12月文楽鑑賞教室のプログラムは、
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
火の見櫓の段
解説 文楽の魅力
平家女護島(へいけにょごのしま)
鬼界が島の段
12月の東京公演には行かないのだと、初代玉男が語っていて、この公演には、人間国宝などトップ演者は上京しないのだが、最近の12月公演でも、本公演の文楽よりも、この文楽鑑賞教室の方に、人気演者が登場する。
AとBの2公演立てになっていて、今回、私が鑑賞したのは、思うように席が取れる「社会人のための文楽教室」のBプロの方で、俊寛僧都は玉男、蜑千鳥は勘十郎であった。
前座の「伊達娘恋緋鹿子」が上演されたが、やはり、1時間の凝縮された「平家女護島」の鬼界が島の段が、圧巻である。
この平家女護島の鬼界が島の段の文楽は、随分前のことになるが、大阪の文楽劇場に行って、最晩年の初代玉男の俊寛僧都の舞台を観た。
大詰めの岩山に這い上って、船影を追うラストシーンは、玉女(今の玉男)に代わったのだが、その後、初代は休演した。
やはり、俊寛僧都は、初代の芸を継承した玉男の当たり役だが、勘十郎の俊寛僧都も魅せてくれる。
蜑千鳥は、簑助の舞台を観続けていたが、今回は弟子の勘十郎で、両者とも至芸があたらしい時代に移ったのである。
俊寛の物語は、文楽のみならず、能「俊寛」や歌舞伎の舞台でも、結構、観続けてきており、このブログにも随分書いてきたので、蛇足は、避けて、近松門左衛門の創作した蜑千鳥について、書いてみたい。
今回も、最前列の真ん中で舞台を観て、人形遣いの芸を具に観ていた。
まず、玉男の俊寛の印象だが、非常に興味深い。
平家物語の俊寛の足摺でも、能「俊寛」でも、本来、絶海の孤島に3年間も飲まず食わずに極貧生活に生きてきたので、末路は非常に悲惨で、弱弱しい俊寛が演じられることが多い。
しかし、玉男の俊寛は、その衰弱した弱い俊寛を丁寧に描きながらも、やはり、時の権力者清盛を敵に回して謀反を画策した旗頭で、後白河法皇の側近で法勝寺執行と言う傑物であるから、随所に、その強さと気迫を表現すべく、剛直で迫力のある俊寛像を、隠し味のように垣間見せていて感激するのである。
言い方は悪いが、腐っても鯛は鯛であることを、玉男は、俊寛像に籠めようとしたのだと感じている。
妹尾との対決も真剣勝負での対決であるし、妹尾の首を掻き切る凄さ、岩山を蔦を必死に手繰り寄せながら上る気迫、
エネルギーを凝縮して爆発させながら、表面には決して表さない抑えに抑えた丁寧な演技の凄さ、玉男の額は、汗びっしょりに輝いていた。
玉男の俊寛のラストシーンは、絶海の孤島に一人残された乞食坊主の哀れな俊寛ではなく、人生を諦観しきった仙人のような風格さえ感じるのは、私だけであろうか。
さて、蜑千鳥だが、
近松門左衛門が、この鬼界ヶ島の海女で成経の妻千鳥と言う架空の女性を紡ぎ出したのだが、この舞台では準主役であり、都での成経との生活を夢見た喜びもつかの間、乗船を許されなくなって一人で島に取り残された千鳥の悲嘆のクドキのシーンが秀逸で、
哀調を帯びた浄瑠璃と三味線の音に乗って、流れるように悲痛の絶頂を歌い上げながら舞う千鳥の姿は、まさに感動の舞台で、簑助譲りの芸を踏襲しながら新境地を見せる勘十郎の芸が凄い。
この舞台では、俊寛は、限りなく愛していて今も思えば恋心と述懐する妻のあづまやが、瀬尾から、自害したと聞いて、生きる望みを完全に失って、帰郷への思いを断ち切って、千鳥に乗船権を譲って、自分は一人で絶海の孤島に残る。
近松のこの「平家女護島」では、清盛が、俊寛僧都の美人妻あづまやにぞっこん惚れ込んで、義朝の愛妾常盤御前のように、邸内に囲って執拗に言い寄るのだが、潔しとせずに、あづまやは、自害することになっている。
