
7月10日、この日は、13時からグローブ座で「冬物語」、15時からロイヤル・オペラで「オテロ」と重ねてブッキングしてしまった。
残念だが仕方ないので、最初にグローブ座に出かけて「冬物語」を1幕観て、休憩時間にタクシーでコベントガーデンに向かうことにした。
この日は、地下鉄も落着いていたので、サザックで下りて、川岸に向かって歩いたが、元々南岸は下町で繁華ではないが、休日なので人通りが殆どない。
このグローブ座は、正面は細い路地に東面していているが、北側の河に面した通用口から入る人が多い。建物の外には小さな広場があって、すぐ、劇場に入れる。
一階のサークル状の桟敷席と平土間へはゲートをくぐれば直接入れるが、上階には細い螺旋状の階段を上がらなければならない。
3演目の内、「ペリグリーズ」は余裕があったが、この『冬物語』は、2階の横席しか空いておらず、「テンペスト」は売り切れてチケットが予約できなかった。
入り口に立っているスチュワードは殆ど老嬢だが、珍しく可愛い若い女性が立っていた。そこから入場しようと思って、チケットを出したが、慌てたわけではないけれど、誤ってオテロの切符を出してしまった。
申し訳なさそうに「これは、ロイヤル・オペラの・・」と言いかけたので気付いて、「休憩は何時ごろか。」と聞いてみた。
「2時半頃で、終演は4時ごろの予定です。」と言う。
階段を2階に上がろうとした時、オテロのチケットを見ていたので気がついたのであろう、彼女が追っかけてきて、「何時でも、お好きな時に退場できますので、お気遣いのないように。」と言ってにっこり微笑んだ。
このグローブ座だが、前身の「白鳥座」を描いたオランダ人学生デ・ウイットのスケッチを元に出来上がっている。当然だが、殆どそっくりであるが、徳川家康が江戸幕府を開いた時期と全く同じ頃なのに、殆ど当時の劇場の資料が残っていないのが驚きである。
もっとも、シェイクスピア自身についても残っている資料が殆どなくて、オックスフォード卿だとかベイコンだとか言われていて、定説のストラトフォード・アポン・エイボンのシェイクスピアなのかどうかも分からない。
残っているシェイクスピアの署名が、ストラトフォードの出生登記簿と綴りが違うのである。
どっちでも良いと思うのだが、シェイクスピアの戯曲自身も、多くの文芸作品から発想を得ており、公演の過程でドンドン変わってきているし、兎に角、シェイクスピアと言う偉大な劇作家のお陰で、このような素晴らしい演劇を楽しむことが出来るのである。
私は、エイドリアン・ノーブル演出のRSCの「冬物語」を、ロンドンと東京で2回見ている。視覚的にも美しい楽しい舞台であった。
しかし、今回のこのグローブ座の公演は、まさに、エリザベス朝時代のオープンエアー劇場の典型的な舞台で、殆ど、何の舞台装置も小道具もなく、役者の語りと舞台衣装のみでシェイクスピアを演じている。シェイクスピアを聴く、と言う世界である。
それに、冒頭から、着飾ったミュージシャンにより伴奏音楽が奏される何とも優雅な舞台で、今回は中座して残念ながら見られなかったが、16年の歳月を経て彫像から生きた人間に変わって動き出す王妃ハーマイオニへの伴奏音楽は如何ばかりであったか、と思った。
RACやRNSの正統派シェイクスピア劇は、素晴らしい近代的劇場で演じられており、舞台装置や照明等、進んだ芸術技術によってシェイクスピア時代になかった演出法で遥かに豊かな舞台が展開できる。
しかし、果たして、台詞と語りだけで勝負していたシェイクスピアの時代から進歩と言えるのであろうか。
冒頭から、王妃ハーマイオニの不貞を疑い始めてドンドン凶暴化して行くボヘミア王ポリクシニーズを、TVでも活躍のピーター・フォーブスが、陰影のある演技で舞台を圧倒。
私は、ハーマイオニのヨランダ・ヴェラスケスを注視していたが、実に優雅で芯の強い悲劇の王妃を演じており、王に食って掛かって抗議する廷臣の妻ポーリーナを演じるペネロープ・ビューモントとともに、ベテラン女性陣の活躍を観ていて楽しかった。
私は、最後のボヘミアの海岸に置き去りにされた赤ん坊王女パーディタを拾い上げる老羊飼いと息子・道化が出てくる所で、客席を離れた。
前半の壮絶な心理劇より、若いパーディタの青春やハーマイオニの復活など後半の方が物語性があって面白いので残念だったが、後ろ髪を曳かれる思いでグローブ座を出たのである。
(追記)2年前に、ロンドンに来た時には、RACは、サウスバンクの故地オールド・ヴィック劇場で、「ウインザーの陽気な女房たち」を公演していて、楽しませて貰った。
しかし、今年は、ロンドンでの公演がなく、ストラトフォードまで行けなかったので、結局、RSCの舞台は諦めた。
私の在英中は、バービカン劇場がRSCのロンドン・ベースで、大小劇場2本立てで公演していたのだが。
また、ロイヤル・ナショナル・シアターでのシェイクスピア劇も公演計画がなかった。
