久しぶりのワーグナーの「ワルキューレ」である。
METで2回、ロイヤルオペラ、ギルギエフ指揮のマリインスキー、良く覚えていないが、ほかにも何回か、それに、11年のMETライブビューイングも観ているので、結構、私にとっては、馴染みのワーグナーの楽劇の舞台であるが、休憩を含めて、5時間以上の長大なオペラであるので、感動も一入である。
幸い、ロンドンに居た時に、ロイヤル・オペラで、ゲオルグ・ショルティやベルナルド・ハイティンクが、ワーグナーのオペラを殆ど振ったので、一気に、ワーグナーの魅力に取りつかれてしまった。
最初に聴いたバイロイトのトリスタンとイゾルデが、一番好きだが、タンホイザー、ローエングリン、パルジファル、ニュルンベルグのマイスタージンガー、ニーベルングの指環の他の3曲、さまよえるオランダ人・・・、とにかく、ワーグナーのオペラは、長時間なので、鑑賞の日は、殆ど、劇場に釘付けであったが、ファンにとっては、たまらない程幸せな時間である。
この「ワルキューレ」は、楽劇「ニーベルングの指環」四部作の「序夜」に続く「第一日」。
とにかく、この「ニーベルングの指環」は、途轍もない壮大な楽劇で、この「ワルキューレ」は、鑑賞回数も多いので、かなり、ストーリー展開も分かっているのだが、ほかの曲は、英文の解説文を多数読んでも良く分からず、当時は、字幕もなかったので、到底、ストーリーさえ、いい加減で観ていたと思うと、残念ではある。
「ワルキューレ」は、
フンディングの妻ジークリンデは、戦いに負けて逃れてきたジークムントを助けるが、2人は、神々の長ヴォータンが、人間の女性に産ませた双子の兄妹だと分かるが、お互いに恋に落ちて、邪悪なフンディングから逃げるべく駆け落ちする。ヴォータンの妻フリッカは、兄妹の近親相姦禁断の愛を認めず、ジークムントを、追ってきた宿敵であるフンディングとの戦いで、ヴォータンに、彼を殺すように迫る。ヴォータンの娘で戦乙女ワルキューレのブリュンヒルデは、仕方なく翻意した父からジークムントを倒すよう命じられるが、兄妹の愛に感動して彼らを助けようとする。しかし、戦いの場に、ヴォータンが現れて、自分がジークムントのために用意した必殺の宝剣「ノートゥング」を叩き割ってジークムントを死なせる。命令に逆らった娘にヴォータンは激怒するが、ブリュンヒルデは、英雄ジークフリートを身籠っているジークリンデを助けるべく、馬に乗って逃げ去る。8人のワルキューレ姉妹に匿われるが、逃げられず現れたブリュンヒルデは、ヴォータンに神聖を解かれてワルハラから追放される。ヴォータンは、力を失ったブリュンヒルデを岩山に横たえ、体を盾で覆い、槍を振りかざし、岩を3度突いてローゲを呼び出し、ブリュンヒルデは炎に包まれ、壮大な「魔の炎の音楽」が鳴り響いて幕。
この楽劇では、前半のジークムントとジークリンデ、後半のヴォータンとブリュンヒルデと役者が交代して二部に分かれている感じで、私が観たMETの2回とも、ジークムントを歌ったプラシド・ドミンゴが、途中のカーテンコールで消えて、その後、登場しなくなってしまった。
寂しく感じたのだが、ほかのオペラの2倍以上もある長い楽劇であるから、2曲のオペラを観たと思うべきであろう。
ロイヤルオペラのルネ・コロもそうだったし、前のMETライブビューイングのヨナス・カウフマンもそうであった。
ヴォータンの「遠大な計画」は、「自由な意志を持ち、自発的に行動する英雄」を作り出すことで、それを、兄のジークムントに託して、神々の束縛・掟から自由な英雄となるべき存在とすべく、英雄としての宝剣「ノートゥング」をジークムントに授ける手はずも整えていた。
ところが、兄妹の近親相姦と言う神の掟を破ったのみならず、ヴォータンの「遠大な計画」が、ジークムントの自由な意思どころかヴォータンが操っているだけだとフリッカに見抜かれて、自己矛盾に陥ったヴォータンは、翻意して挫折してしまう。
この神の意志を継ごうとしたのが、ヴォータンが涙ながらにも縁を切って決別した最愛の娘ブリュンヒルデで、ジークリンデを助けて、英雄ジークフリートの誕生へと伏線を張る。
この第3幕の終わりに近い「ヴォータンの告別」から続くブリュンヒルデとの感動的な別れから、真っ赤に炎に包まれて咆哮する「魔の炎の音楽」で収束して行く、この壮大て途轍もなく美しい幕切れは、忘れえないワーグナーの世界である。
この楽劇は、「トリスタンとイゾルデ」の、螺旋状にどんどん高揚して行く限りなく美しい愛の二重唱とは、一寸、雰囲気が違ってはいるのだが、第1幕でのジークムントによる「冬の嵐は過ぎ去り」(ジークムントの「春と愛の歌」)に応えて、ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌う、二重唱の感動はまた秀逸で、プッチーニなどのベルカントの美しいアリアとは違った、深い感動を呼ぶ。
今回の「ワルキューレ」のキャスティングは、