しかし、平家物語では、あづまやは、命を懸けて操を守り抜いたのではなく、鞍馬の奥に移り住み、鬼界が島に連れて行けと俊寛に纏わりついた幼女を亡くして悲嘆にくれて亡くなっており、
「有王島下り」の章で、俊寛が可愛がっていた童・有王が、鬼界が島を訪れて、俊寛にこの話をすると、妻子にもう一度会いたいばっかりに生きながらえて来たのだが、たどたどしい文を書いてよこした12歳の娘を一人残すのは不憫だけれど、これ以上苦労をかけるのも身勝手であろうと、俊寛は、絶食して弥陀の名号を唱えながら息を引き取る。
いずれにしろ、俊寛が、都に残した妻と幼い娘のことを思い続けながら鬼界が島にいたと言うことで、この俊寛の妻子への恩愛の情を、近松は、蜑千鳥と言う架空の女性を創作することによって、妻への思いを成経の妻千鳥に体現し、また、千鳥を自分の子供と認めて縁を結ぶシーンに託して、描こうとしたのだと思っている。
蜑千鳥を紹介された俊寛が、にこにこと、「・・・俊寛も故郷にあずまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、語るも恋、夫婦の中も恋同前、聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」と相好を崩して、二人の馴れ初めを聞こうとする。
赦免船が到着する前の実に平穏無事な幸せ、
近松は、恋、恋と言う台詞を、何度も詞章に書き込んだのである。
さて、この蜑千鳥だが、清盛が、厳島への御幸途中に、後白河法皇に入水を迫った挙句、海に突き落としたので、それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すと、怒った清盛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先にあずまやと千鳥の怨霊が現れる。
俊寛は、早々に鬼会が島で舞台から退場したが、二人の女性が最後に登場するのも、近松門左衛門の思いやりであろうか。
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
火の見櫓の段
解説 文楽の魅力
平家女護島(へいけにょごのしま)
鬼界が島の段
12月の東京公演には行かないのだと、初代玉男が語っていて、この公演には、人間国宝などトップ演者は上京しないのだが、最近の12月公演でも、本公演の文楽よりも、この文楽鑑賞教室の方に、人気演者が登場する。
AとBの2公演立てになっていて、今回、私が鑑賞したのは、思うように席が取れる「社会人のための文楽教室」のBプロの方で、俊寛僧都は玉男、蜑千鳥は勘十郎であった。
前座の「伊達娘恋緋鹿子」が上演されたが、やはり、1時間の凝縮された「平家女護島」の鬼界が島の段が、圧巻である。
この平家女護島の鬼界が島の段の文楽は、随分前のことになるが、大阪の文楽劇場に行って、最晩年の初代玉男の俊寛僧都の舞台を観た。
大詰めの岩山に這い上って、船影を追うラストシーンは、玉女(今の玉男)に代わったのだが、その後、初代は休演した。
やはり、俊寛僧都は、初代の芸を継承した玉男の当たり役だが、勘十郎の俊寛僧都も魅せてくれる。
蜑千鳥は、簑助の舞台を観続けていたが、今回は弟子の勘十郎で、両者とも至芸があたらしい時代に移ったのである。
俊寛の物語は、文楽のみならず、能「俊寛」や歌舞伎の舞台でも、結構、観続けてきており、このブログにも随分書いてきたので、蛇足は、避けて、近松門左衛門の創作した蜑千鳥について、書いてみたい。
今回も、最前列の真ん中で舞台を観て、人形遣いの芸を具に観ていた。
まず、玉男の俊寛の印象だが、非常に興味深い。
平家物語の俊寛の足摺でも、能「俊寛」でも、本来、絶海の孤島に3年間も飲まず食わずに極貧生活に生きてきたので、末路は非常に悲惨で、弱弱しい俊寛が演じられることが多い。
