この本については、多くの書評があり、紹介し尽くされているので、私自身が興味を感じた話題だけについて記す。
まず、習近平との関係だが、会談では、習近平は周到に準備されたメモを見ながら発言しているのだが、トランプはすべて即興でこなし、米側の誰にも何を言い出すか分らない。
習近平に今後6年協力していきたいと言われた時、習の終身国家主席の事を知っていたので、それに張り合って、大統領は二期までと憲法に定められているが、私のために任期の制限をなくすべきだと皆に言われたと応えており、退任されたら困ると言われて、満足げに頷いた。(ボルトンは、初耳だと否定し、その後、習は、憲法を改正してトランプにもう一期在任して貰いたいと電話で言ったという。)
習近平は、中国が世界の覇権を握ろうとしている、あるいは、米国に取って代わろうとしているという「100年マラソン」の考え方は中国に相応しい戦略ではないと否定した。中国は、米国の主権とアジアにおける利益を尊重しており、望みは国民14億人の向上だけだという。何と素晴らしいことだ。とボルトンは揶揄しているのだが、習近平の虚言はこれに極まれりで、
何度もこのブログで書いているように、中国が、世界の覇権を握って大唐帝国の再興を目指していることは、明明白白 の国是であって、狐と狸の化かし合い、首脳会談の中身の希薄さを感じて恐ろしい。
別なところで、ボルトンは、天安門事件30年の時に、事の重大性を理解できずに、私は中国と取引をしたいのだと言って、声明の草案を拒否し、知らぬ間に国務省がプレスレリースを行ったのを批判した。と書いており、
外国政府の政策や行動に対する批判は、それらの国の指導者と彼自身とが良好な個人的関係を築くことを妨げると考えており、個人的関係と公的な関係を分けて考えられない事実を反映していると批判する。
習近平にとってはどんな個人的繋がりも、中国の国益追求を阻む要素とはなり得ないのに、その点が分らずに、ZTE問題にしても、決定事項を勝手に覆して、法の執行と貿易協定を結びつけて、習を喜ばせるようなツイートをして、政府の各部署の行政に混乱を来した。プーチンの個人的な繋がりが、ロシアの国益追求の障害になり得ないことも同様であって、トランプは、この点を遂に理解できなかった。
あれだけ、対抗姿勢を露骨に敵対しているロシアに対して、表だって、プーチンを批判しないのは、2016選挙への介入への慮りか、この性向の所為か、とにかく、NYTの書評のように、ヨイショしてくれる世界の独裁者には至って弱いと言うことであろう。
さて、イラン問題だが、ボルトンの対イラン政策の強硬さは突出しており、「最大限の圧力」をかけ続けるべきだと説く。
核兵器や弾道ミサイルの開発の危険は勿論だが、國際テロリズムのための中央銀行の役目を果たし続け、中東全域に好戦的な形で通常兵器を配備し、中東紛争の」導火線となっている。
問題は、米国の無人航空機RQ-4Aグローバルホークが、イランに撃墜された時に、
米国の威信を取り戻し、核兵器所有を熱望する神政政治と軍国主義のならず者国家対して、現在完全に失われている我々の抑止力を回復するためには、まだまだ、多くの攻撃を正当化できるだろうと考えて、ナンシー・ペロシ下院議長など民主党議員も賛成して、イラン攻撃が決定した。
ところが、着弾直前になって、トランプが、「釣り合いが取れない」と言って中止命令を出した。
攻撃による国防相の推測死亡数が150人だと吹き込まれたトランプが、多数の死体袋がテレビに映るのは嫌だと、無人機1機に対してそれだけの危険を冒す気にななれない。と繰り返したという。
攻撃が中止されたのは、ご同慶の至りだが、興味深いのは、ボルトンが、
それまで何度か辞職を考えたことがあったが、これが、ターニングポイントになった、もし、危機的な局面で今後もこのようなやり方で意思決定がなされるのなら、そして、今回のような決定がなされるのなら、何の意味があるのだろう?と、長期勤続の記録を作るとは思えなくなったと吐露していて、その後、すぐに辞表を出して止めている。
私が面白いと思ったのは、トランプは、至って小心な人物ではないかと言うことで、それ故に、今回の選挙も、事前の世論の支持率の予想において、旗色が悪くて敗色濃厚であることを予知して、事前に、不正選挙であると宣言して、予防線を張って法廷闘争に持ち込もうとしたのではないかと思う。
アメリカの選挙制度を誹謗中傷し、民主主義を危機に追い込んだトランプの法と秩序への冒涜の罪は許しがたいほど重い。
また、アフリカ問題を議論中に、うつろになって、「私はあらゆる事から手を引きたいのだ」と言って、本題から離れて、次から次へと話題を変えて日頃の批判を重ねたと言っているが、重圧に耐えかねたのであろう、ボルトンは、トランプの記憶力に問題があるのか、あるいは、覚えていたくないことを無視するという能力があるのだろう、と言っている。