指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:ロベール・ルパージュ
出演:
ブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキー、ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック、ジークムント:スチュアート・スケルトン、ヴォータン:グリア・グリムスリー、フンディング:ギュンター・グロイスベック、フリッカ:ジェイミー・バートン
前回、ブリュンヒルデを歌っていたデボラ・ヴォイトが、今回のMETライブビューイングの進行役を務めていたが、正に最良のキャスティングで、私は、彼女のブリュンヒルデやイゾルデが好きであった。
ゲルブ総裁が、ヴォイトの後継者だと言っていたブリュンヒルデのクリスティーン・ガーキーも凄い歌手で、とにかく、ゲルブが最高のキャストを揃えた舞台だと語っていたが、流石に、METだと言うことであろう。
性格俳優ぶりで異彩を放ったフンディングのギュンター・グロイスベックが、来季、バイロイトでヴォータンを歌うのだと嬉しそうに語っていたのが印象的であった。
このMETライブビューイングの良さは、主要歌手が、休憩時に、インタビューに登場してくれることである。
この「ワルキューレ」の舞台で特筆すべきは、ロベール・ルパージュの演出で、ゲルブが、マシーンと表現していた大掛かりな上下に動く24枚の巨大な羽根状のシーソーのような舞台。
巨大な左右の2本の柱から渡された心棒が羽板を串刺しにして支えていていて、24人のスタッフが板を操作する。
第3幕の序章「ヴァルキューレの騎行 Der Ritt der Walkueren」の素晴らしいサウンドにのせて、8人のワルキューレたちの騎馬シーンが現出され、ワルハラの岩山の舞台になって、ラストシーンの炎として燃え上がる。


ロベール・ルパージュは、アイスランドの風景と北欧神話にインスピレーションを得たのだと語っていたが、確かに、このワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツの英雄叙事詩ではあるが、北欧神話やケルト神話などの影響も大きく受けているのであろう。
感動的な5時間のワルキューレであったのだが、松竹のMETライブビューイングのHPからの借用画像を追記しておく。
最初の画像は、ジークムントとジークリンデ、続いて、ワルキューレとヴォータン、フリッカ、



METで2回、ロイヤルオペラ、ギルギエフ指揮のマリインスキー、良く覚えていないが、ほかにも何回か、それに、11年のMETライブビューイングも観ているので、結構、私にとっては、馴染みのワーグナーの楽劇の舞台であるが、休憩を含めて、5時間以上の長大なオペラであるので、感動も一入である。
幸い、ロンドンに居た時に、ロイヤル・オペラで、ゲオルグ・ショルティやベルナルド・ハイティンクが、ワーグナーのオペラを殆ど振ったので、一気に、ワーグナーの魅力に取りつかれてしまった。
最初に聴いたバイロイトのトリスタンとイゾルデが、一番好きだが、タンホイザー、ローエングリン、パルジファル、ニュルンベルグのマイスタージンガー、ニーベルングの指環の他の3曲、さまよえるオランダ人・・・、とにかく、ワーグナーのオペラは、長時間なので、鑑賞の日は、殆ど、劇場に釘付けであったが、ファンにとっては、たまらない程幸せな時間である。
この「ワルキューレ」は、楽劇「ニーベルングの指環」四部作の「序夜」に続く「第一日」。
とにかく、この「ニーベルングの指環」は、途轍もない壮大な楽劇で、この「ワルキューレ」は、鑑賞回数も多いので、かなり、ストーリー展開も分かっているのだが、ほかの曲は、英文の解説文を多数読んでも良く分からず、当時は、字幕もなかったので、到底、ストーリーさえ、いい加減で観ていたと思うと、残念ではある。
「ワルキューレ」は、
フンディングの妻ジークリンデは、戦いに負けて逃れてきたジークムントを助けるが、2人は、神々の長ヴォータンが、人間の女性に産ませた双子の兄妹だと分かるが、お互いに恋に落ちて、邪悪なフンディングから逃げるべく駆け落ちする。ヴォータンの妻フリッカは、兄妹の近親相姦禁断の愛を認めず、ジークムントを、追ってきた宿敵であるフンディングとの戦いで、ヴォータンに、彼を殺すように迫る。ヴォータンの娘で戦乙女ワルキューレのブリュンヒルデは、仕方なく翻意した父からジークムントを倒すよう命じられるが、兄妹の愛に感動して彼らを助けようとする。しかし、戦いの場に、ヴォータンが現れて、自分がジークムントのために用意した必殺の宝剣「ノートゥング」を叩き割ってジークムントを死なせる。命令に逆らった娘にヴォータンは激怒するが、ブリュンヒルデは、英雄ジークフリートを身籠っているジークリンデを助けるべく、馬に乗って逃げ去る。8人のワルキューレ姉妹に匿われるが、逃げられず現れたブリュンヒルデは、ヴォータンに神聖を解かれてワルハラから追放される。ヴォータンは、力を失ったブリュンヒルデを岩山に横たえ、体を盾で覆い、槍を振りかざし、岩を3度突いてローゲを呼び出し、ブリュンヒルデは炎に包まれ、壮大な「魔の炎の音楽」が鳴り響いて幕。
