8高座のうち、私が聴いた歌丸の舞台は、「井戸の茶碗」「紺屋高尾」「竹の水仙」だけだと書いたが、「紙入れ」「つる」「壺算」は他の噺家で聴いている。
歌丸の話では、他の噺家から譲り受けた話とかで、噺の内容やサゲなどには、歌丸の工夫が込められていて、独特な雰囲気が感じられて面白い。
掲載されている噺が短い所為もあるのか、枕が長くて面白い噺が多いのだが、晩年で、誤嚥性の肺炎で苦しんでいた時期なので、必然的に、病気のトピックスが混じる。
まず、枕の長いのは、「鍋草履」、
ある芝居小屋で、若い衆が、客の注文の鍋を、幕がしまったら持ってこいと言われていたので、梯子段の下に置いていたのだが、一寸考え事をしていた瞬間、幕が下りて駆け下りてきた客に鍋を踏み込まれて、誰も見ていなかったからと言って、頬被りして客に出す噺、
当然、枕は、歌舞伎の話になってしまうのだが、古今亭今輔師匠に、落語家になったら、芝居、特に歌舞伎を観るように言われたと語り始めて、最近、若者が歌舞伎について、まどろっこしい、一つ笑うのに10分もかかる芝居は嫌だと語るが、ご本人は、最初は分らなかったが、面白くなって、最近では、月に一度観に行くと語る。
観たことがないので、連れて行ってくれと木久蔵に頼まれて、忠臣蔵の通し狂言を観に行ったら、討ち入りのシーンで、「内蔵助は間違っている、皆が刀を抜いて真剣に戦っているのに、表で、一人だけ太鼓を叩いて遊んでいる」と言われて、頭がおかしくなるので、それっきり一緒に行かなくなった。あんなに切腹の好きな芝居はないですねえ、四段目で判官、六段目で勘平、九段目で本蔵が切腹、・・・日本人が盲腸を切るようになったのは、忠臣蔵が出来てから・・・。
男らしくて好きなのは、十段目の天河屋義平(天野屋利兵衛)だと言う、
内蔵助に頼まれて、討ち入りのための武器、衣装装束一切を手配して調えた。それが発覚して、松野河内守に、拷問まがいの厳しい取り調べを受けるのだが、「天野屋利兵衛は男でござる」と言って、頑として口を割らなかったという義人である。
ところが、歌丸は、内蔵助が、流行性感冒に罹って寝込んでいたので見舞いに行った利兵衛が、寝ていたので揺り動かそうとすると、布団の中に引きずり込もうとされたので、後ろへパッと飛び下がって、「天野屋利兵衛は男でござる」。これが真実だと語る。
この話、八代目林家正蔵(彦六)の噺「天河屋義平」では、天河屋がある日、自宅へ大星由良助を招いて酒宴を開いた時に、由良助が美人の女房にぞっこん、妾になれと言い寄ったので、女房は体よくあしらおうと、「今夜、九つの鐘を合図に私の部屋に忍んで来てくださいまし」と言ったので喜んだ。女房は義平に酒を飲ませて、べろべろに酔わせ自分の部屋に寝かせた。頃良しと、由良助は、約束通り女房の部屋に忍び込んで行った。布団をめくって抱きつくと、天河屋はびっくりして飛び起きて長持ちの上に座って、 「天河屋義平は男でござる」。
この十段目は上演されることが少なくて、先年、歌六の義平で素晴らしい歌舞伎の舞台を観て、文楽では2回、それに、最近では、松鯉の講談で一度聴いたくらいである。
ただ、文楽は、すらりと義平の男ぶりの迫力あるストーリーを踏襲しているのだが、歌舞伎では、義平の取り調べに踏み込むのは義士で、内蔵助の義平の忠義の確認というように脚色をされていて、最後に内蔵助が正体を現して謝るという軟弱かつ稚拙な芝居(?)になっていて、拍子抜け。そのために、白けてしまうので上演が少ないのではないかと思っている。
ところで、噺に入る前に、枕を振るのは、普通の寄席では、ネタが決まっていないので、高座に出てから、客の顔を見て、その日の客は、勘が鋭いか鈍いかを見極めるためにやって、ネタを決めるのだと言うことである。
私など、元関西人で、上方漫才で育っていた方であるから、最初は、江戸落語には慣れておらず、勘の鈍い方であったと思う。
大阪に居た時には、花月劇場で漫才は覚えているのだが、すぐに、東京に引っ越して海外にも出てしまったので、とうとう、米朝の落語を聴けなかったのが残念であった。
国立演芸場でも、時々、上方落語をやるので、聴く機会が多いのだが、やはり、石川啄木のそを聞きに行く心境で、懐かしさもあってしっくりといく。
「紙入れ」は、間男の噺であるから、枕も、その辺りの話なので面白い。
「竹の水仙」は、左甚五郎の噺であるが、殆ど枕なしで、しっとりとした温かい人情噺を語っていて、左甚五郎の登場する「ねずみ」や「三井の大黒」同様しんみりと聴かせてくれる。
