熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

キエフ:レジスタンスとしての音楽

2022年03月11日 | 政治・経済・社会
   ワシントンポストが、Music as resistance: Kyiv’s orchestra plays onThe Kyiv-Classic Symphony Orchestra’s musicians remaining in Kyiv have tried to stay ready until they could play together again. That day arrived this week.を、口絵の写真など数枚の演奏風景写真を添えて報じた。
   NHKのニュース番組でも、ベートーヴェンの第九の歓喜の歌の演奏と共に放映されていたのでお馴染みである。
   残留の寄せ集め楽団なので、楽器が揃わず、ブラスバンド風のサウンドが涙を誘う。

   第二次世界大戦後、長い間東西交流が閉鎖されていたベルリンの壁が崩壊した直後、確かベルリンの国会議事度前の広場で、チェルビダッケ指揮するベルリンフィルが演奏した劇的なシーンを思い出した。四国の鳴門で、ドイツ人捕虜たちが、第九を演奏したのも、これに似た感動であろう。

   さて、このキエフクラシック交響楽団による野外コンサートの会場は、キエフの中央広場のマイダンで、2014年に親モスクワ大統領を追放し、ウクライナの西側へと政治的方向づけをした象徴的な革命の中心であり、まさに、反抗を象徴したMusic as resistanceであった。厚いコートとジャケットに身を包んだミュージシャンは、戦争が第3週に入り、ミサイルや爆弾が落下するという絶え間ない脅威にもかかわらず、氷点下で、この全国的に放映された25分間のコンサートを屋外で演奏した。キエフの中心部でオープンエアーで、このコンサートを開催することを恐れていないことを全世界に示し、音楽を通してウクライナ人の強さを示した。と言うのである。

   午後1時過ぎに、殆どがキエフを退避したので、残った20人のミュージシャンが、バイオリン、フルート、クラリネット、その他のクラシック楽器を持って広場に集まり、指揮者マカレンコがタクトを振った。コンサートは、高揚するウクライナの作曲から始まった。指揮者がタクトを素早く振ってウクライナの国歌を奏すると人々は旗を振った。続いて、ベートーベンの「歓喜の歌」、そして、ウクライナで最も有名な作曲家の1人であるコンスタンティン・ダンケビッチのバラード「リレヤ」を演奏した。
   約100人の聴衆が集まり、そのほとんどがフレークベストを着てカメラと電話を持ったジャーナリストで、その中には約25人のウクライナ人がおり、国の青と黄色の旗を握っていた。市内中心部とその周辺での爆発がひっきりなしで、ウクライナ人の殆どが、オープンエリアでの生活を避けている激戦下でのコンサートである。

   世界の他の地域での過去の戦争においてと同様に、音楽と詩は戦いと切っても切れない関係で、ウクライナでは、兵員募集、喪失を慰め恐怖を和らげ、愛国心を喚起してかき立てるために使用されている。従軍聖職者は、空爆の危険下での説教中に賛美歌を歌い、兵士の葬式では、牧師がメロディックな祈りを捧げる。ソーシャルメディアでは、バイラルビデオに、ウクライナの民謡をヒップホップのビートに合わせて歌うウクライナの兵士や、リヴィウの駅で「What a Wonderful World」を歌う心に響く若い女性の歌声が流れている。と言う。

   今日のテレビニュースで、ニューヨークで公演中のロシアのバレエ団が、ロシア人もウクライナ人も日本人もいる民族混交の団体で反戦に一致団結しているので、芸術に国境はないと、公演を続けている模様を放映していた。
   ところで、先のキエフの楽団は、チャイコフスキーを演奏するのかと聞かれた時、ウクライナの音楽を演奏したいのだと、やんわりとイナシテイタのが印象的であった。

   さて、定期公演のチケットを持っていて、2年間、コロナで行けなかった都響の新年度の年間予約を更改した。
   4月から始まるのだが、是非、行きたいと思っている。

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