シェイクルピアについては、記録が少なくて謎の部分が多いのだが、この本は、シェイクスピアの30数作品の戯曲と絡ませて推敲を重ねながら成功物語を綴っているので非常に面白い。
私の場合は、在英5年間に、小田島雄志教授の翻訳本を片手にして、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアタ―に通って、多くのシェイクスピアの舞台を鑑賞してきたので、かなり、細部にわたっても理解し楽しむことが出来た。
著名なシェイクスピア学者スティーヴン・ グリーンブラット・ハーバード大教授の著作で、河合洋一郎東大教授の翻訳・解説という600ページに及ぶ大著なので、纏めてレビューというのも恐れ多いので、興味を感じたトピックスについて、感想を書いてみたいと思う。
私の関心事の一つは、それほど高度な教育を受けたとも思えない田舎者のシェイクスピアが、どうして、歴史上最高峰の戯曲作家となりえたのかの言うことであった。
この本を読んでも、まだ、定かには分らないのだが、興味を感じたのは、当時のロンドンに、文学界のメディチ・エフェクトが現出されていたという指摘である。
”フィレンツェで十数人の素晴らしい画家が一度に現れたように、あるいは、ニューオーリンズやシカゴで一時的にジャズやブルースのミュージシャンが次々に出てきた数年間があったように、魔法の瞬間に一斉に現れた、当時、ロンドンの舞台のために戯曲を書いていた多くの「詩人」が出て、”シェイクスピアは、彼らに会ってインスパイアされたと言うのである。
ルネサンスを開花させた文化文明の十字路メディチ家のフィレンツェのように、
16世紀後半のロンドンには、純粋な発生学的偶然が働いて、都市人口の異常な増加、公衆劇場の出現、新作劇を競う市場の存在、識字率の広範囲に及ぶ躍進的拡大、修辞的感性を高める教育制度、鑑賞を好む社会的政治的趣味、長く複雑な説教を聞く教区民に強いた宗教文化、活発で止むことを知らぬ知的文化といった制度的、文化的状況が生まれていた。
豊かな演劇を生み育むエコシステムが醸成されていた。と言うことである。
それに加えて、教育制度が既存の社会制度より先に進んでいたので、高等教育を受けても、教会や法律の仕事に就きたくない人は、自分で仕事を探さねばならず、高度な知的人間の進路は非常に限れれていたので、不名誉とされてはいたが、演劇界は手招きしていた。
したがって、クリストファー・マーロウなどと言ったオックスフォード大学やケンブリッジ大学を出た多くの俊英が、シェイクスピアの周りに犇めいていて、少なくとも6人のオックスブリッジ卒の俊英がシェイクスピアに関わり影響を与えた。
1580年代後半に、シェイクスピアは、偉大な才能を持ったマーロウなど、20代から30代後半の彼らの仲間に入り、大いに啓発され、神話や古典、故事など知識情報や創作のネタを仕入れるなど教えられることが多かった。
これら学識豊かで才能のある先輩劇作者たちに、新米のシェイクスピアは当然大いに興味を持って、魅了され、それに、彼らは既に創作のネタとして生涯利用させて貰えそうな種々の作品を書いており、しびれるほど感動を覚えた。自分が作家としてスタートを切るときに、仲間とすべき連中であり、忘れがたい友達となると言う予感に打ち震えたというのだが、しかし、シェイクスピアにとって最も重要だった存命中のこれら作家たちに、ロンドン到着直後に会ったのは、劇場近くのいかがわしい宿屋であったと言うのである。
特筆すべきは、ケンブリッジで文学修士を取り、オックスフォードでも学位を取ったロバート・グリーンで、評判の良い紳士の娘と結婚し将来を嘱望されながら、妻の持参金を使い切ると、妻子を捨ててロンドンに出て、大劇作詩人として成功していて、シェイクスピアは大いに影響を受けたのだが、
その後、グリーンは、学問と才能を破廉恥に鬻ぎ、詐欺師、ペテン師まがいの生活に陥り、骨は梅毒に冒され、際限ない飲酒で体はボロボロ、
自堕落な放蕩三昧で、悪党のような髪、みすぼらしい格好ながら、見栄っ張りの自慢屋、下品な道化師、新しいファッションを次から次へ真似する軽薄児、
