これまでのダイアモンドの著作とは一寸雰囲気が変わった、人類が現在直面している危機についての壮大な文化文明論であり、非常に面白い。
歴史上、国難とも言うべき重大な危機に直面して突破した7つの国の事例を説き起こしながら、これからの世界全体に害を及ぼし得る最大の危機を、核兵器の使用、世界的な気候変動、世界的な資源枯渇、世界的な生活水準における格差の拡大であると捉えて、歴史の教訓を見据えて、人類の目指すべく未来を示そうとする。
この基本的な問題は、次に論じるとして、まず、日本について、12章のうち2章を割いて、かなり突っ込んだ持論を展開していて、興味深いので、その感想を書いてみたいと思う。
第2章の「近代日本の起源」では、幕末のペリー来航頃から主に明治維新の危機克服による西洋化による強国への歩み、そして、太平洋戦争による挫折と戦後復興、
第8章の「日本を待ち受けるもの」では、今日の日本が直面している政治経済社会問題や中国や韓国との問題などを深掘りしながら、日本の未来を垣間見る。
明治維新については、司馬遼太郎も無血革命を高く評価しており、ジャレドもそうだが、明治政府の指導者は大原則を三つ採用したとして、
第一に、現実主義。現実には、欧米列強を追い払う実力はなく、西洋式の火器だけではなく、西洋の強さの源である政治経済社会制度の広範な改革によって富国強兵し国力を養うこと。
第二に、西洋諸国に強要された不平等条約の改正。
第三に、外国の手本をそのまま導入するのではなく、日本の状況と価値観に最も適合性に高いものを手本として、日本向けに調整すること。
そのために、日本の伝統主義者が受け入れやすいように、社会の改革や西洋からの借用を、伝統的な日本のやり方に回帰しただけだで新奇なことはないと「伝統の発明」と言う現象で、劇的な変革を遂げたのだと言う。
尊王攘夷と喚いていても、悲しいかな、憎きけ毛唐を駆逐する実力が更々なく、当面の国難を回避するためには不平等であっても、中国の轍を踏まないためにも、条約を結んで開国しなければならなかった。この屈辱を晴らすためにも、万難を排して国力を高めて富国強兵に励み、更に、政治経済社会制度を西欧化して、欧米先進国に孫色のない近代国家に脱皮しなければならない。しかし、日本の伝統と歴史に裏打ちされた貴重な日本の精神的支柱や日本魂を堅持すべきであるとする和魂洋才。
これを、僅か、4~50年でやってしまった日本の凄さ、国家の危機を克服した歴史の鑑である。と言うことであろうか。
ところがである。
日中および日ロ戦争の勝利等、明治日本の軍備増強と領土拡大は、成功に次ぐ成功を収めたが、既に、中国との全面戦争で膠着状態であり、ノモンハンなどソ連と国境戦争で疲弊しておりながら、
何故、欧米列強を敵に回して、絶望的に勝算のない第二次世界大戦に突入してしまったのか。
日露戦争の成功、ヴェルサイユ条約への失望、1929年の世界恐慌を発端として輸出主導型で経済成長させる目論見が潰えたことなど色々理由があるがと、ジャレドは述べながら、
明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公平な自国評価を行うための知識や能力に違いがあったためだと言う。
明治時代には、軍幹部を含む多くの指導者が海外に派遣された経験があって、欧米列強や中国などの現状や陸海軍の実力を詳細に知っていて、国力を公正に評価して、成功を確信した時のみに攻撃をしかけた。
しかし、1930年代に、中国に侵攻していた急進的な若手将校を筆頭にして、アメリカの工業力や軍事力を全く知らず、海外経験のない世間知らずの青年将校たちが、欧米の力を直接見聞きした経験のある政治家や海軍の長老たちを、恫喝し、威圧し、暗殺した。
1930年代の若い軍幹部に現実的かつ慎重で公正な自国評価を行うのに必要な知識と経験が欠けていたことが、日本に破壊的な結膜を招来したと言うのである。
この説が、正しいかどうかは私には判断能力がないので、何も言えないが、私も、アメリカでMBAを取った留学経験者であり、ヨーロッパで8年生活をしており、戦前、戦中には、途轍もない格差があったのであろう、こんな国と戦争するなど愚の骨頂だったと思っている。
さて、何回もこのブログで書いているので、蛇足は避けるが、今、日本から欧米のトップ大学や高等研究機関に留学して学ぶ日本の若者が極端に減って、ハーバードなど年に数人だと言う。
1930年代と40年代の日本と同じで、世界音痴の日本人ばかり、井の中の蛙ばかりが育っている。
