熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鎌倉文学館で展示鑑賞、鎌倉能舞台でシンポジューム

2019年12月15日 | 鎌倉・湘南日記
   久しぶりに、冬の鎌倉文学館を訪れた。
   この日、鎌倉能楽堂で、「源頼朝公シンポジューム」と言う催しがあって、その開始時間に少し余裕があったので出かけたのだが、「オリンピックと文学者」と言う興味深い特別展を行っており、会期が、15日までだったので、是非見たいと言う思いもあった。

   昭和11年のベルリン・オリンピックに派遣されて取材記事を書いたと言う武者小路実篤の娘たちへの絵ハガキ短信なども展示されていて、非常に興味深かった。
   1900年のパリ大会を見たかもしれない夏目漱石を初め、多くの文学者たちのオリンピックへの関りを資料と共に、沢山展示されていて、こんなことがあったのかと、面白い発見があって参考になった。

   この文学館、アプローチから庭に入ると真っ先に目に入るのが、ヌード像で、何故、この彫刻なのかは分からないが、まだ、バラの花が咲いていて、明るい雰囲気であった。
   
   
   
   

   この文学館から、海岸通りに出て長谷寺に向かって歩き、北方向へ大仏に向かって少し歩くと、左手の路地の奥に鎌倉能舞台がある。
   ほんの2~300m路地を奥に入るだけで、閑静な住宅街に入るのは、鎌倉の良さであろう。
   玄関口にボードさえなければ見過ごすような佇まいの簡素な能楽堂だが、こじんまりしたシックな雰囲気が、たまらなく魅力である。
   国立能楽堂にばかり通っていて、まだ、この能舞台で、能狂言を鑑賞したことがないのだが、近いので、演目によっては行きたいと思っている。
   
   

   シンポジュームは、
   1部 講演会~武士の府を開いた男・源頼朝~ 作家 伊東潤
   2部 座談会~源頼朝とまちづくり~ 高橋典幸東大准教授ほか

   世界史や世界地理に興味があって、高校時代に、日本史を十分学んでこなかった所為もあって、そして、特に、比較的光が当たらない鎌倉室町時代の知識が希薄で、鎌倉へ来てから少しずつ勉強した状態であったので、結構、面白かった。

   頼朝にとって転機となった富士川の合戦の勝利で、
   伊東氏は、頼朝が、そのまま京都へ攻め込まずに、鎌倉幕府の発展強化を優先した、流石だと言う評価であったが、高橋準教授は、都生まれの頼朝は、義仲のように、勢いを駆って京都に攻め上りたかったのだが、近臣の忠告を入れて断念したと、京へ向かっていたら、この鎌倉がなかったと語っていた。
   座談会では、鎌倉の遺跡発掘が進んでいて、色々な新しい発見があるようで、地道な努力が、歴史を蘇らせているようで、興味深かった。
   
コメント
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