
ロイヤル・オペラでシェイクスピア・オペラを鑑賞できるのは、私にとっては2重の喜びである。
シェイクスピアをテーマにしたオペラはいくらかある。
しかし、リア王にも挑戦したと言われており、あの晩年の「ファルスタッフ(ウインザーの陽気な女房たち)」の他に、「オテロ」と「マクベス」を作曲するなど、オペラ作曲家としてまともにシェイクスピアと対峙したのはヴェルディだけである。
晩年のヴェルディが、何故、2つの悲劇とは全く違った、陽気で不埒なファルスタッフに挑戦したのか不思議であるが、ヘンリー4世を観て、ファルスタッフを主人公に恋の戯曲を所望したエリザベス女王と同じ心境であったのであろうか。
ファルスタッフは、シェイクスピア劇で観ても、オペラで観ても,そして、野村万作の狂言で観ても実に楽しい。
ウイーン国立歌劇場で見た、大詰めの幻想的な夜の森の情景が、なんとも懐かしいが、オールド・ビックで見た背広を着たRACのファルスタッフも面白かった。
ところで、ヴェルディの「オテロ」であるが、何回か鑑賞の機会があったが、オテロとデズデモーナとヤーゴの3人が揃わないと面白くない。オテロはプラシド・ドミンゴだが、デズデモーナは別なソプラノが歌っているDVDが何種類か出ていて、その選択が興味深い。
映画も数点あって夫々楽しませてくれるが、色々な演出や映像で比較しながら見て楽しむのもシェイクスピア鑑賞の醍醐味である。
余談だが、イギリス演劇界では、オテロは、カラードの役者がやることになっていて白人役者はダメなんだと、偉大なシェイクスピア役者サー・アントニー(シャー)に直接聞いた事がある。
これを聞いたのは、マクベスでRSCと来日した時だが、次の「オテロ」で来た時には、やはり、オテロではなく個性的なヤーゴを演じて主役オテロを食っていた。
最近観た「オテロ」は、リカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座の来日公演で、2回出かけた。
ベルディ没後100年記念に上演された「オテロ」バージョンで、タイトル・ロールは、ドミンゴから変わっていたが、それなりに楽しい舞台であった。
私にとって忘れられない「オテロ」は、10年以上も前に、この同じロイヤル・オペラで観たプラシド・ドミンゴの舞台。ゲオルグ・ショルティ指揮、デズデモーナはキリ・テ・カナワ、ヤーゴはライフェルカスであった。
自縄自縛ドンドン深みに入り込み苦悩するオテロをドミンゴは鮮烈に演じていたし、円熟に達していたはずのキリ・テ・カナワの実に初々しいデズデモーナ、それに、淡々と演じながら凄みを利かせるライフェルカスのヤーゴ、それに、パーティで見た疲れ切っていたはずのショルティのエネルギッシュな指揮。今でも、ビデオになったこの舞台を楽しんでいる。
所で、今回の「オテロ」、兎に角、聴く機会のなかったルネ・フレミングのデズデモーナを聴きたかった。
チケットが取れないときには立ち見でも入ろうと思っていた。
幸い手に入った席は、U6で平土間席の左最後部で、私たちがロンドン在住時代に持っていたシーズンメンバー席のすぐ側で懐かしかったし、遮るものなく存分に楽しめた。
指揮は主席指揮者アントニオ・パパーノ、オテロはイギリスの名テノール・ベン・ヘプナー、ヤーゴはルチオ・ガロ、エミリアはクリスチン・ライス。
アメリカの白人ソプラノには個性的な歌手が多いが、今回のルネ・フレミングのように、実に声量豊かに朗朗と響く美しい歌声に接したことがなかったので、最初から最後まで圧倒されながら聴いていた。
渋い落着いた舞台と演技を抑制した歌手達の動きが実に爽やかで、徐々に悲劇性を増して行く大詰めに雪崩を打った様に突き進む。
小休止のようにデズデモーナが歌う正に白鳥の歌・「柳の歌」が胸を打つ。これだけでも、ルネ・フレミングを聴きに来た甲斐があったと思った。
オペラ終演後、ヴィラール・フローラル・ホール(オペラハウス2階の広間)で、ルネ・フレミングが、自身のCD,DVD,著書にサインをすると言う。
私は、若かった所為も有り、以前にバービカン・ホールで、ヴァイオリンのムターにCDにサインを貰ったことがあるし、フィラデルフィアでは、楽屋に行って、オーマンディやメニューインのサインを貰ったことがある。
今回は、折角のチャンスで、ルネ・フレミングの新著が出版されて読もうと思っていた時でもあったので、整理券を貰って列に並んだ。
熱心なファンが多い。大半は、中年以降だが、私のように熟年の紳士一人だけで並んでいる人も結構いる。
整理券には、Renee Fleming Signing, Sunday 10 July 2005 7.00 pm と書いてあり、1持間ほど待たされたであろうか、列が動き出した。
大きな部屋の奥に、DVDのパネルやポスターをバックに、イスに座ったフレミングが一人一人に丁寧にサインをしている。
私の番になり、名前を聞きサインしてくれたので、ついでにプログラムにもお願いした。
素晴らしい舞台だった。オテロのデズデモーナは大変好きな役だと言ったら、満面に笑みを浮かべてサンキューサンキューと言ってくれた。
気のいいアメリカ婦人の一面が覗き見えて嬉しかった。
まだ、夕暮れには程遠い道をピカデリー方向に歩いたが、丁度途中にクラシックで小奇麗なパブがあったので入り込み、ルネ・フレミングの本(THE INNER VOICE Notes from a life on stage)を読み始めた。
