今日の国立能楽堂の普及公演は、次の通り、
解説・能楽あんない 「浮舟」のドラマトゥルギー 河添房江(東京学芸大学教授)
狂言 二人大名 (ふたりだいみょう) 善竹 大二郎(大蔵流)
能 浮舟 (うきふね) 長島 茂(喜多流)
浮舟は、「宇治十帖」後半の中心人物であり、悲劇のヒロインでもある。
浮舟は、光源氏の弟の宇治八の宮の三女で、宇治の大君、中君の異母妹であるのだが、母が八の宮に仕えていた女房・中将の君であったために、父八の宮から娘と認知されなかった。
浮舟は、薫の愛人として宇治の山荘に囲われるが、薫は放置したままで訪れるのも間遠であったために、匂宮が二条院で見かけた浮舟に執心して薫の留守に忍んできて契りを結んでしまう。浮舟は、消極的な薫と激しい匂宮と言う両極端の二人の貴公子に愛されて悩むのだが、やがてこの事が露見し、追い詰められて切羽詰まった浮舟は、自殺を志すが果たせず、山で行き倒れている所を横川の僧都に助けられる。僧都の手によって出家して小野に蟄居していたが、薫に居場所を捉まれて元に戻るよう勧められたが、拒絶し続ける。
源氏物語は、ここで終わっている。
能「浮舟」は、多少バリエーションを加えながら、殆ど源氏物語をそのまま踏襲している感じである。
勿論、夢幻能であるので、前場では、旅僧が登場して浮舟の霊である里の女に会って故事を語り、後場で、浮舟の霊が現れて、物語を反芻すると言う展開ではあるが。
河添教授は、この源氏物語では、浮舟の魂は宙ぶらりんで終わっているのだけれど、この複式夢幻能では、浮舟は、旅の僧の回向によって、執心晴れて兜率天・天界へと生まれることができたと謡って成仏して終わっている。と、ここが違うと指摘していた。
この宇治十帖の浮舟の関連物語だけ読んでみても、流石に小説で、結構、複雑な物語が錯綜していて内容が豊かで面白いのだが、能は極めてシンプル。
しかし、銕仙会の解説を引用させてもらうと、
”不遇の身であった自分を見出してくれた薫への愛、小舟に乗って束の間の逢瀬を楽しんだ匂宮との恋の記憶、俗世のしがらみに苦悩していた自分を救ってくれた僧都への感謝の念…。『源氏物語』最後のヒロインの“心の内”を鮮やかに描き出した作品となっています。”と言うことで、もう少し、能鑑賞の修練を積むべきと反省をしている。
この能「浮舟」は、世阿弥は、憑き物と言う設定の「葵上」や「夕顔」とともに、女体の能のなかでも、「玉の中の玉」と特別に高く評価しているようだが、非常に上演されることが少ないと言う。
喜多流では、この能「浮舟」は、参考曲だと言うから、本日の舞台は特別なのであったのであろうか。
さて、薫は光源氏の子であるが、実は正妻女三宮と柏木(頭中将の子)との密通による子であり、
匂宮は、冷泉院の皇子であるから光源氏の孫である。
紫式部の関知するところではないかも知れないが、やはり、匂宮の方が、源氏の血を受けているだけに、色好みであるところが面白い。
匂宮は、薫に負けじと、雪の中を宇治に赴いて、浮舟を小舟に乗せて宇治川を渡って対岸の隠れ家へ連れ出し、そこで二日間を過ごしたことになっているのだが、
シテは、この宇治川でのこの小舟の話を引いて、〔カケリ〕を舞って、茫然自失の姿を見せる。
シテの舞は、実に優雅で美しく、私には、宇治川での絵のようなシーンを彷彿とさせてくれた。
尤も、宇治川は、琵琶湖から天ヶ瀬ダムをへて、急斜面を流れ落ちているので、非常に流れが速くて、むしろ平家物語の宇治川合戦の雰囲気で、雅な舟遊びの場所ではないことも事実であるが、しかし、春夏秋冬、いつでも絵になる風景が現出される。
私は、学生時代、宇治分校に通って居た頃、この宇治で1年間下宿していて、平等院や宇治川河畔が、私の散歩道であったので、源氏物語の宇治十帖のイメージは、何となく、自然に湧いてくるのである。
宇治に行くと、直ぐ側の国宝で世界遺産の宇治上神社を訪れて、源氏物語ミュージアムに行くのだが、ここに来ると、源氏物語の世界が、走馬灯のように駆け巡って来て、しばらく、その余韻を楽しむことにしている。
和辻哲郎や亀井勝一郎、入江泰吉や土門拳、随分お世話になったが、何よりも、大切であったのは、源氏物語と平家物語。
平家物語は、原典そのまま読んだが、源氏物語は、原典と谷崎潤一郎訳を併読、
とにかく、勉強は程々にして、京都や奈良など関西の古社寺散策、歴史散歩に明け暮れていたあの頃が懐かしい。
解説・能楽あんない 「浮舟」のドラマトゥルギー 河添房江(東京学芸大学教授)
狂言 二人大名 (ふたりだいみょう) 善竹 大二郎(大蔵流)
能 浮舟 (うきふね) 長島 茂(喜多流)
浮舟は、「宇治十帖」後半の中心人物であり、悲劇のヒロインでもある。
浮舟は、光源氏の弟の宇治八の宮の三女で、宇治の大君、中君の異母妹であるのだが、母が八の宮に仕えていた女房・中将の君であったために、父八の宮から娘と認知されなかった。
浮舟は、薫の愛人として宇治の山荘に囲われるが、薫は放置したままで訪れるのも間遠であったために、匂宮が二条院で見かけた浮舟に執心して薫の留守に忍んできて契りを結んでしまう。浮舟は、消極的な薫と激しい匂宮と言う両極端の二人の貴公子に愛されて悩むのだが、やがてこの事が露見し、追い詰められて切羽詰まった浮舟は、自殺を志すが果たせず、山で行き倒れている所を横川の僧都に助けられる。僧都の手によって出家して小野に蟄居していたが、薫に居場所を捉まれて元に戻るよう勧められたが、拒絶し続ける。
源氏物語は、ここで終わっている。
能「浮舟」は、多少バリエーションを加えながら、殆ど源氏物語をそのまま踏襲している感じである。
勿論、夢幻能であるので、前場では、旅僧が登場して浮舟の霊である里の女に会って故事を語り、後場で、浮舟の霊が現れて、物語を反芻すると言う展開ではあるが。
河添教授は、この源氏物語では、浮舟の魂は宙ぶらりんで終わっているのだけれど、この複式夢幻能では、浮舟は、旅の僧の回向によって、執心晴れて兜率天・天界へと生まれることができたと謡って成仏して終わっている。と、ここが違うと指摘していた。
この宇治十帖の浮舟の関連物語だけ読んでみても、流石に小説で、結構、複雑な物語が錯綜していて内容が豊かで面白いのだが、能は極めてシンプル。
しかし、銕仙会の解説を引用させてもらうと、
”不遇の身であった自分を見出してくれた薫への愛、小舟に乗って束の間の逢瀬を楽しんだ匂宮との恋の記憶、俗世のしがらみに苦悩していた自分を救ってくれた僧都への感謝の念…。『源氏物語』最後のヒロインの“心の内”を鮮やかに描き出した作品となっています。”と言うことで、もう少し、能鑑賞の修練を積むべきと反省をしている。
この能「浮舟」は、世阿弥は、憑き物と言う設定の「葵上」や「夕顔」とともに、女体の能のなかでも、「玉の中の玉」と特別に高く評価しているようだが、非常に上演されることが少ないと言う。
喜多流では、この能「浮舟」は、参考曲だと言うから、本日の舞台は特別なのであったのであろうか。
さて、薫は光源氏の子であるが、実は正妻女三宮と柏木(頭中将の子)との密通による子であり、
匂宮は、冷泉院の皇子であるから光源氏の孫である。
紫式部の関知するところではないかも知れないが、やはり、匂宮の方が、源氏の血を受けているだけに、色好みであるところが面白い。
匂宮は、薫に負けじと、雪の中を宇治に赴いて、浮舟を小舟に乗せて宇治川を渡って対岸の隠れ家へ連れ出し、そこで二日間を過ごしたことになっているのだが、
シテは、この宇治川でのこの小舟の話を引いて、〔カケリ〕を舞って、茫然自失の姿を見せる。
シテの舞は、実に優雅で美しく、私には、宇治川での絵のようなシーンを彷彿とさせてくれた。
尤も、宇治川は、琵琶湖から天ヶ瀬ダムをへて、急斜面を流れ落ちているので、非常に流れが速くて、むしろ平家物語の宇治川合戦の雰囲気で、雅な舟遊びの場所ではないことも事実であるが、しかし、春夏秋冬、いつでも絵になる風景が現出される。
私は、学生時代、宇治分校に通って居た頃、この宇治で1年間下宿していて、平等院や宇治川河畔が、私の散歩道であったので、源氏物語の宇治十帖のイメージは、何となく、自然に湧いてくるのである。
宇治に行くと、直ぐ側の国宝で世界遺産の宇治上神社を訪れて、源氏物語ミュージアムに行くのだが、ここに来ると、源氏物語の世界が、走馬灯のように駆け巡って来て、しばらく、その余韻を楽しむことにしている。
和辻哲郎や亀井勝一郎、入江泰吉や土門拳、随分お世話になったが、何よりも、大切であったのは、源氏物語と平家物語。
平家物語は、原典そのまま読んだが、源氏物語は、原典と谷崎潤一郎訳を併読、
とにかく、勉強は程々にして、京都や奈良など関西の古社寺散策、歴史散歩に明け暮れていたあの頃が懐かしい。