井師の年代が、私より少し先輩と言うところなので、子供の頃の、日本人の生活風景や習慣などの思い出は、共有しているので、懐かしい。
夏など、エアコンがなかったので、打ち水やうちわで涼を取るのが普通で、扇風機が文明の利器と言う時代であったから、とにかく、自然にどっぷりの生活であり、葦や細く割った竹を編んだ「簾障子」で部屋を仕切って風を通し、簾やよしずで日除けや目隠しをして、涼を感じる。
それが、普通の生活であったので、当時は何とも思わなかったのだが、今思うと、結構、情緒と言うか風情を感じて面白い。
私など、宝塚の田舎で幼少年時代を過ごしたので、庭に床几を出して、うちわをパタパタ、夜風を楽しみながら夕涼みをしていたのを思い出す。
この「日本の四季」では、自宅の庭の花木について触れていて、梅や桜の木が何本かずつ植わっていて、枇杷の木もあると言うのであるから、立派な庭であろう、
「私は朝にまず梅の花を見る。」と言うほどであるから、四季の移り変わりを、身近に感得しながら、生活しているので、かなり、ビビッドに描写されている。
私なども、同じように庭に出て、日々移り変わっていく、庭の花木の咲き具合や変化を楽しんでいるので、良く分かるし、それを題材にして、能を語っているので、興味が湧いてくる。
先月末、国立能楽堂で、喜多流の能「石橋」で、白頭と赤頭を着けた二人の獅子が登場して、牡丹の花に戯れて豪快に舞う舞台を観たが、この牡丹など、楊貴妃が愛でて脚光を浴びたのだが、花の白眉と言うべきで、特に、歌舞伎の舞台では、豪華な襖絵など異彩を放つ。
この本の冒頭部分だけ読んで、この文章を書いているのだが、それ以降は、「日本文化と西洋」「美味しい食の話」「世の中を思う」等々、もっと、幅が広くて奥行きのある文化文明論を開陳していて、非常に面白い。
わが庭の花々のショットを数枚、