歌丸の話では、他の噺家から譲り受けた話とかで、噺の内容やサゲなどには、歌丸の工夫が込められていて、独特な雰囲気が感じられて面白い。
掲載されている噺が短い所為もあるのか、枕が長くて面白い噺が多いのだが、晩年で、誤嚥性の肺炎で苦しんでいた時期なので、必然的に、病気のトピックスが混じる。
まず、枕の長いのは、「鍋草履」、
ある芝居小屋で、若い衆が、客の注文の鍋を、幕がしまったら持ってこいと言われていたので、梯子段の下に置いていたのだが、一寸考え事をしていた瞬間、幕が下りて駆け下りてきた客に鍋を踏み込まれて、誰も見ていなかったからと言って、頬被りして客に出す噺、
当然、枕は、歌舞伎の話になってしまうのだが、古今亭今輔師匠に、落語家になったら、芝居、特に歌舞伎を観るように言われたと語り始めて、最近、若者が歌舞伎について、まどろっこしい、一つ笑うのに10分もかかる芝居は嫌だと語るが、ご本人は、最初は分らなかったが、面白くなって、最近では、月に一度観に行くと語る。
観たことがないので、連れて行ってくれと木久蔵に頼まれて、忠臣蔵の通し狂言を観に行ったら、討ち入りのシーンで、「内蔵助は間違っている、皆が刀を抜いて真剣に戦っているのに、表で、一人だけ太鼓を叩いて遊んでいる」と言われて、頭がおかしくなるので、それっきり一緒に行かなくなった。あんなに切腹の好きな芝居はないですねえ、四段目で判官、六段目で勘平、九段目で本蔵が切腹、・・・日本人が盲腸を切るようになったのは、忠臣蔵が出来てから・・・。
男らしくて好きなのは、十段目の天河屋義平(天野屋利兵衛)だと言う、
内蔵助に頼まれて、討ち入りのための武器、衣装装束一切を手配して調えた。それが発覚して、松野河内守に、拷問まがいの厳しい取り調べを受けるのだが、「天野屋利兵衛は男でござる」と言って、頑として口を割らなかったという義人である。
ところが、歌丸は、内蔵助が、流行性感冒に罹って寝込んでいたので見舞いに行った利兵衛が、寝ていたので揺り動かそうとすると、布団の中に引きずり込もうとされたので、後ろへパッと飛び下がって、「天野屋利兵衛は男でござる」。これが真実だと語る。
この話、八代目林家正蔵(彦六)の噺「天河屋義平」では、天河屋がある日、自宅へ大星由良助を招いて酒宴を開いた時に、由良助が美人の女房にぞっこん、妾になれと言い寄ったので、女房は体よくあしらおうと、「今夜、九つの鐘を合図に私の部屋に忍んで来てくださいまし」と言ったので喜んだ。女房は義平に酒を飲ませて、べろべろに酔わせ自分の部屋に寝かせた。頃良しと、由良助は、約束通り女房の部屋に忍び込んで行った。布団をめくって抱きつくと、天河屋はびっくりして飛び起きて長持ちの上に座って、 「天河屋義平は男でござる」。
この十段目は上演されることが少なくて、先年、歌六の義平で素晴らしい歌舞伎の舞台を観て、文楽では2回、それに、最近では、松鯉の講談で一度聴いたくらいである。
ただ、文楽は、すらりと義平の男ぶりの迫力あるストーリーを踏襲しているのだが、歌舞伎では、義平の取り調べに踏み込むのは義士で、内蔵助の義平の忠義の確認というように脚色をされていて、最後に内蔵助が正体を現して謝るという軟弱かつ稚拙な芝居(?)になっていて、拍子抜け。そのために、白けてしまうので上演が少ないのではないかと思っている。
ところで、噺に入る前に、枕を振るのは、普通の寄席では、ネタが決まっていないので、高座に出てから、客の顔を見て、その日の客は、勘が鋭いか鈍いかを見極めるためにやって、ネタを決めるのだと言うことである。
私など、元関西人で、上方漫才で育っていた方であるから、最初は、江戸落語には慣れておらず、勘の鈍い方であったと思う。
大阪に居た時には、花月劇場で漫才は覚えているのだが、すぐに、東京に引っ越して海外にも出てしまったので、とうとう、米朝の落語を聴けなかったのが残念であった。
国立演芸場でも、時々、上方落語をやるので、聴く機会が多いのだが、やはり、石川啄木のそを聞きに行く心境で、懐かしさもあってしっくりといく。
「紙入れ」は、間男の噺であるから、枕も、その辺りの話なので面白い。
「竹の水仙」は、左甚五郎の噺であるが、殆ど枕なしで、しっとりとした温かい人情噺を語っていて、左甚五郎の登場する「ねずみ」や「三井の大黒」同様しんみりと聴かせてくれる。