「独裁国家はパンデミックに強いのか」というタイトルのついたジャレド・ダイアモンドの「コロナ後の世界」の展望だが、
まず、この問いについては、「21世紀は中国の時代にはならない」と否定している。
中国は、四千年に及ぶ歴史の中で、一度も民主主義国家になった事がないと言う壊滅的な弱点を持っており、中国が民主主義を採り入れない限り、21世紀は中国の世紀になることはない。
新型コロナの封じ込めは、中国のような独裁国家の得意とするところだが、中国は、文化大革命で教育システムを破壊し、大躍進政策では破壊的な経済的実験をして3500万人を餓死させるなどしており、歴史上、いいことだけをした独裁国家はない。
21世紀は、北米とヨーロッパとオーストラリア、そして、日本の時代になると思っている。と言うのである。
この最後の見解については、文化文明の分野ではともかく、既に薹が立ってしまって、経済的にも成熟して成長が鈍化していることを考えれば、これらの先進国が謳歌できる21世紀だとは、到底思えない。
今回のパンデミックについては、かなり慎重な見解を披露しているが、
コロナの感染拡大が収束したとしても、核兵器、気候変動、資源枯渇、格差の拡大など、これまで世界が体験したことのない史上初めての世界的規模、グローバルな崩壊のの危機に直面している。このパンデミックが共通の脅威だという認識で一致し、世界が一丸となって解決することが出来れば、気候変動や資源の枯渇などの問題も続けて解決するチャンスとなり、歴史から学ぶことで、これらの危機を乗り越える手立てを得られると信じている。と言う。
大野和基氏とのインタビュー記事なので、日本についての提言が興味深い。ダイアモンドの近著「危機と人類 上下」でも、この持論を展開しているのだが、日本人とはかなり視点が違っていて面白い。
日本では少子高齢化をマイナス要因と考えているが、ダイアモンドにとっては、利点であり、考え方によっては、プラス思考で解決できるという。
まず、人口減少だが、外国の資源に依存している日本にとっては、人口減は、必要とする資源が減るので、これは悪いことではなく、持続可能な経済は実現しやすくなるという。
高齢化については、問題は、日本の退職システムが悪いのであって、素晴らしい人的資源である高齢者を、そして、クリエィティビティが絶頂期を迎えている人を無理に引退させるのは、悲劇であって、働き続けるオプションがあるべきである。と言う。
私もこの点では異存がなく、傘寿の今、年輪を重ねた余得か、現役時代よりもっと有能に働けると思っており、その自信はある。
これが正論だとしても、風通し新陳代謝が大切で、突破口を塞いでいる特に政治や財界の老害を駆逐して、若いエネルギーをフル活用出来る経済社会を構築すべきであろうと思う。
当然としての提言は,移民の導入で、特に、自身の経験から、ヘルスケア・ワーカーとしてのフィリピン女性の活躍を語っている。
もう一つは、女性を家庭から解放しようと言うこと。
仕事を望む高齢者や移民、そして女性を労働市場に迎えれば、少子高齢化が進んでも、日本の経済力が大きく低下するはずはない。と言うのである。
面白いのは、日本が経済力を失って世界での存在感を失いつつあると言うのは日本人だけで、これは、欧米人に映る日本ではない。「非常に裕福な国」から単に「成功した国」に変ったと言うだけで,我々は日本が弱くなったとは全く思っていないので、悲観する必要はない。と言う指摘である。
この見解については、半分賛成、半分反対である。
GNPベースで考えたときには、この20年くらいは、年率500兆円プラスアルファ程度で推移していて、殆ど成長しておらず、中国や東南アジアの国々の経済発展と比較すると、目も当てられないほどの成長発展から見放された体たらく状態であり、実際にも、活力や国力も落ちている。
しかし、経済成長の殆どが、GDPと言う数字上のアップではなく質の向上に体現されていて、実態の経済社会の水準が改善・上昇し、全体として豊かになっており、思ったほど、日本経済社会の成長発展が止まっているように思えないと言う現実である。
これまでに、外部経済の存在や、生産消費者経済の進展など、GDPでは表現できない経済成長・発展や、何が人類にとっての幸せ指数になるのかなどを論じてきたが、経済政策の視点がGDP偏重だと、道を誤るという考え方も必要だと言うことである。
ダイアモンドが言うように、日本が経済成長から見放されて経済的に落ちぶれた国だと、欧米人が考えていないことは事実であろうし、日本の目指すべき道は那辺にあるのか、目的意識をしっかりと見据えて経済政策を打つ必要があろう。
しかし、膨大な国家債務を解消するためには、経済成長かハイパー・インフレか徳政令かetc.限られていて、GDPに拘らなければならないのが悲しい。
日本の目の前にある危機は、1854年の開国や1945年の敗戦に比べたら大したことはなく、以前やったように、時代に合わない価値観を捨て、新たな価値観を取り取り入れれば良いのであって、今日以上の深刻な危機を乗り切ってきたのであるから、後は、やるかやらないかだけだ。と言うことである。
先述のGDP論や日本論とも関係するのだが、日本が目指すべきは、量の拡大ではなく質の向上であって、大前研一の説く「クオリティ国家」への道の追求であろうことは論を待たない。
GDP、量の拡大、大きさのみに拘ってきた日本人にとって、質の高いクオリティ国家と言っても、概念も掴めなければ目的意識も乏しい。
