熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METライブビューイング・・・マスネ―「マノン」

2019年12月02日 | クラシック音楽・オペラ
   プッチーニの「マノン・レスコー」がポピュラーで、同じ、アベ・プレヴォーの長編小説『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut )を題材にしながら、マスネ―の「マノン」は、割を食った感じだが、素晴らしいオペラである。
   と言っても、私は、一度だけしか、実際の舞台を見ておらず、それも、1988年12月2日、31年前で、ロンドンのロイヤル・オペラである。
   指揮は、マイケル・プラッソン、マノンは、ルーマニアの新生レオンティナ・ヴァドゥヴァで、ロイヤル・オペラデビューであった。
   
   この舞台については何も覚えていないが、プッチーニの「マノン・レスコー」の方は、何度か鑑賞しており、このブログで、2008年のニューヨーク紀行で、METの舞台のレビューを書いているのだが、この時のマノンは、フィンランド出身の名ソプラノ・カリタ・マッティラの凄い舞台であった。
   マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたとして、
   初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切った。

   さて、今回の「マノン」を歌ったのは、今もっとも注目されるオペラ界のライジング・スター:リセット・オロぺーサ。リリカルで澄んだ美声、伸びやかな高音、美しい容姿を併せ持つ。ニューオーリンズ生まれのキューバ系アメリカ人で、METのリンデマン・ヤングアーティストプログラムで育ったMETの優等生で、ヨーロッパでキャリアを積み、METへ帰ってきた。36歳で、匂うように美しく、感動的。
   天は二物を与えずは、彼女にとっては当てはまらない。
   尤も、マノンが、不実な悪女の典型だと言う捉え方をするならば、望みどおりに爛熟した豪華な生活に溺れながら、それさえにも満足できずに崩れて行くマノンのイメージは、キャリアを積んだ熟女のカリタ・マッティラの方が適役であろうが、もう少し経つと、M・ボンジョヴァンニが語っていたように、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、アンナ・モッフォ、ビヴァリー・シルズ、ルネ・フレミング等に並ぶ凄いマノン歌手となるであろう。
   私は、これらの歌手の舞台を観ているので、何となく、マスネ―の「マノン」歌手の雰囲気なりイメージが分かるような気がする。
   とにかく、修道女行きの田舎娘として舞台に登場した瞬間から、観客を魅了したリセット・オロぺーサの凱旋舞台は、インタビューしていたゲルブ総裁の喜びでもあろう。

   騎士デ・グリューは、アメリカが期待する気鋭のテノール:マイケル・ファビアーノ。
   甘く情熱的な声、役柄に没入する迫真の演技で聴衆を魅了すると言う、マノンのリセット・オロぺーサと同年代の情熱的に切々と思いを歌う好男子。
   ヨーロッパ出身の歌手の多いMETの舞台で、アメリカ出身の新生同士のカップルの初々しい溌溂とした舞台である。

   その他、キャストは次の通り、凄い布陣である。

   指揮:マウリツィオ・ベニーニ
   演出:ロラン・ペリー
   出演:
   マノン:リセット・オロペーサ、
   騎士デ・グリュー:マイケル・ファビアーノ、
   レスコー:アルトゥール・ルチンスキー、
   プレティーニ:ブレット・ポレガート、
   レスコーの父:クワン チュル・ユン
   
   ところで、この二つのオペラは、同じ小説をベースにしながら、演出が微妙に違っていて、その差が面白く、物語の奥行きを深くしていて興味が尽きない。
   例えば、「マノン・レスコー」では、マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテ(マノンでは、プレティーニ)の愛人になるまでは同じだが、
   二人が奈落に突き落とされる原因が違っていて、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所に、ジェロンテが帰って来て逮捕される。
   一方、「マノン」の方は、デ・グリューが、レスコーとマノンに唆されて、貧苦から抜け出すために、賭場に入って大勝ちして歓喜の絶頂で、負けた老貴族ギヨー・ド・モルフォンテーヌが、腹いせに、イカサマ博奕だと因縁をつけて警官を引き連れて帰って来て逮捕される。

   ラストシーンも一寸違っていて、父の努力で、デ・グリューは解放されるところは同じだが、「マノン・レスコー」では、マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てるのだが、「マノン」の方は、マノンが売春婦としてアメリカに売り飛ばされて護送中に、レスコーが流刑船の関係者を買収してマノンを奪還し、二人は再会するのだが、マノンの衰弱は既に極に達していて、デ・グリューに抱かれて息絶える。

   しかし、「マノン」の舞台では、「マノン・レスコー」にはないのだが、マノンに去られたデ・グリューが、サン・シュルピスの神学校で信仰に身を捧げているところに、絶えず、デ・グリューの自分への愛情を気にしているマノンが現れて、デ・グリューが拒絶するも、頽れて愛情を確かめ合うシーン。デ・グリューのアリア「消え去れ、優しい幻影よ」、マノンの「あなたの手を握ったことを思い出してください」という「誘惑のアリア」が、胸に迫る。
   このシーンだけでも、「マノン」は、若い二人のカップルには、格好の舞台である。

   泥棒を捕らえて縄を綯うではないが、カルメンでもそうだったが、フランス・オペラは、原作の小説を読むと数倍面白くなるので、アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」を読もうと思っている。
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