悲劇が起こらないのが不思議だと言うべきであろう。
歴史上、国難とも言うべき重大な危機に直面して突破した7つの国の事例を説き起こしながら、これからの世界全体に害を及ぼし得る最大の危機を、核兵器の使用、世界的な気候変動、世界的な資源枯渇、世界的な生活水準における格差の拡大であると捉えて、歴史の教訓を見据えて、人類の目指すべく未来を示そうとする。
この基本的な問題は、次に論じるとして、まず、日本について、12章のうち2章を割いて、かなり突っ込んだ持論を展開していて、興味深いので、その感想を書いてみたいと思う。
第2章の「近代日本の起源」では、幕末のペリー来航頃から主に明治維新の危機克服による西洋化による強国への歩み、そして、太平洋戦争による挫折と戦後復興、
第8章の「日本を待ち受けるもの」では、今日の日本が直面している政治経済社会問題や中国や韓国との問題などを深掘りしながら、日本の未来を垣間見る。
明治維新については、司馬遼太郎も無血革命を高く評価しており、ジャレドもそうだが、明治政府の指導者は大原則を三つ採用したとして、
第一に、現実主義。現実には、欧米列強を追い払う実力はなく、西洋式の火器だけではなく、西洋の強さの源である政治経済社会制度の広範な改革によって富国強兵し国力を養うこと。
第二に、西洋諸国に強要された不平等条約の改正。
第三に、外国の手本をそのまま導入するのではなく、日本の状況と価値観に最も適合性に高いものを手本として、日本向けに調整すること。
そのために、日本の伝統主義者が受け入れやすいように、社会の改革や西洋からの借用を、伝統的な日本のやり方に回帰しただけだで新奇なことはないと「伝統の発明」と言う現象で、劇的な変革を遂げたのだと言う。
尊王攘夷と喚いていても、悲しいかな、憎きけ毛唐を駆逐する実力が更々なく、当面の国難を回避するためには不平等であっても、中国の轍を踏まないためにも、条約を結んで開国しなければならなかった。この屈辱を晴らすためにも、万難を排して国力を高めて富国強兵に励み、更に、政治経済社会制度を西欧化して、欧米先進国に孫色のない近代国家に脱皮しなければならない。しかし、日本の伝統と歴史に裏打ちされた貴重な日本の精神的支柱や日本魂を堅持すべきであるとする和魂洋才。
これを、僅か、4~50年でやってしまった日本の凄さ、国家の危機を克服した歴史の鑑である。と言うことであろうか。
ところがである。
日中および日ロ戦争の勝利等、明治日本の軍備増強と領土拡大は、成功に次ぐ成功を収めたが、既に、中国との全面戦争で膠着状態であり、ノモンハンなどソ連と国境戦争で疲弊しておりながら、
何故、欧米列強を敵に回して、絶望的に勝算のない第二次世界大戦に突入してしまったのか。
日露戦争の成功、ヴェルサイユ条約への失望、1929年の世界恐慌を発端として輸出主導型で経済成長させる目論見が潰えたことなど色々理由があるがと、ジャレドは述べながら、
明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公平な自国評価を行うための知識や能力に違いがあったためだと言う。
明治時代には、軍幹部を含む多くの指導者が海外に派遣された経験があって、欧米列強や中国などの現状や陸海軍の実力を詳細に知っていて、国力を公正に評価して、成功を確信した時のみに攻撃をしかけた。
しかし、1930年代に、中国に侵攻していた急進的な若手将校を筆頭にして、アメリカの工業力や軍事力を全く知らず、海外経験のない世間知らずの青年将校たちが、欧米の力を直接見聞きした経験のある政治家や海軍の長老たちを、恫喝し、威圧し、暗殺した。
1930年代の若い軍幹部に現実的かつ慎重で公正な自国評価を行うのに必要な知識と経験が欠けていたことが、日本に破壊的な結膜を招来したと言うのである。
この説が、正しいかどうかは私には判断能力がないので、何も言えないが、私も、アメリカでMBAを取った留学経験者であり、ヨーロッパで8年生活をしており、戦前、戦中には、途轍もない格差があったのであろう、こんな国と戦争するなど愚の骨頂だったと思っている。
さて、何回もこのブログで書いているので、蛇足は避けるが、今、日本から欧米のトップ大学や高等研究機関に留学して学ぶ日本の若者が極端に減って、ハーバードなど年に数人だと言う。
1930年代と40年代の日本と同じで、世界音痴の日本人ばかり、井の中の蛙ばかりが育っている。
悲劇が起こらないのが不思議だと言うべきであろう。