プロの賭博師の上前をはねる抜け目なさ、誓いは破る、口汚く罵る、道徳のかけらもない、勘定は踏み倒す、
貞淑な妻を捨てて、愛人の娼婦に私生児を産ませ、その義兄の殺し屋をボディガードに雇い、目上の者に無礼を働き、金が足りなくなると、失礼な小冊子や奇妙奇天烈な劇を書いて、破れかぶれの誹謗中傷をしてみせる。
グリーンは、友達皆から見捨てられ、飲み会で、酢漬け鰊とライン産ワインを飲み食いした後で、路頭に迷った乞食のように無一文で死んでいったという。
このグリーンは、「三文の知恵」で、詩人たちに、役者は、「我らの口を借りて話す」「操り人形」だから信用するなとのべ、シェイクスピアに矛先を向けて「一羽の成り上がり者のカラス」とこきおろしている。
しかし、そこは寛大なシェイクスピアのことで、グリーンをファルスタッフに造りかえて蘇らせるという贈り物をして報いたというから面白い。
いずれにしろ、あのシェイクスピアのライバルでもあったマーロウも、30才の誕生日を待たずに、居酒屋の勘定をめぐっての喧嘩で、殺されている。
私は、ロンドンで始めて観たRSCのシェイクスピア戯曲は、最初に成功を収めた「ヘンリー6世」三部作なのだが、ハル王子とファスタッフが、いかがわしい売春宿まがいの飲み屋でくだを巻いている姿が、強烈な印象として残っているのだが、前述したようなグリーンの生き様を考えても、こんな魑魅魍魎が跋扈するロンドンの場末の歓楽街劇場街が、シェイクスピアの学校であったと言うべきか、
マーロウやグリーンたちと言ったオックスブリッジ卒の俊英たちと、侃々諤々、文学論を戦わせて作劇修行を続けていたのかも知れないと思うと興味深い。
ところで、英国で最も愛されているキャラクターのファルスタフだが、エリザベス女王もいたく感激して、シェイクスピアに、「彼の恋物語が見たい」と所望したので書いたのが、「ウインザーの陽気な女房たち」。
ヴェルディの素晴らしいオペラ「ファルスタッフ」が残っていて、野村万作の「法螺侍」も凄い。
このファルスタフ象は、シェイクスピアの聖地ストラトフォード・アポン・エイボンの大劇場前の広場の片隅で我々を迎えてくれる。
私の場合は、在英5年間に、小田島雄志教授の翻訳本を片手にして、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアタ―に通って、多くのシェイクスピアの舞台を鑑賞してきたので、かなり、細部にわたっても理解し楽しむことが出来た。
著名なシェイクスピア学者スティーヴン・ グリーンブラット・ハーバード大教授の著作で、河合洋一郎東大教授の翻訳・解説という600ページに及ぶ大著なので、纏めてレビューというのも恐れ多いので、興味を感じたトピックスについて、感想を書いてみたいと思う。
私の関心事の一つは、それほど高度な教育を受けたとも思えない田舎者のシェイクスピアが、どうして、歴史上最高峰の戯曲作家となりえたのかの言うことであった。
この本を読んでも、まだ、定かには分らないのだが、興味を感じたのは、当時のロンドンに、文学界のメディチ・エフェクトが現出されていたという指摘である。
”フィレンツェで十数人の素晴らしい画家が一度に現れたように、あるいは、ニューオーリンズやシカゴで一時的にジャズやブルースのミュージシャンが次々に出てきた数年間があったように、魔法の瞬間に一斉に現れた、当時、ロンドンの舞台のために戯曲を書いていた多くの「詩人」が出て、”シェイクスピアは、彼らに会ってインスパイアされたと言うのである。
ルネサンスを開花させた文化文明の十字路メディチ家のフィレンツェのように、
16世紀後半のロンドンには、純粋な発生学的偶然が働いて、都市人口の異常な増加、公衆劇場の出現、新作劇を競う市場の存在、識字率の広範囲に及ぶ躍進的拡大、修辞的感性を高める教育制度、鑑賞を好む社会的政治的趣味、長く複雑な説教を聞く教区民に強いた宗教文化、活発で止むことを知らぬ知的文化といった制度的、文化的状況が生まれていた。
豊かな演劇を生み育むエコシステムが醸成されていた。と言うことである。
