近所の公園や学校などのソメイヨシノは、まだ、蕾が固かったのだが、咲き始めると、わが庭の椿は、毎日のように新しい花を開く。
今日は、ジュリア・バーと天賜(てんし)。
ジュリア・バーは、千葉から持ち込んだが、天賜は、大きくなったので、千葉の庭に残してきたので、鎌倉に来てから新しく買った椿だが、私にとっては、両方とも、古くからの愛好椿である。
ジュリア・バーは、フランス生まれで、ピンク地に白の混じった八重咲きの大輪の派手な椿である。
やはり、バラ好きのフランス趣味であろうか。
しかし、椿姫の椿は、安達瞳子さんによると、アルバ・フィレ、乙女椿だという。一寸、イメージが違っていて興味深い。




天賜は、ロンドンから帰ってからすぐに、近所の小さな園芸店で買った椿で、清楚なピンク地に、花弁の底に向かうにつれて少しずつ白くなって行くグラディエーションに魅力を感じたのである。
最近では、大きなガーデニングセンターが主体だが、昔には、園芸好き花木好きの街角の小さな園芸店の主人がいて蘊蓄を傾けて花を売っていたが、そんな懐かしい牧歌的な世界が消えてしまって実に寂しい。
8年間、ヨーロッパ生活で留守をして帰ってきたその春に、待ってくれていたかのように、わが庭に綺麗に咲いたピンクの乙女椿に感激して、椿栽培を始めた。この時、同時に植えた崑崙黒と共に思いで深い椿なのである。




嬉しいことに、かなり、大きく育っていた挿し木苗のエレガンス・シュプリームが、はじめて、一気に花を開いた。
まだ、咲き始めなので、全体の雰囲気はつかめないが、親木より、成長が早いようである。
尤も、親木は、陽当たりに恵まれない半坪庭に植えてあるので、それは、それなりに存在感があって大切に育てている。


下草に、ハナニラやシャガが咲き出した。
何の手入れもしないのだが、毎年律儀に咲き続けてくれる。


ウクライナの戦場にも、戦火を免れた草花が、春を待って咲き乱れているのだろうと思うと、胸が痛い。
ヨーロッパを歩いていて、季節の到来を待って路傍に咲き乱れる草花や花木に感動した思い出が蘇り、無性に懐かしい。
生きとし生けるものの崇高な息吹に感動できない邪悪な人々が、この21世紀に存在するとは思えない空しさ。
わが庭の花々も、地続きでウクライナの花々と呼吸を共にしているはず、無事を祈っている。
今日は、ジュリア・バーと天賜(てんし)。
ジュリア・バーは、千葉から持ち込んだが、天賜は、大きくなったので、千葉の庭に残してきたので、鎌倉に来てから新しく買った椿だが、私にとっては、両方とも、古くからの愛好椿である。
ジュリア・バーは、フランス生まれで、ピンク地に白の混じった八重咲きの大輪の派手な椿である。
やはり、バラ好きのフランス趣味であろうか。
しかし、椿姫の椿は、安達瞳子さんによると、アルバ・フィレ、乙女椿だという。一寸、イメージが違っていて興味深い。




天賜は、ロンドンから帰ってからすぐに、近所の小さな園芸店で買った椿で、清楚なピンク地に、花弁の底に向かうにつれて少しずつ白くなって行くグラディエーションに魅力を感じたのである。
最近では、大きなガーデニングセンターが主体だが、昔には、園芸好き花木好きの街角の小さな園芸店の主人がいて蘊蓄を傾けて花を売っていたが、そんな懐かしい牧歌的な世界が消えてしまって実に寂しい。
8年間、ヨーロッパ生活で留守をして帰ってきたその春に、待ってくれていたかのように、わが庭に綺麗に咲いたピンクの乙女椿に感激して、椿栽培を始めた。この時、同時に植えた崑崙黒と共に思いで深い椿なのである。




嬉しいことに、かなり、大きく育っていた挿し木苗のエレガンス・シュプリームが、はじめて、一気に花を開いた。
まだ、咲き始めなので、全体の雰囲気はつかめないが、親木より、成長が早いようである。
尤も、親木は、陽当たりに恵まれない半坪庭に植えてあるので、それは、それなりに存在感があって大切に育てている。


下草に、ハナニラやシャガが咲き出した。
何の手入れもしないのだが、毎年律儀に咲き続けてくれる。


ウクライナの戦場にも、戦火を免れた草花が、春を待って咲き乱れているのだろうと思うと、胸が痛い。
ヨーロッパを歩いていて、季節の到来を待って路傍に咲き乱れる草花や花木に感動した思い出が蘇り、無性に懐かしい。
生きとし生けるものの崇高な息吹に感動できない邪悪な人々が、この21世紀に存在するとは思えない空しさ。
わが庭の花々も、地続きでウクライナの花々と呼吸を共にしているはず、無事を祈っている。