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街の中心にとって返してハイストリートを進むと、角に古い旅籠ギャリック・インとアメリカのハーバード大学を創立したジョン・ハーバードの母親キャサリン・ロジャースが住んでいたハーバード・ハウスが、昔そのままの優雅なファサードを誇示するが如く寄り添って立っている。三階建ての白壁の太い木組みの美しい建物で、上階に行くほど道に張り出している。ハーバード・ハウスは、柱と梁に優雅な彫刻が施されており、ギャリック・インは、蛙股の柱が面白い。二階床の張り出した梁から、溢れるばかりの色とりどりに花を満載したフラワー・ハンギングが下がっており、一階の金属で黒く縁取られた格子窓に映えている。道路を隔てて向かい側に、壁にシェイクスピア像を嵌め込んだ石造りの市庁舎の建物が建っているのだが、チューダー朝の木組みの街並みには不調和である。
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さらに直進してチャペル通りに入ると、左手にシェイクスピア・ホテル、右手を少し進むとファルコン・ホテルがあり、チューダー朝のファサードとフラワー・ハンギングが目を楽しませてくれる。両方とも間口が広くて広がっているので街並みのシックリト溶け込んでいる。
イギリスの場合、個々の建物毎に建築許可が下りるので、街並みは二の次で、どうしても、建物そのものが個性を主張することとなって、都市計画がしっかりしていて街並みが統一されているフランスとは違って、美しいと言えば、その不調和の鬩ぎ合いが醸し出す造形美であろうか。
ファルコン・ホテルの向かい側に、シェイクスピアが晩年を過ごした家の跡地ニュー・プレースがある。跡地というのは、18世紀になて、この家の主人になった弁護士が、来訪者の多さに音を上げて取り壊してしまって現存しないからである。基礎と井戸が残っているだけだが、しかし、跡地にある庭はグレート・ガーデンと称されるほど大きく、常緑樹の生け垣で縁取りされた内部は、イングリッシュ・ガーデンになって、市民の憩いの場となっている。木の間から、スワン座の半円形の屋根がよく見える。
このニュー・プレースに接して、シェイクスピアの孫娘エリザベスが住んでいたナッシュ・ハウスが建っている。前世紀には、モルタル作りの味気ない建物に成っていたのを、トラストが買い取って、木組みの古風なファサードに変え、二階をストラトフォードの歴史博物館にした。建物の構造はそのままだが、オリジナルのファサードの記録がなかったので、建物の正面は創造で設計されたという。一階は、当時の家具や調度がセットされ、当時の民家の雰囲気が現出されているが、内部はそれなりに美しく、堅実な生活ぶりが忍ばれる。
ニュー・プレースの向かいに、道を隔ててギルド・チャペルがある。その裏が、二階建てのギルド・ホールとグラマー・スクールがある。16世紀のシェイクスピア時代の建物なので、床や天井がでこぼこで、屋根や垂木の線が大きく波を打っている。この建物の中で、シェイクスピアは、勉強をしたり、祈祷に耳を傾けたり、ロンドンからの役者たちの演劇を楽しんだりしながら、生長していったのであろう。シェイクスピアが13歳頃までは、父親も町の名士で羽振りも良く豊かな生活をしていたようだが、その父の破産で父の記録がなくなり、それから町を離れるまでの消息が分からなくなる。
このギルド・チャペルのあたりは、シェイクスピア時代の建物が多く残っていて、今にも、子供時代のシェイクスピアが飛出してきても不思議ではない雰囲気である。ロンドンの劇団から離れて、ストラトフォードに隠棲してからは、ニュー・プレースの家から、チャペル横を通って、今の劇場を通り抜けてエイボン川にに出て、森の中を散策したのかも知れない、などと考えながら街を歩いていると楽しい。あれほど、花の都ロンドンで活躍したシェイクスピアが、老いと闘いながら、どのような余生をここで過ごしたのか大変興味深い。シェイクスピアが住んでいた頃のストラトフォードは、200軒ほどの小さな静かな村であった。今でも、歩けばほんの10分くらいで街外れに出てしまう、そんな小さな、しかし偉大な街である。
