熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

優先席:代わって欲しいと意思表示

2019年05月08日 | 生活随想・趣味
   電車などの優先席に、必要な人が座れないことが多くて、有効に活用されていない。
   欧米で生活していたので、優先、すたわち、PRIORITYと言う意識なり感覚、権利意識が如何に厳格か、そして、人間としての現然たる鉄則であることは、身にしみて感じているのだが、日本人には、そんな考え方は殆んどない。
   例えば、オランダでの経験だが、隣の優先道路が空いていて、後方からは車が見えなかったので、左折して優先道路に入ったら、高速力で走ってきた車に追突されたと言ったケースだが、日本なら、前方不注意と言う感覚もあろうと思うが、欧米では、PRIORITYが絶対に侵してはならない鉄則なのである。
   イギリスに行けば、車道の左右が変わるのは当然で、サークルへの侵入のPRIORITYは、全く逆となり、また、オランダでの側道の小道からの侵入優先などとなれば、余程慣れないと事故を起こす。
   PRIORITYは、戦争と殺戮に明け暮れて、弱肉強食の世界に生き抜いてきた欧米人の生活の知恵なのであろうと言う気がする。

   尤も、ブラジルとなれば、また別で、すべてアミーゴが優先で、杓子定規もいいところであって、いずれにしても、要するに、「和をもって貴しとする」日本人の「優先席」意識の定着などは、日本人気質を変えない限り無理なのである。
   「おもてなし」などと言う良く分からない概念が、日本人の特質のように思われているが、「世間さま」と言う概念なり価値基準が希薄になってくると、日本人のモラル感覚、優しさ温かさも疑問になってくる。

   さて、この優先席活用について、これまでに、女性専用車両と同じように、優先車両を設置すべきとか、バスのように、「ここは優先席です。必要とする方がおられますので代わってください。」と言うボタンを設置したらどうかとか、色々このブログで書いてきた。
   私の場合には、後期高齢者で、髪が白髪で薄くなっており老人と言う外観を見て、席を譲ってくれる若い男女が結構いるのだが、まず、このようなケースは稀で、大半は殆ど無視で、優先席に、若くて健康な自分が座っていても恥ずかしいと言う感覚はない。

   それでも、良くしたもので、殆ど使はないのだが、何かの拍子に足に痛みが走ることがあるので、杖をショルダーバッグに入れており、偶に杖を突いて優先席の前に行くと、席を代わってくれる人がいて助かることがある。

   上野や東京駅から大船までは、結構距離があるので、立っているのは、一寸苦痛である。
   どうしても、耐えられないような時には、この頃、意を決して、「どなたか、席を譲っていただけませんか。」と、直接、優先席の前で、声をかけることにしている。
   一度だけ、無視されたことがあるのだが、大概、誰かが立ち上がって席を譲ってくれる。
   悪いと思いながら、ご厚意に甘えるのだが、「優先席普及運動の一環かも知れない。」と、自分勝手なこじ付けをして、無理に、納得しようとしている。

   私のように、厚顔無恥と言うか、気にしない人間なら譲ってくれと言えても、大概の高齢者・障害者・けが人・体調不良者・妊婦・乳幼児連れ(ベビーカー含む)など、椅子への着席を必要とする人は、折角、意識して優先席へやって来て、座りたくても、「席を譲って下さい。」とは言えない。
   代わりに、良識ある周りの人が言えば良いのだが、なおさら言えない。
   それなら、バスのように、ボタンをつけて、スピーカーに言わせれば良いのではなかろうか。
   
コメント
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