しかし、玉男の俊寛は、その衰弱した弱い俊寛を丁寧に描きながらも、やはり、時の権力者清盛を敵に回して謀反を画策した旗頭で、後白河法皇の側近で法勝寺執行と言う傑物であるから、随所に、その強さと気迫を表現すべく、剛直で迫力のある俊寛像を、隠し味のように垣間見せていて感激するのである。
言い方は悪いが、腐っても鯛は鯛であることを、玉男は、俊寛像に籠めようとしたのだと感じている。
妹尾との対決も真剣勝負での対決であるし、妹尾の首を掻き切る凄さ、岩山を蔦を必死に手繰り寄せながら上る気迫、
エネルギーを凝縮して爆発させながら、表面には決して表さない抑えに抑えた丁寧な演技の凄さ、玉男の額は、汗びっしょりに輝いていた。
玉男の俊寛のラストシーンは、絶海の孤島に一人残された乞食坊主の哀れな俊寛ではなく、人生を諦観しきった仙人のような風格さえ感じるのは、私だけであろうか。
さて、蜑千鳥だが、
近松門左衛門が、この鬼界ヶ島の海女で成経の妻千鳥と言う架空の女性を紡ぎ出したのだが、この舞台では準主役であり、都での成経との生活を夢見た喜びもつかの間、乗船を許されなくなって一人で島に取り残された千鳥の悲嘆のクドキのシーンが秀逸で、
哀調を帯びた浄瑠璃と三味線の音に乗って、流れるように悲痛の絶頂を歌い上げながら舞う千鳥の姿は、まさに感動の舞台で、簑助譲りの芸を踏襲しながら新境地を見せる勘十郎の芸が凄い。
この舞台では、俊寛は、限りなく愛していて今も思えば恋心と述懐する妻のあづまやが、瀬尾から、自害したと聞いて、生きる望みを完全に失って、帰郷への思いを断ち切って、千鳥に乗船権を譲って、自分は一人で絶海の孤島に残る。
近松のこの「平家女護島」では、清盛が、俊寛僧都の美人妻あづまやにぞっこん惚れ込んで、義朝の愛妾常盤御前のように、邸内に囲って執拗に言い寄るのだが、潔しとせずに、あづまやは、自害することになっている。
しかし、平家物語では、あづまやは、命を懸けて操を守り抜いたのではなく、鞍馬の奥に移り住み、鬼界が島に連れて行けと俊寛に纏わりついた幼女を亡くして悲嘆にくれて亡くなっており、
「有王島下り」の章で、俊寛が可愛がっていた童・有王が、鬼界が島を訪れて、俊寛にこの話をすると、妻子にもう一度会いたいばっかりに生きながらえて来たのだが、たどたどしい文を書いてよこした12歳の娘を一人残すのは不憫だけれど、これ以上苦労をかけるのも身勝手であろうと、俊寛は、絶食して弥陀の名号を唱えながら息を引き取る。
いずれにしろ、俊寛が、都に残した妻と幼い娘のことを思い続けながら鬼界が島にいたと言うことで、この俊寛の妻子への恩愛の情を、近松は、蜑千鳥と言う架空の女性を創作することによって、妻への思いを成経の妻千鳥に体現し、また、千鳥を自分の子供と認めて縁を結ぶシーンに託して、描こうとしたのだと思っている。
蜑千鳥を紹介された俊寛が、にこにこと、「・・・俊寛も故郷にあずまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、語るも恋、夫婦の中も恋同前、聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」と相好を崩して、二人の馴れ初めを聞こうとする。
赦免船が到着する前の実に平穏無事な幸せ、
近松は、恋、恋と言う台詞を、何度も詞章に書き込んだのである。
さて、この蜑千鳥だが、清盛が、厳島への御幸途中に、後白河法皇に入水を迫った挙句、海に突き落としたので、それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すと、怒った清盛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先にあずまやと千鳥の怨霊が現れる。
俊寛は、早々に鬼会が島で舞台から退場したが、二人の女性が最後に登場するのも、近松門左衛門の思いやりであろうか。