熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期C・・・アラン・ギルバートのハイドン90番ほか

2019年12月14日 | クラシック音楽・オペラ
   都響定期C 12月8日のプログラムは、次の通り。

   指揮/アラン・ギルバート
   ヴァイオリン/矢部達哉

   リスト(アダムズ編曲):悲しみのゴンドラ
   バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番 Sz.36
   アデス:クープランからの3つの習作(2006)(日本初演)
   ハイドン:交響曲第90番 ハ長調 Hob.I:90

   アラン・ギルバートの演奏会には、この都響で、かなり、通うようになったので、雰囲気に慣れてきた。
   王道を行く音楽教育を受けて恵まれたキャリアを突っ走ってきたアメリカの凄い指揮者で、ニューヨーク・フィルの音楽監督が長かった逸材、
   お母さんが日本人だと言うので、一層、親しみが湧く。
   これまで、前列、やや、下手の席で聴いていたので、指揮者の表情を具に見ていたので、アラン・ギルバートの指揮ぶりが良く分かるのだが、特に、奇をてらう風もなく、オーソドックスなスタイルであった。

   今回のプログラムで、これまでに聴いてきたのは、バルトークの協奏曲とハイドンの交響曲、
   やはり、若かりし頃に聴いていたコンサートは、プログラムそのものが、このハイドンやベートーヴェン、ブラームス、モーツアルトと言った古典ばかりだったので、ハイドンの90番になると、体が自然に反応すると言うか、無性に懐かしくなって、ドップリと雰囲気に浸ってしまう。
   さて、この90番だが、終楽章で、最高に盛り上がったところで、指揮者は、楽団員に向かって拍手したので、聴衆も釣られて拍手、
   指揮台を下りたアランが、四方コンサートマスターに耳打ちされて、頷いて指揮台に戻って、再演奏。
   一人ずつ楽団員が舞台から消えていく45番の「告別」や、途中で、ティンパニーを伴ったトゥッティで不意打ちを食らわせる94番の「驚愕」など、遊び心のハイドンの粋な演出で、除夜の鐘ではないが、108も交響曲を書いたのであるから、色々あろうと言うもの。

   私の場合、音楽の幅が広がってきたのは、その前のアメリカやブラジル時代を経て、ヨーロッパに住んで居た8年間に、随分、色々なトップ楽団のコンサートに通い続けて、色々な、曲を聴いた結果だと思っている。

   勿論、初演のアデスも、リストの悲しみのゴンドラも初めて聞く曲だが、昔と比べて、コンサートに何十年も通い続けてきたお陰であろうか、最近では、どんな曲でも、それなりに、聴いて楽しめるようになった。
   しかし、1980年代に、オランダに住んで居た時に、アムステルダムのコンセルトヘヴォーのシーズン・メンバー・チケットを、3シリーズ持っていて、その1つが現代曲のシリーズで、どうしても、聴き辛くて、馴染めなかったのを覚えている。
   私の場合は、クラシック音楽は、難しい音楽理論など、全く分からずに、好きで聴いているだけなので、自分の感性に合って、楽しめるかどうかが総てであって、どうも、コンサートを聴く経験の積み重ね以外に、向上の方法はないようである。

   午後のこの都響のシリーズは、格好のコンサートで、何時も楽しませて貰って居る。
   終演後、横浜や渋谷に寄り道して、夕刻、鎌倉に帰る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする