1972年から74年までの2年間、私は、フィラデルフィア管弦楽団のメンバーチケットを持っていて、丸2年間、本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックに通って、フィラ管を聴き続けた。
ウォートン・スクールへの留学の時で、人事部長に、お前は音楽会に通うのでヨーロッパへの留学はダメだと釘を刺されて、アメリカになったのだが、どうしてどうして、ニューヨークに出かけて、METでオペラを、ブロードウェイでミュージカルを観に出かけたし、
それに、フィラデルフィアには、カーティス音楽院もある音楽の都で、小澤征爾とボストン響、マリア・カラス、フィシャー・ディスカウ、パバロッティは勿論、外来演奏家もひっきりなしで、随分、オペラやコンサートを楽しんできたのだが、MBAを取って帰ったのであるから、ご恩返しは出来たと思っている。
フィラデルフィアに落ち着いて、真っ先に行ったのは、この口絵写真の米国独立宣言の地・インディペンデンス・ホールで、当時は、この自由の鐘は、正面ホールの真ん中に置かれていた。
アメリカの歴史的な雰囲気をまず実感して、その足で、フィラデルフィア管弦楽団のチケットを手に入れたいと思って、アカデミー・オブ・ミュージックに向かった。
幸いなことに、丁度、キャンセルのチケットが出たところで、それも、9月からの新シーズンのメンバーチケットであった。
確か、AA111、オーケストラ・ストールの正面真ん中で、それも、前列の前から4~5列目で、ユージン・オーマンディの一挙手一投足が間近に見える席。
オーケストラは、左右と前列の弦楽セションと、後方の管楽器や打楽器奏者が見える程度で視界は遮られているが、あのストコフスキーのサウンドで培われて、更にオーマンディによって磨きを掛けられた天国からの音のように華麗で美しいフィラデルフィア・サウンドが、凄い迫力で迫ってくる幸運に恵まれたのである。
この劇場は、ミラノ・スカラ座を模して作られた米国最古の宝石箱のように美しい深紅のオペラ・ハウスで、この素晴らしい環境の中で、クラシック音楽を存分に楽しめたことは、大変幸せであった。
ところで、客席数は、2000を切っていると思うのだが、フィラデルフィア管弦楽団のメンバー・チケットは、極端に言えば、先祖と言うべきか、祖父母から孫へと、家代々引き継がれて継承されているので、その新規取得は、至難の技であって、このことは、アムステルダムに移って、ロイヤル・コンセルトヘボウのチケット取得の時にも経験したのだが、オーケストラそのものが、市民の誇りであって文化文明の至宝なので、メンバーであることが、音楽を楽しむと同時にステイタスシンボルでもあるのであろう。
この所為なのかどうかは分らないが、フィラデルフィア管弦楽団の観客の大半は、お年寄りなので驚いたのだが、この時は、私も若かったので、良く楽屋に出かけて、高名なソリストなどにレコードのジャケットにサインして貰っていたのだが、
オーマンディと客との面会を見ていると、もう、全く隣近所の知り合いと同じ和気藹々の交歓で微笑ましい。オーマンディに取っても楽団員にとっても、この本拠地でのコンサートは、何も特別なことではなくて、極日常的な出来事で、お馴染みさんに日頃の研鑽を披露して楽しんで貰おうと言った雰囲気である。
尤も、定期公演なので、オーマンディが振るのは半分くらいで、若き頃のリカルド・ムーティやウォルガンク・ザバリッシュなど著名な客演がメジロ押しであった。
(次の写真は、1900年から2000年までの100年間、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地であったアカデミー・オブ・ミュージックと、現在の本拠地「ヴェライゾン・ホール」のある建物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d7/55672b9ca8d0358fced8df51218db0ba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a3/b934259749188ec066cf8f6a6be9ead5.jpg)
オーマンディについては、色々な思い出があるのだが、中国遠征から持ち帰ってきたピアノ協奏曲「黄河」を演奏したことがあった。
この日、演奏会後に、楽屋に入って、友人が偶々カメラを持っていたので、オーマンディに一緒に写真を撮って貰えないか頼んだら、喜んで、ピアニストのエプスティンとその夫人(チェリストの岩崎洸 の義妹さん)を呼んで、写真におさまってくれた。
今日の演奏はどうだったかと聞いたので、美しいメロディで楽しかったと応えたら、これは、中国のオリジナルと一寸違うのだがと説明して、次はこれこれを演奏するので是非来てくれと言って握手をして分かれた。
大変な大曲を振った後でも、オーマンディは、何時もニコニコ顔の好々爺で、穏やかに静かにファンに対していたのを思い出す。控えめなアクションで、あのフィラデルフィア管弦楽団を、美しく時には激しく歌わせて、我々を感動させ続けていたのである。
もう一つ、オーマンディが、アメリカ屈指のソプラノ・ビバリー・シルスをソリストに招いて、素晴らしいオペラのアリアの夕べを公演したことがあった。
あまりにも感動的であったので、何故、オーマンディが、オペラを振らないのか不思議で仕方なかった。
相当昔に、METで、シュトラウスの「こうもり」を指揮したことがあると聞いたので、フィラデルフィアに居た時には、結構、METへも行っていたので、一度、オーマンディに聞いてみようと思いながら、残念ながら、聞きそびれてしまった。
私の2年間のフィラデルフィアの思い出は多々あるのだが、学び舎ウォートン・スクールでの厳しい学究生活と、楽しかったオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団の「フィラデルフィア・サウンド」、「オーマンディ・トーン」と称される美しいサウンドに尽きるような気がしている。
その後、ヨーロッパに移り住んで、ベルリンの壁の崩壊前後に、何度か、オーマンディの故郷ハンガリーの美しい都ブダペストのドナウ川の河畔に佇んで、思いを馳せた。
ウォートン・スクールへの留学の時で、人事部長に、お前は音楽会に通うのでヨーロッパへの留学はダメだと釘を刺されて、アメリカになったのだが、どうしてどうして、ニューヨークに出かけて、METでオペラを、ブロードウェイでミュージカルを観に出かけたし、
それに、フィラデルフィアには、カーティス音楽院もある音楽の都で、小澤征爾とボストン響、マリア・カラス、フィシャー・ディスカウ、パバロッティは勿論、外来演奏家もひっきりなしで、随分、オペラやコンサートを楽しんできたのだが、MBAを取って帰ったのであるから、ご恩返しは出来たと思っている。
フィラデルフィアに落ち着いて、真っ先に行ったのは、この口絵写真の米国独立宣言の地・インディペンデンス・ホールで、当時は、この自由の鐘は、正面ホールの真ん中に置かれていた。
アメリカの歴史的な雰囲気をまず実感して、その足で、フィラデルフィア管弦楽団のチケットを手に入れたいと思って、アカデミー・オブ・ミュージックに向かった。
幸いなことに、丁度、キャンセルのチケットが出たところで、それも、9月からの新シーズンのメンバーチケットであった。
確か、AA111、オーケストラ・ストールの正面真ん中で、それも、前列の前から4~5列目で、ユージン・オーマンディの一挙手一投足が間近に見える席。
オーケストラは、左右と前列の弦楽セションと、後方の管楽器や打楽器奏者が見える程度で視界は遮られているが、あのストコフスキーのサウンドで培われて、更にオーマンディによって磨きを掛けられた天国からの音のように華麗で美しいフィラデルフィア・サウンドが、凄い迫力で迫ってくる幸運に恵まれたのである。
この劇場は、ミラノ・スカラ座を模して作られた米国最古の宝石箱のように美しい深紅のオペラ・ハウスで、この素晴らしい環境の中で、クラシック音楽を存分に楽しめたことは、大変幸せであった。
ところで、客席数は、2000を切っていると思うのだが、フィラデルフィア管弦楽団のメンバー・チケットは、極端に言えば、先祖と言うべきか、祖父母から孫へと、家代々引き継がれて継承されているので、その新規取得は、至難の技であって、このことは、アムステルダムに移って、ロイヤル・コンセルトヘボウのチケット取得の時にも経験したのだが、オーケストラそのものが、市民の誇りであって文化文明の至宝なので、メンバーであることが、音楽を楽しむと同時にステイタスシンボルでもあるのであろう。
この所為なのかどうかは分らないが、フィラデルフィア管弦楽団の観客の大半は、お年寄りなので驚いたのだが、この時は、私も若かったので、良く楽屋に出かけて、高名なソリストなどにレコードのジャケットにサインして貰っていたのだが、
オーマンディと客との面会を見ていると、もう、全く隣近所の知り合いと同じ和気藹々の交歓で微笑ましい。オーマンディに取っても楽団員にとっても、この本拠地でのコンサートは、何も特別なことではなくて、極日常的な出来事で、お馴染みさんに日頃の研鑽を披露して楽しんで貰おうと言った雰囲気である。
尤も、定期公演なので、オーマンディが振るのは半分くらいで、若き頃のリカルド・ムーティやウォルガンク・ザバリッシュなど著名な客演がメジロ押しであった。
(次の写真は、1900年から2000年までの100年間、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地であったアカデミー・オブ・ミュージックと、現在の本拠地「ヴェライゾン・ホール」のある建物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d7/55672b9ca8d0358fced8df51218db0ba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a3/b934259749188ec066cf8f6a6be9ead5.jpg)
オーマンディについては、色々な思い出があるのだが、中国遠征から持ち帰ってきたピアノ協奏曲「黄河」を演奏したことがあった。
この日、演奏会後に、楽屋に入って、友人が偶々カメラを持っていたので、オーマンディに一緒に写真を撮って貰えないか頼んだら、喜んで、ピアニストのエプスティンとその夫人(チェリストの岩崎洸 の義妹さん)を呼んで、写真におさまってくれた。
今日の演奏はどうだったかと聞いたので、美しいメロディで楽しかったと応えたら、これは、中国のオリジナルと一寸違うのだがと説明して、次はこれこれを演奏するので是非来てくれと言って握手をして分かれた。
大変な大曲を振った後でも、オーマンディは、何時もニコニコ顔の好々爺で、穏やかに静かにファンに対していたのを思い出す。控えめなアクションで、あのフィラデルフィア管弦楽団を、美しく時には激しく歌わせて、我々を感動させ続けていたのである。
もう一つ、オーマンディが、アメリカ屈指のソプラノ・ビバリー・シルスをソリストに招いて、素晴らしいオペラのアリアの夕べを公演したことがあった。
あまりにも感動的であったので、何故、オーマンディが、オペラを振らないのか不思議で仕方なかった。
相当昔に、METで、シュトラウスの「こうもり」を指揮したことがあると聞いたので、フィラデルフィアに居た時には、結構、METへも行っていたので、一度、オーマンディに聞いてみようと思いながら、残念ながら、聞きそびれてしまった。
私の2年間のフィラデルフィアの思い出は多々あるのだが、学び舎ウォートン・スクールでの厳しい学究生活と、楽しかったオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団の「フィラデルフィア・サウンド」、「オーマンディ・トーン」と称される美しいサウンドに尽きるような気がしている。
その後、ヨーロッパに移り住んで、ベルリンの壁の崩壊前後に、何度か、オーマンディの故郷ハンガリーの美しい都ブダペストのドナウ川の河畔に佇んで、思いを馳せた。