それに加えて、教育制度が既存の社会制度より先に進んでいたので、高等教育を受けても、教会や法律の仕事に就きたくない人は、自分で仕事を探さねばならず、高度な知的人間の進路は非常に限れれていたので、不名誉とされてはいたが、演劇界は手招きしていた。
したがって、クリストファー・マーロウなどと言ったオックスフォード大学やケンブリッジ大学を出た多くの俊英が、シェイクスピアの周りに犇めいていて、少なくとも6人のオックスブリッジ卒の俊英がシェイクスピアに関わり影響を与えた。
1580年代後半に、シェイクスピアは、偉大な才能を持ったマーロウなど、20代から30代後半の彼らの仲間に入り、大いに啓発され、神話や古典、故事など知識情報や創作のネタを仕入れるなど教えられることが多かった。
これら学識豊かで才能のある先輩劇作者たちに、新米のシェイクスピアは当然大いに興味を持って、魅了され、それに、彼らは既に創作のネタとして生涯利用させて貰えそうな種々の作品を書いており、しびれるほど感動を覚えた。自分が作家としてスタートを切るときに、仲間とすべき連中であり、忘れがたい友達となると言う予感に打ち震えたというのだが、しかし、シェイクスピアにとって最も重要だった存命中のこれら作家たちに、ロンドン到着直後に会ったのは、劇場近くのいかがわしい宿屋であったと言うのである。
特筆すべきは、ケンブリッジで文学修士を取り、オックスフォードでも学位を取ったロバート・グリーンで、評判の良い紳士の娘と結婚し将来を嘱望されながら、妻の持参金を使い切ると、妻子を捨ててロンドンに出て、大劇作詩人として成功していて、シェイクスピアは大いに影響を受けたのだが、
その後、グリーンは、学問と才能を破廉恥に鬻ぎ、詐欺師、ペテン師まがいの生活に陥り、骨は梅毒に冒され、際限ない飲酒で体はボロボロ、
自堕落な放蕩三昧で、悪党のような髪、みすぼらしい格好ながら、見栄っ張りの自慢屋、下品な道化師、新しいファッションを次から次へ真似する軽薄児、
プロの賭博師の上前をはねる抜け目なさ、誓いは破る、口汚く罵る、道徳のかけらもない、勘定は踏み倒す、
貞淑な妻を捨てて、愛人の娼婦に私生児を産ませ、その義兄の殺し屋をボディガードに雇い、目上の者に無礼を働き、金が足りなくなると、失礼な小冊子や奇妙奇天烈な劇を書いて、破れかぶれの誹謗中傷をしてみせる。
グリーンは、友達皆から見捨てられ、飲み会で、酢漬け鰊とライン産ワインを飲み食いした後で、路頭に迷った乞食のように無一文で死んでいったという。
このグリーンは、「三文の知恵」で、詩人たちに、役者は、「我らの口を借りて話す」「操り人形」だから信用するなとのべ、シェイクスピアに矛先を向けて「一羽の成り上がり者のカラス」とこきおろしている。
しかし、そこは寛大なシェイクスピアのことで、グリーンをファルスタッフに造りかえて蘇らせるという贈り物をして報いたというから面白い。
いずれにしろ、あのシェイクスピアのライバルでもあったマーロウも、30才の誕生日を待たずに、居酒屋の勘定をめぐっての喧嘩で、殺されている。
私は、ロンドンで始めて観たRSCのシェイクスピア戯曲は、最初に成功を収めた「ヘンリー6世」三部作なのだが、ハル王子とファスタッフが、いかがわしい売春宿まがいの飲み屋でくだを巻いている姿が、強烈な印象として残っているのだが、前述したようなグリーンの生き様を考えても、こんな魑魅魍魎が跋扈するロンドンの場末の歓楽街劇場街が、シェイクスピアの学校であったと言うべきか、
マーロウやグリーンたちと言ったオックスブリッジ卒の俊英たちと、侃々諤々、文学論を戦わせて作劇修行を続けていたのかも知れないと思うと興味深い。
ところで、英国で最も愛されているキャラクターのファルスタフだが、エリザベス女王もいたく感激して、シェイクスピアに、「彼の恋物語が見たい」と所望したので書いたのが、「ウインザーの陽気な女房たち」。
ヴェルディの素晴らしいオペラ「ファルスタッフ」が残っていて、野村万作の「法螺侍」も凄い。
このファルスタフ象は、シェイクスピアの聖地ストラトフォード・アポン・エイボンの大劇場前の広場の片隅で我々を迎えてくれる。