どうするか、岐路に立っている。
まず、この問いについては、「21世紀は中国の時代にはならない」と否定している。
中国は、四千年に及ぶ歴史の中で、一度も民主主義国家になった事がないと言う壊滅的な弱点を持っており、中国が民主主義を採り入れない限り、21世紀は中国の世紀になることはない。
新型コロナの封じ込めは、中国のような独裁国家の得意とするところだが、中国は、文化大革命で教育システムを破壊し、大躍進政策では破壊的な経済的実験をして3500万人を餓死させるなどしており、歴史上、いいことだけをした独裁国家はない。
21世紀は、北米とヨーロッパとオーストラリア、そして、日本の時代になると思っている。と言うのである。
この最後の見解については、文化文明の分野ではともかく、既に薹が立ってしまって、経済的にも成熟して成長が鈍化していることを考えれば、これらの先進国が謳歌できる21世紀だとは、到底思えない。
今回のパンデミックについては、かなり慎重な見解を披露しているが、
コロナの感染拡大が収束したとしても、核兵器、気候変動、資源枯渇、格差の拡大など、これまで世界が体験したことのない史上初めての世界的規模、グローバルな崩壊のの危機に直面している。このパンデミックが共通の脅威だという認識で一致し、世界が一丸となって解決することが出来れば、気候変動や資源の枯渇などの問題も続けて解決するチャンスとなり、歴史から学ぶことで、これらの危機を乗り越える手立てを得られると信じている。と言う。
大野和基氏とのインタビュー記事なので、日本についての提言が興味深い。ダイアモンドの近著「危機と人類 上下」でも、この持論を展開しているのだが、日本人とはかなり視点が違っていて面白い。
日本では少子高齢化をマイナス要因と考えているが、ダイアモンドにとっては、利点であり、考え方によっては、プラス思考で解決できるという。
まず、人口減少だが、外国の資源に依存している日本にとっては、人口減は、必要とする資源が減るので、これは悪いことではなく、持続可能な経済は実現しやすくなるという。
高齢化については、問題は、日本の退職システムが悪いのであって、素晴らしい人的資源である高齢者を、そして、クリエィティビティが絶頂期を迎えている人を無理に引退させるのは、悲劇であって、働き続けるオプションがあるべきである。と言う。
私もこの点では異存がなく、傘寿の今、年輪を重ねた余得か、現役時代よりもっと有能に働けると思っており、その自信はある。
これが正論だとしても、風通し新陳代謝が大切で、突破口を塞いでいる特に政治や財界の老害を駆逐して、若いエネルギーをフル活用出来る経済社会を構築すべきであろうと思う。
当然としての提言は,移民の導入で、特に、自身の経験から、ヘルスケア・ワーカーとしてのフィリピン女性の活躍を語っている。
もう一つは、女性を家庭から解放しようと言うこと。
仕事を望む高齢者や移民、そして女性を労働市場に迎えれば、少子高齢化が進んでも、日本の経済力が大きく低下するはずはない。と言うのである。
面白いのは、日本が経済力を失って世界での存在感を失いつつあると言うのは日本人だけで、これは、欧米人に映る日本ではない。「非常に裕福な国」から単に「成功した国」に変ったと言うだけで,我々は日本が弱くなったとは全く思っていないので、悲観する必要はない。と言う指摘である。
この見解については、半分賛成、半分反対である。
GNPベースで考えたときには、この20年くらいは、年率500兆円プラスアルファ程度で推移していて、殆ど成長しておらず、中国や東南アジアの国々の経済発展と比較すると、目も当てられないほどの成長発展から見放された体たらく状態であり、実際にも、活力や国力も落ちている。
しかし、経済成長の殆どが、GDPと言う数字上のアップではなく質の向上に体現されていて、実態の経済社会の水準が改善・上昇し、全体として豊かになっており、思ったほど、日本経済社会の成長発展が止まっているように思えないと言う現実である。
これまでに、外部経済の存在や、生産消費者経済の進展など、GDPでは表現できない経済成長・発展や、何が人類にとっての幸せ指数になるのかなどを論じてきたが、経済政策の視点がGDP偏重だと、道を誤るという考え方も必要だと言うことである。
ダイアモンドが言うように、日本が経済成長から見放されて経済的に落ちぶれた国だと、欧米人が考えていないことは事実であろうし、日本の目指すべき道は那辺にあるのか、目的意識をしっかりと見据えて経済政策を打つ必要があろう。
しかし、膨大な国家債務を解消するためには、経済成長かハイパー・インフレか徳政令かetc.限られていて、GDPに拘らなければならないのが悲しい。
日本の目の前にある危機は、1854年の開国や1945年の敗戦に比べたら大したことはなく、以前やったように、時代に合わない価値観を捨て、新たな価値観を取り取り入れれば良いのであって、今日以上の深刻な危機を乗り切ってきたのであるから、後は、やるかやらないかだけだ。と言うことである。
先述のGDP論や日本論とも関係するのだが、日本が目指すべきは、量の拡大ではなく質の向上であって、大前研一の説く「クオリティ国家」への道の追求であろうことは論を待たない。
GDP、量の拡大、大きさのみに拘ってきた日本人にとって、質の高いクオリティ国家と言っても、概念も掴めなければ目的意識も乏しい。
どうするか、岐路に立っている。