とにかく、ドイツや日本の防衛費負担問題にしても、中国などとの貿易不均衡などに対しても、壊れたレコードのように同じ事ばかりを繰り返している。
また、ボルトンの記述では、トランプは、やりたい事だけをやりたがった。その際の行動基準は、何が自分の個人的利益に繋がるかという、経験と予測に基づく判断であった。また、在任中に、トランプが下した大きな決定の中で、再選を視野に入れていないものを思い浮かべようとしても、それは非常に難しい。と述べている。
トランプは、ビジネスに有利になると考えて出馬して、期せずして大統領になったのであるから、先日紹介した説のように、高邁な思想も世界観もなく、何の哲学も持ち合わせずに米国の指導者になった。
切った張った、それも、千三と言われる不動産業で培った勝ち負けの感覚しかなく、攻撃が最大の防御の世界での人生哲学が染みついていて、「アメリカ・ファースト」で象徴されるように、自分自身の利益追求が最優先であって、トランプの経営哲学(あったとすればだが)には、今の進化したビジネスモデルであるステイクホールダー全体が利するようにとか、CSRやESG/SDGsへの配慮などと言った感覚はさらさらなかったので、世界の平和のためにとか、人類の幸せのためになどと言った高邁なビジョンなどあるはずがない。。
「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」を旗印にしながらも、確固たる哲学と思想の欠如のために、むしろ、孤立化を進めて弱体化させ、民主主義、自由主義、資本主義の旗印であった世界に冠たるアメリカの真価を貶めてしまった。
言い過ぎかも知れないが、ボルトンのこの本は、補佐官や側近からも馬鹿にされていた、そんなトランプの治世を延々と綴っている。
この本の出版に当たって、出版前審査を受けて、トランプや世界の指導者たちとの会話や、ボルトンと他国の国家安全保障担当者や高官との会話などは、「引用符を取り除く」ように指示されたり、機密保持契約の制限やトランプにとって不都合な部分の削除をうけるなど制約があり、ストレートでない記述ゆえに臨場感に欠けるきらいもあってモドカシイところもあるが、殆どメディアで報道された外交事象の追加の裏情報として読んだので、非常に興味深かかった。
それに、トランプからは出版差し止め訴訟を起こされるなど苦難を乗り越えての出版である。
他のトランプ暴露本は、途中で嫌になって投げ出したが、この本だけは、外交史を追うつもりで、完読した。
まず、習近平との関係だが、会談では、習近平は周到に準備されたメモを見ながら発言しているのだが、トランプはすべて即興でこなし、米側の誰にも何を言い出すか分らない。
習近平に今後6年協力していきたいと言われた時、習の終身国家主席の事を知っていたので、それに張り合って、大統領は二期までと憲法に定められているが、私のために任期の制限をなくすべきだと皆に言われたと応えており、退任されたら困ると言われて、満足げに頷いた。(ボルトンは、初耳だと否定し、その後、習は、憲法を改正してトランプにもう一期在任して貰いたいと電話で言ったという。)
習近平は、中国が世界の覇権を握ろうとしている、あるいは、米国に取って代わろうとしているという「100年マラソン」の考え方は中国に相応しい戦略ではないと否定した。中国は、米国の主権とアジアにおける利益を尊重しており、望みは国民14億人の向上だけだという。何と素晴らしいことだ。とボルトンは揶揄しているのだが、習近平の虚言はこれに極まれりで、
何度もこのブログで書いているように、中国が、世界の覇権を握って大唐帝国の再興を目指していることは、明明白白 の国是であって、狐と狸の化かし合い、首脳会談の中身の希薄さを感じて恐ろしい。
別なところで、ボルトンは、天安門事件30年の時に、事の重大性を理解できずに、私は中国と取引をしたいのだと言って、声明の草案を拒否し、知らぬ間に国務省がプレスレリースを行ったのを批判した。と書いており、
外国政府の政策や行動に対する批判は、それらの国の指導者と彼自身とが良好な個人的関係を築くことを妨げると考えており、個人的関係と公的な関係を分けて考えられない事実を反映していると批判する。
習近平にとってはどんな個人的繋がりも、中国の国益追求を阻む要素とはなり得ないのに、その点が分らずに、ZTE問題にしても、決定事項を勝手に覆して、法の執行と貿易協定を結びつけて、習を喜ばせるようなツイートをして、政府の各部署の行政に混乱を来した。プーチンの個人的な繋がりが、ロシアの国益追求の障害になり得ないことも同様であって、トランプは、この点を遂に理解できなかった。
あれだけ、対抗姿勢を露骨に敵対しているロシアに対して、表だって、プーチンを批判しないのは、2016選挙への介入への慮りか、この性向の所為か、とにかく、NYTの書評のように、ヨイショしてくれる世界の独裁者には至って弱いと言うことであろう。