この楽劇では、前半のジークムントとジークリンデ、後半のヴォータンとブリュンヒルデと役者が交代して二部に分かれている感じで、私が観たMETの2回とも、ジークムントを歌ったプラシド・ドミンゴが、途中のカーテンコールで消えて、その後、登場しなくなってしまった。
寂しく感じたのだが、ほかのオペラの2倍以上もある長い楽劇であるから、2曲のオペラを観たと思うべきであろう。
ロイヤルオペラのルネ・コロもそうだったし、前のMETライブビューイングのヨナス・カウフマンもそうであった。
ヴォータンの「遠大な計画」は、「自由な意志を持ち、自発的に行動する英雄」を作り出すことで、それを、兄のジークムントに託して、神々の束縛・掟から自由な英雄となるべき存在とすべく、英雄としての宝剣「ノートゥング」をジークムントに授ける手はずも整えていた。
ところが、兄妹の近親相姦と言う神の掟を破ったのみならず、ヴォータンの「遠大な計画」が、ジークムントの自由な意思どころかヴォータンが操っているだけだとフリッカに見抜かれて、自己矛盾に陥ったヴォータンは、翻意して挫折してしまう。
この神の意志を継ごうとしたのが、ヴォータンが涙ながらにも縁を切って決別した最愛の娘ブリュンヒルデで、ジークリンデを助けて、英雄ジークフリートの誕生へと伏線を張る。
この第3幕の終わりに近い「ヴォータンの告別」から続くブリュンヒルデとの感動的な別れから、真っ赤に炎に包まれて咆哮する「魔の炎の音楽」で収束して行く、この壮大て途轍もなく美しい幕切れは、忘れえないワーグナーの世界である。
この楽劇は、「トリスタンとイゾルデ」の、螺旋状にどんどん高揚して行く限りなく美しい愛の二重唱とは、一寸、雰囲気が違ってはいるのだが、第1幕でのジークムントによる「冬の嵐は過ぎ去り」(ジークムントの「春と愛の歌」)に応えて、ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌う、二重唱の感動はまた秀逸で、プッチーニなどのベルカントの美しいアリアとは違った、深い感動を呼ぶ。
今回の「ワルキューレ」のキャスティングは、
指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:ロベール・ルパージュ
出演:
ブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキー、ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック、ジークムント:スチュアート・スケルトン、ヴォータン:グリア・グリムスリー、フンディング:ギュンター・グロイスベック、フリッカ:ジェイミー・バートン
前回、ブリュンヒルデを歌っていたデボラ・ヴォイトが、今回のMETライブビューイングの進行役を務めていたが、正に最良のキャスティングで、私は、彼女のブリュンヒルデやイゾルデが好きであった。
ゲルブ総裁が、ヴォイトの後継者だと言っていたブリュンヒルデのクリスティーン・ガーキーも凄い歌手で、とにかく、ゲルブが最高のキャストを揃えた舞台だと語っていたが、流石に、METだと言うことであろう。
性格俳優ぶりで異彩を放ったフンディングのギュンター・グロイスベックが、来季、バイロイトでヴォータンを歌うのだと嬉しそうに語っていたのが印象的であった。
このMETライブビューイングの良さは、主要歌手が、休憩時に、インタビューに登場してくれることである。
この「ワルキューレ」の舞台で特筆すべきは、ロベール・ルパージュの演出で、ゲルブが、マシーンと表現していた大掛かりな上下に動く24枚の巨大な羽根状のシーソーのような舞台。
巨大な左右の2本の柱から渡された心棒が羽板を串刺しにして支えていていて、24人のスタッフが板を操作する。
第3幕の序章「ヴァルキューレの騎行 Der Ritt der Walkueren」の素晴らしいサウンドにのせて、8人のワルキューレたちの騎馬シーンが現出され、ワルハラの岩山の舞台になって、ラストシーンの炎として燃え上がる。


ロベール・ルパージュは、アイスランドの風景と北欧神話にインスピレーションを得たのだと語っていたが、確かに、このワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツの英雄叙事詩ではあるが、北欧神話やケルト神話などの影響も大きく受けているのであろう。
感動的な5時間のワルキューレであったのだが、松竹のMETライブビューイングのHPからの借用画像を追記しておく。
最初の画像は、ジークムントとジークリンデ、続いて、ワルキューレとヴォータン、フリッカ、


