通し狂言『妹背山婦女庭訓』。
五段目 志賀都の段、入鹿が討たれて帝が復位し、平和が訪れ、新都志賀の都で忠臣たちへ恩賞が授与され、久我之助と雛鳥の供養が行われる。 と言うこの段だけは、省略されているのだが、全段、丁寧に上演されたので、今回の通し狂言は、朝10時半から、夜の9時までの長時間にわたる非常に意欲的な舞台であった。
しかし、20何年も、劇場に通って、歌舞伎や文楽に通い詰めていると、みどり公演ではあるが、殆どの舞台を、切れ切れだが観ていることが分かって、その鑑賞履歴を、つなぎ合わせながら観ていると言うことであって、不思議な感じがした。
それに、朝から晩まで、連続して観ていると、いくら期待の通し狂言だと言っても、正直なところ、三段目の、あまりにも充実した素晴らしい「山の段」が頂点で、その後の「道行恋苧環」の冴えない義太夫に興ざめして、大舞台である四段目の「三笠山御殿〈金殿〉の段」さえ、苦痛になって来た感じで、先日のワーグナーとは、違った思いだったが、緊張は、5時間が良いところだと、一寸、歳を感じてしまった。
昼の部は、義太夫を聴こうと思って、上手側前方に席をとったのだが、夜の部は、簑助の遣う雛鳥をじっくりと観たくて、妹山に直近の下手前方の席に移った。
好都合だったのは、右手に設えられた演台にも直近で、凄い義太夫の掛合いを、臨場感たっぷりに堪能できたことである。
通し狂言としては、「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」と言った三大浄瑠璃が傑出しているのだが、「妹背山婦女庭訓」も、人気浄瑠璃で、みどり公演では、三段目の「山の段」や、四段目の「杉酒屋の段」や「道行恋苧環」や「三笠山御殿〈金殿〉の段」などは、文楽でも歌舞伎でも、頻繁に上演されていてお馴染みである。
今回は、傍若無人の蘇我蝦夷が息子の入鹿の策謀で自害に追い込まれて、その後、入鹿が帝位を簒奪すべく更なる巨悪となって台頭する初段と、宮中に乱入した入鹿を避けて、盲目の帝を、鎌足や息子の淡海が、猟師芝六じつは家臣玄上太郎の山中の家に匿って目を治し、鎌足たちによる反撃準備が始まると言う二段目が加わったので、面白くなっている。
入鹿は父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませた子供なので超人的な力を持っており、芝六は、入鹿を滅ぼすためには、爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要と知って、この二段目で、禁を破って葛籠山で爪黒の神鹿を射殺す。
疑着の相の女の血は、四段目で、騙し抜かれて嫉妬に狂ったお三輪が鱶七に殺されて、その血と爪黒の鹿の血とを混ぜて注いだ笛を吹いて、入鹿の正気を失わせて殺すと言う手はずになっているのである。
さて、橋本治の「浄瑠璃を読もう」によると、この浄瑠璃は、「超人的な悪人である入鹿が対峙される話である」。誰が、入鹿と対峙して殺すのか、その他大勢が寄ってたかって入鹿に立ち向かうので、誰だかよく分からないし、ストーリーを支える主役がいない。入鹿を退治する話でありながら、全編の主役が、退治される入鹿なのである。と言っている。
もう一つ、面白い指摘は、入鹿と対峙したのは誰だか分からないと言いながら、誰が大悪人入鹿に立ち向かうのかと言うと、男ではなく、女の入鹿の妹橘姫なのであると言う。
確かにそうで、鎌足も淡海も大判事も、男らしく入鹿に対峙している人物は誰もおらず、淡海に至っては、お三輪を誑し込むだけの卑怯な優男で、座頭役者が重々しく格好をつけて演じる大判事など、何処が偉くて立派なのか、全く分からないほど骨がない。
強いて、男らしく筋を通してい生き抜いたのは、久我之介くらいであろうか。
それでは、何に感動して、この「妹背山婦女庭訓」を観るのであろうか。