この記事は、30年前の記録だが、昨年、ケネス・ブラナー監督主演の映画「シェイクスピアの庭」をレビューした。ケネス・ブラナー悲願のプロジェクト 不朽の名作を生み出した文豪シェイクスピアの晩年、すなわち、故郷ストラトフォードでの最後の人生ををついに映画化した作品だが、非常に興味深い。
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(追記)当時のデジタル写真の記録がないので、ハンギング・フラワー写真は、カンタベリーで撮った写真を代用している。
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さらに直進してチャペル通りに入ると、左手にシェイクスピア・ホテル、右手を少し進むとファルコン・ホテルがあり、チューダー朝のファサードとフラワー・ハンギングが目を楽しませてくれる。両方とも間口が広くて広がっているので街並みのシックリト溶け込んでいる。
イギリスの場合、個々の建物毎に建築許可が下りるので、街並みは二の次で、どうしても、建物そのものが個性を主張することとなって、都市計画がしっかりしていて街並みが統一されているフランスとは違って、美しいと言えば、その不調和の鬩ぎ合いが醸し出す造形美であろうか。
ファルコン・ホテルの向かい側に、シェイクスピアが晩年を過ごした家の跡地ニュー・プレースがある。跡地というのは、18世紀になて、この家の主人になった弁護士が、来訪者の多さに音を上げて取り壊してしまって現存しないからである。基礎と井戸が残っているだけだが、しかし、跡地にある庭はグレート・ガーデンと称されるほど大きく、常緑樹の生け垣で縁取りされた内部は、イングリッシュ・ガーデンになって、市民の憩いの場となっている。木の間から、スワン座の半円形の屋根がよく見える。
このニュー・プレースに接して、シェイクスピアの孫娘エリザベスが住んでいたナッシュ・ハウスが建っている。前世紀には、モルタル作りの味気ない建物に成っていたのを、トラストが買い取って、木組みの古風なファサードに変え、二階をストラトフォードの歴史博物館にした。建物の構造はそのままだが、オリジナルのファサードの記録がなかったので、建物の正面は創造で設計されたという。一階は、当時の家具や調度がセットされ、当時の民家の雰囲気が現出されているが、内部はそれなりに美しく、堅実な生活ぶりが忍ばれる。
ニュー・プレースの向かいに、道を隔ててギルド・チャペルがある。その裏が、二階建てのギルド・ホールとグラマー・スクールがある。16世紀のシェイクスピア時代の建物なので、床や天井がでこぼこで、屋根や垂木の線が大きく波を打っている。この建物の中で、シェイクスピアは、勉強をしたり、祈祷に耳を傾けたり、ロンドンからの役者たちの演劇を楽しんだりしながら、生長していったのであろう。シェイクスピアが13歳頃までは、父親も町の名士で羽振りも良く豊かな生活をしていたようだが、その父の破産で父の記録がなくなり、それから町を離れるまでの消息が分からなくなる。
このギルド・チャペルのあたりは、シェイクスピア時代の建物が多く残っていて、今にも、子供時代のシェイクスピアが飛出してきても不思議ではない雰囲気である。ロンドンの劇団から離れて、ストラトフォードに隠棲してからは、ニュー・プレースの家から、チャペル横を通って、今の劇場を通り抜けてエイボン川にに出て、森の中を散策したのかも知れない、などと考えながら街を歩いていると楽しい。あれほど、花の都ロンドンで活躍したシェイクスピアが、老いと闘いながら、どのような余生をここで過ごしたのか大変興味深い。シェイクスピアが住んでいた頃のストラトフォードは、200軒ほどの小さな静かな村であった。今でも、歩けばほんの10分くらいで街外れに出てしまう、そんな小さな、しかし偉大な街である。
この記事は、30年前の記録だが、昨年、ケネス・ブラナー監督主演の映画「シェイクスピアの庭」をレビューした。ケネス・ブラナー悲願のプロジェクト 不朽の名作を生み出した文豪シェイクスピアの晩年、すなわち、故郷ストラトフォードでの最後の人生ををついに映画化した作品だが、非常に興味深い。
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(追記)当時のデジタル写真の記録がないので、ハンギング・フラワー写真は、カンタベリーで撮った写真を代用している。