シェイクスピアをテーマにしたオペラはいくらかある。
しかし、リア王にも挑戦したと言われており、あの晩年の「ファルスタッフ(ウインザーの陽気な女房たち)」の他に、「オテロ」と「マクベス」を作曲するなど、オペラ作曲家としてまともにシェイクスピアと対峙したのはヴェルディだけである。
晩年のヴェルディが、何故、2つの悲劇とは全く違った、陽気で不埒なファルスタッフに挑戦したのか不思議であるが、ヘンリー4世を観て、ファルスタッフを主人公に恋の戯曲を所望したエリザベス女王と同じ心境であったのであろうか。
ファルスタッフは、シェイクスピア劇で観ても、オペラで観ても,そして、野村万作の狂言で観ても実に楽しい。
ウイーン国立歌劇場で見た、大詰めの幻想的な夜の森の情景が、なんとも懐かしいが、オールド・ビックで見た背広を着たRACのファルスタッフも面白かった。
ところで、ヴェルディの「オテロ」であるが、何回か鑑賞の機会があったが、オテロとデズデモーナとヤーゴの3人が揃わないと面白くない。オテロはプラシド・ドミンゴだが、デズデモーナは別なソプラノが歌っているDVDが何種類か出ていて、その選択が興味深い。
映画も数点あって夫々楽しませてくれるが、色々な演出や映像で比較しながら見て楽しむのもシェイクスピア鑑賞の醍醐味である。
余談だが、イギリス演劇界では、オテロは、カラードの役者がやることになっていて白人役者はダメなんだと、偉大なシェイクスピア役者サー・アントニー(シャー)に直接聞いた事がある。
これを聞いたのは、マクベスでRSCと来日した時だが、次の「オテロ」で来た時には、やはり、オテロではなく個性的なヤーゴを演じて主役オテロを食っていた。
最近観た「オテロ」は、リカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座の来日公演で、2回出かけた。
ベルディ没後100年記念に上演された「オテロ」バージョンで、タイトル・ロールは、ドミンゴから変わっていたが、それなりに楽しい舞台であった。
私にとって忘れられない「オテロ」は、10年以上も前に、この同じロイヤル・オペラで観たプラシド・ドミンゴの舞台。ゲオルグ・ショルティ指揮、デズデモーナはキリ・テ・カナワ、ヤーゴはライフェルカスであった。
自縄自縛ドンドン深みに入り込み苦悩するオテロをドミンゴは鮮烈に演じていたし、円熟に達していたはずのキリ・テ・カナワの実に初々しいデズデモーナ、それに、淡々と演じながら凄みを利かせるライフェルカスのヤーゴ、それに、パーティで見た疲れ切っていたはずのショルティのエネルギッシュな指揮。今でも、ビデオになったこの舞台を楽しんでいる。
所で、今回の「オテロ」、兎に角、聴く機会のなかったルネ・フレミングのデズデモーナを聴きたかった。
チケットが取れないときには立ち見でも入ろうと思っていた。
幸い手に入った席は、U6で平土間席の左最後部で、私たちがロンドン在住時代に持っていたシーズンメンバー席のすぐ側で懐かしかったし、遮るものなく存分に楽しめた。
指揮は主席指揮者アントニオ・パパーノ、オテロはイギリスの名テノール・ベン・ヘプナー、ヤーゴはルチオ・ガロ、エミリアはクリスチン・ライス。
アメリカの白人ソプラノには個性的な歌手が多いが、今回のルネ・フレミングのように、実に声量豊かに朗朗と響く美しい歌声に接したことがなかったので、最初から最後まで圧倒されながら聴いていた。
渋い落着いた舞台と演技を抑制した歌手達の動きが実に爽やかで、徐々に悲劇性を増して行く大詰めに雪崩を打った様に突き進む。
小休止のようにデズデモーナが歌う正に白鳥の歌・「柳の歌」が胸を打つ。これだけでも、ルネ・フレミングを聴きに来た甲斐があったと思った。
オペラ終演後、ヴィラール・フローラル・ホール(オペラハウス2階の広間)で、ルネ・フレミングが、自身のCD,DVD,著書にサインをすると言う。
私は、若かった所為も有り、以前にバービカン・ホールで、ヴァイオリンのムターにCDにサインを貰ったことがあるし、フィラデルフィアでは、楽屋に行って、オーマンディやメニューインのサインを貰ったことがある。
今回は、折角のチャンスで、ルネ・フレミングの新著が出版されて読もうと思っていた時でもあったので、整理券を貰って列に並んだ。
熱心なファンが多い。大半は、中年以降だが、私のように熟年の紳士一人だけで並んでいる人も結構いる。
整理券には、Renee Fleming Signing, Sunday 10 July 2005 7.00 pm と書いてあり、1持間ほど待たされたであろうか、列が動き出した。
大きな部屋の奥に、DVDのパネルやポスターをバックに、イスに座ったフレミングが一人一人に丁寧にサインをしている。
私の番になり、名前を聞きサインしてくれたので、ついでにプログラムにもお願いした。
素晴らしい舞台だった。オテロのデズデモーナは大変好きな役だと言ったら、満面に笑みを浮かべてサンキューサンキューと言ってくれた。
気のいいアメリカ婦人の一面が覗き見えて嬉しかった。
まだ、夕暮れには程遠い道をピカデリー方向に歩いたが、丁度途中にクラシックで小奇麗なパブがあったので入り込み、ルネ・フレミングの本(THE INNER VOICE Notes from a life on stage)を読み始めた。