結局、夏季は、グローブ座に客を取られて、RSCもRNSも公演できなくなったと言うことであろうか。
残念だが仕方ないので、最初にグローブ座に出かけて「冬物語」を1幕観て、休憩時間にタクシーでコベントガーデンに向かうことにした。
この日は、地下鉄も落着いていたので、サザックで下りて、川岸に向かって歩いたが、元々南岸は下町で繁華ではないが、休日なので人通りが殆どない。
このグローブ座は、正面は細い路地に東面していているが、北側の河に面した通用口から入る人が多い。建物の外には小さな広場があって、すぐ、劇場に入れる。
一階のサークル状の桟敷席と平土間へはゲートをくぐれば直接入れるが、上階には細い螺旋状の階段を上がらなければならない。
3演目の内、「ペリグリーズ」は余裕があったが、この『冬物語』は、2階の横席しか空いておらず、「テンペスト」は売り切れてチケットが予約できなかった。
入り口に立っているスチュワードは殆ど老嬢だが、珍しく可愛い若い女性が立っていた。そこから入場しようと思って、チケットを出したが、慌てたわけではないけれど、誤ってオテロの切符を出してしまった。
申し訳なさそうに「これは、ロイヤル・オペラの・・」と言いかけたので気付いて、「休憩は何時ごろか。」と聞いてみた。
「2時半頃で、終演は4時ごろの予定です。」と言う。
階段を2階に上がろうとした時、オテロのチケットを見ていたので気がついたのであろう、彼女が追っかけてきて、「何時でも、お好きな時に退場できますので、お気遣いのないように。」と言ってにっこり微笑んだ。
このグローブ座だが、前身の「白鳥座」を描いたオランダ人学生デ・ウイットのスケッチを元に出来上がっている。当然だが、殆どそっくりであるが、徳川家康が江戸幕府を開いた時期と全く同じ頃なのに、殆ど当時の劇場の資料が残っていないのが驚きである。
もっとも、シェイクスピア自身についても残っている資料が殆どなくて、オックスフォード卿だとかベイコンだとか言われていて、定説のストラトフォード・アポン・エイボンのシェイクスピアなのかどうかも分からない。
残っているシェイクスピアの署名が、ストラトフォードの出生登記簿と綴りが違うのである。
どっちでも良いと思うのだが、シェイクスピアの戯曲自身も、多くの文芸作品から発想を得ており、公演の過程でドンドン変わってきているし、兎に角、シェイクスピアと言う偉大な劇作家のお陰で、このような素晴らしい演劇を楽しむことが出来るのである。
私は、エイドリアン・ノーブル演出のRSCの「冬物語」を、ロンドンと東京で2回見ている。視覚的にも美しい楽しい舞台であった。
しかし、今回のこのグローブ座の公演は、まさに、エリザベス朝時代のオープンエアー劇場の典型的な舞台で、殆ど、何の舞台装置も小道具もなく、役者の語りと舞台衣装のみでシェイクスピアを演じている。シェイクスピアを聴く、と言う世界である。
それに、冒頭から、着飾ったミュージシャンにより伴奏音楽が奏される何とも優雅な舞台で、今回は中座して残念ながら見られなかったが、16年の歳月を経て彫像から生きた人間に変わって動き出す王妃ハーマイオニへの伴奏音楽は如何ばかりであったか、と思った。
RACやRNSの正統派シェイクスピア劇は、素晴らしい近代的劇場で演じられており、舞台装置や照明等、進んだ芸術技術によってシェイクスピア時代になかった演出法で遥かに豊かな舞台が展開できる。
しかし、果たして、台詞と語りだけで勝負していたシェイクスピアの時代から進歩と言えるのであろうか。
冒頭から、王妃ハーマイオニの不貞を疑い始めてドンドン凶暴化して行くボヘミア王ポリクシニーズを、TVでも活躍のピーター・フォーブスが、陰影のある演技で舞台を圧倒。
私は、ハーマイオニのヨランダ・ヴェラスケスを注視していたが、実に優雅で芯の強い悲劇の王妃を演じており、王に食って掛かって抗議する廷臣の妻ポーリーナを演じるペネロープ・ビューモントとともに、ベテラン女性陣の活躍を観ていて楽しかった。
私は、最後のボヘミアの海岸に置き去りにされた赤ん坊王女パーディタを拾い上げる老羊飼いと息子・道化が出てくる所で、客席を離れた。
前半の壮絶な心理劇より、若いパーディタの青春やハーマイオニの復活など後半の方が物語性があって面白いので残念だったが、後ろ髪を曳かれる思いでグローブ座を出たのである。
(追記)2年前に、ロンドンに来た時には、RACは、サウスバンクの故地オールド・ヴィック劇場で、「ウインザーの陽気な女房たち」を公演していて、楽しませて貰った。
しかし、今年は、ロンドンでの公演がなく、ストラトフォードまで行けなかったので、結局、RSCの舞台は諦めた。
私の在英中は、バービカン劇場がRSCのロンドン・ベースで、大小劇場2本立てで公演していたのだが。
また、ロイヤル・ナショナル・シアターでのシェイクスピア劇も公演計画がなかった。
結局、夏季は、グローブ座に客を取られて、RSCもRNSも公演できなくなったと言うことであろうか。