さて、イラン問題だが、ボルトンの対イラン政策の強硬さは突出しており、「最大限の圧力」をかけ続けるべきだと説く。
核兵器や弾道ミサイルの開発の危険は勿論だが、國際テロリズムのための中央銀行の役目を果たし続け、中東全域に好戦的な形で通常兵器を配備し、中東紛争の」導火線となっている。
問題は、米国の無人航空機RQ-4Aグローバルホークが、イランに撃墜された時に、
米国の威信を取り戻し、核兵器所有を熱望する神政政治と軍国主義のならず者国家対して、現在完全に失われている我々の抑止力を回復するためには、まだまだ、多くの攻撃を正当化できるだろうと考えて、ナンシー・ペロシ下院議長など民主党議員も賛成して、イラン攻撃が決定した。
ところが、着弾直前になって、トランプが、「釣り合いが取れない」と言って中止命令を出した。
攻撃による国防相の推測死亡数が150人だと吹き込まれたトランプが、多数の死体袋がテレビに映るのは嫌だと、無人機1機に対してそれだけの危険を冒す気にななれない。と繰り返したという。
攻撃が中止されたのは、ご同慶の至りだが、興味深いのは、ボルトンが、
それまで何度か辞職を考えたことがあったが、これが、ターニングポイントになった、もし、危機的な局面で今後もこのようなやり方で意思決定がなされるのなら、そして、今回のような決定がなされるのなら、何の意味があるのだろう?と、長期勤続の記録を作るとは思えなくなったと吐露していて、その後、すぐに辞表を出して止めている。
私が面白いと思ったのは、トランプは、至って小心な人物ではないかと言うことで、それ故に、今回の選挙も、事前の世論の支持率の予想において、旗色が悪くて敗色濃厚であることを予知して、事前に、不正選挙であると宣言して、予防線を張って法廷闘争に持ち込もうとしたのではないかと思う。
アメリカの選挙制度を誹謗中傷し、民主主義を危機に追い込んだトランプの法と秩序への冒涜の罪は許しがたいほど重い。
また、アフリカ問題を議論中に、うつろになって、「私はあらゆる事から手を引きたいのだ」と言って、本題から離れて、次から次へと話題を変えて日頃の批判を重ねたと言っているが、重圧に耐えかねたのであろう、ボルトンは、トランプの記憶力に問題があるのか、あるいは、覚えていたくないことを無視するという能力があるのだろう、と言っている。
とにかく、ドイツや日本の防衛費負担問題にしても、中国などとの貿易不均衡などに対しても、壊れたレコードのように同じ事ばかりを繰り返している。
また、ボルトンの記述では、トランプは、やりたい事だけをやりたがった。その際の行動基準は、何が自分の個人的利益に繋がるかという、経験と予測に基づく判断であった。また、在任中に、トランプが下した大きな決定の中で、再選を視野に入れていないものを思い浮かべようとしても、それは非常に難しい。と述べている。
トランプは、ビジネスに有利になると考えて出馬して、期せずして大統領になったのであるから、先日紹介した説のように、高邁な思想も世界観もなく、何の哲学も持ち合わせずに米国の指導者になった。
切った張った、それも、千三と言われる不動産業で培った勝ち負けの感覚しかなく、攻撃が最大の防御の世界での人生哲学が染みついていて、「アメリカ・ファースト」で象徴されるように、自分自身の利益追求が最優先であって、トランプの経営哲学(あったとすればだが)には、今の進化したビジネスモデルであるステイクホールダー全体が利するようにとか、CSRやESG/SDGsへの配慮などと言った感覚はさらさらなかったので、世界の平和のためにとか、人類の幸せのためになどと言った高邁なビジョンなどあるはずがない。。
「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」を旗印にしながらも、確固たる哲学と思想の欠如のために、むしろ、孤立化を進めて弱体化させ、民主主義、自由主義、資本主義の旗印であった世界に冠たるアメリカの真価を貶めてしまった。
言い過ぎかも知れないが、ボルトンのこの本は、補佐官や側近からも馬鹿にされていた、そんなトランプの治世を延々と綴っている。
この本の出版に当たって、出版前審査を受けて、トランプや世界の指導者たちとの会話や、ボルトンと他国の国家安全保障担当者や高官との会話などは、「引用符を取り除く」ように指示されたり、機密保持契約の制限やトランプにとって不都合な部分の削除をうけるなど制約があり、ストレートでない記述ゆえに臨場感に欠けるきらいもあってモドカシイところもあるが、殆どメディアで報道された外交事象の追加の裏情報として読んだので、非常に興味深かかった。
それに、トランプからは出版差し止め訴訟を起こされるなど苦難を乗り越えての出版である。
他のトランプ暴露本は、途中で嫌になって投げ出したが、この本だけは、外交史を追うつもりで、完読した。