五段目 志賀都の段、入鹿が討たれて帝が復位し、平和が訪れ、新都志賀の都で忠臣たちへ恩賞が授与され、久我之助と雛鳥の供養が行われる。 と言うこの段だけは、省略されているのだが、全段、丁寧に上演されたので、今回の通し狂言は、朝10時半から、夜の9時までの長時間にわたる非常に意欲的な舞台であった。
しかし、20何年も、劇場に通って、歌舞伎や文楽に通い詰めていると、みどり公演ではあるが、殆どの舞台を、切れ切れだが観ていることが分かって、その鑑賞履歴を、つなぎ合わせながら観ていると言うことであって、不思議な感じがした。
それに、朝から晩まで、連続して観ていると、いくら期待の通し狂言だと言っても、正直なところ、三段目の、あまりにも充実した素晴らしい「山の段」が頂点で、その後の「道行恋苧環」の冴えない義太夫に興ざめして、大舞台である四段目の「三笠山御殿〈金殿〉の段」さえ、苦痛になって来た感じで、先日のワーグナーとは、違った思いだったが、緊張は、5時間が良いところだと、一寸、歳を感じてしまった。
昼の部は、義太夫を聴こうと思って、上手側前方に席をとったのだが、夜の部は、簑助の遣う雛鳥をじっくりと観たくて、妹山に直近の下手前方の席に移った。
好都合だったのは、右手に設えられた演台にも直近で、凄い義太夫の掛合いを、臨場感たっぷりに堪能できたことである。
通し狂言としては、「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」と言った三大浄瑠璃が傑出しているのだが、「妹背山婦女庭訓」も、人気浄瑠璃で、みどり公演では、三段目の「山の段」や、四段目の「杉酒屋の段」や「道行恋苧環」や「三笠山御殿〈金殿〉の段」などは、文楽でも歌舞伎でも、頻繁に上演されていてお馴染みである。
今回は、傍若無人の蘇我蝦夷が息子の入鹿の策謀で自害に追い込まれて、その後、入鹿が帝位を簒奪すべく更なる巨悪となって台頭する初段と、宮中に乱入した入鹿を避けて、盲目の帝を、鎌足や息子の淡海が、猟師芝六じつは家臣玄上太郎の山中の家に匿って目を治し、鎌足たちによる反撃準備が始まると言う二段目が加わったので、面白くなっている。
入鹿は父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませた子供なので超人的な力を持っており、芝六は、入鹿を滅ぼすためには、爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要と知って、この二段目で、禁を破って葛籠山で爪黒の神鹿を射殺す。
疑着の相の女の血は、四段目で、騙し抜かれて嫉妬に狂ったお三輪が鱶七に殺されて、その血と爪黒の鹿の血とを混ぜて注いだ笛を吹いて、入鹿の正気を失わせて殺すと言う手はずになっているのである。
さて、橋本治の「浄瑠璃を読もう」によると、この浄瑠璃は、「超人的な悪人である入鹿が対峙される話である」。誰が、入鹿と対峙して殺すのか、その他大勢が寄ってたかって入鹿に立ち向かうので、誰だかよく分からないし、ストーリーを支える主役がいない。入鹿を退治する話でありながら、全編の主役が、退治される入鹿なのである。と言っている。
もう一つ、面白い指摘は、入鹿と対峙したのは誰だか分からないと言いながら、誰が大悪人入鹿に立ち向かうのかと言うと、男ではなく、女の入鹿の妹橘姫なのであると言う。
確かにそうで、鎌足も淡海も大判事も、男らしく入鹿に対峙している人物は誰もおらず、淡海に至っては、お三輪を誑し込むだけの卑怯な優男で、座頭役者が重々しく格好をつけて演じる大判事など、何処が偉くて立派なのか、全く分からないほど骨がない。
強いて、男らしく筋を通してい生き抜いたのは、久我之介くらいであろうか。
それでは、何に感動して、この「妹背山婦女庭訓」を観るのであろうか。