熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ストラトフォードのシェイクスピア旅(7)RSCのじゃじゃ馬ならし

2023年09月10日 | 30年前のシェイクスピア旅
   さて、今夜鑑賞するのは「じゃじゃ馬ならし」、人気の高い喜劇で、
   強情で手の付けられないほどのお転婆じゃじゃ馬娘のキャタリーナは、嫌われ者なので嫁のもらい手がない。ところが、ペトルーチオという豪傑が街にやって来て、持参金に魅力を感じて嫁にして、徹底的に調教して、何でも言うことを聞く素直で貞淑な妻に変貌させると言う話である。尤も、シェイクスピアのことであるから、それ程単純な話ではなく、冒頭、鋳掛屋のスライを欺して貴族に仕立てて、枠物語としてはじまる芝居にしたり、キャタリーナの妹で「理想的な」女性のビアンカをめぐる求婚者たちの争いを描くなど、サブストーリーも込み入っていて面白く、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンが主演した1967年の映画版『じゃじゃ馬ならし』も記憶にある。

   開演までに時間があったので、ロイヤル・シェイクスピア劇場のボックスオフィスに、チケットを取りに出かけた。窓口は2つあり、その1つの窓口嬢に、予約に使ったダイナースカードを渡すと、チケットの入った茶封筒の束から一通を引き出して、今夜と明日の夜のチケットですねと念をおして渡してくれた。今夜は「じゃじゃ馬ならし」で、明日は「ロメオとジュリエット」、スーパーシートで間違いない。チケットはコンピュータ打ちの10センチ四方の簡単なものだが、裏に印刷されている広告が面白い。ケンブリッジ大学プレスのもので、シェイクスピアが20歳の時からの印刷出版と銘打ってその歴史を強調して、台本、解説書、評論などのシリーズものを、劇場の売店で販売しているという宣伝である。

   何時もなら、2階のボックス・ツリー・レストランに行って夕食を取るのだが、昼にロンドンで、マイクとヘビーなランチを取ったので、劇場がはねてから軽い軽食を取ることにして、部屋に帰った。こんな場合には、劇場直近のホテルが便利で、オペラを観るときには、ウィーン国立歌劇場の裏手にあるザッハーに泊まっていた。部屋でゆっくりとプログラムを読んで、開演少し前に劇場に出かけた。席は、ストール(平土間)のほぼ中央の真ん中のL13,土間の傾斜がかかってすこし高くなった所で、丁度舞台がよく見える。前に特別背の高い人が来なければ最高の席である。

   ロンドンのRSCのシェイクスピア劇場であるバービカン劇場には、上下に引かれるガラスのカーテンがあるのだが、この大劇場には幕などはなくて舞台はそのままで、劇場の照明が暗くなるとドラマが始まる。劇によっては、準備の段階から役者が舞台に上がり、作業者の中に交じり込み、演技をしているのかしていないのか分からないうちに本番に入ることもある。
   元々、シェイクスピアの時代には、カーテンなどなかったしセットも貧弱で、青天井の野外劇場で芝居をしていた。今のように、素晴しい照明やセットでの芝居など今昔の観で、太陽が燦々と照りつける舞台で、漆黒の闇にハムレットの父王の亡霊が登場し、オテロのあの恐ろしい夜の暗殺シーンが演じられるのであるから、役者の話術と演技だけで観客に納得させなければならなかった。シェイクスピア戯曲は観るのではなくて聴くと言う由縁である。いずれにしろ、シェイクスピア劇は、短時間で舞台がポンポン変るので、その度に幕を引いたりセットを転換していては芝居にならない。

   これまでに、一度、ロンドンのバービカンで、RSCのじゃじゃ馬ならしを観ている。この演出は、比較的クラシカルで、イタリアのパデュアを舞台にしたという雰囲気が濃厚だったが、今回のオーストラリアの女流演出家ゲイル・エドワードの演出は、モダンでカラフルで、過去の伝統にはあまり囚われていない感じであった。例えば、ルセンシオとタミーノの乗る馬は、スクータ紛いのオートバイで、ペトルーチオとキャタリーナの乗る馬は、真っ赤なクラシックカーと言った調子である。エイドリアン・ノーブルのように比較的視覚を重視する演出で、現代感覚を重視し、登場人物の個性を強調する演出で、二人の良き主役を得たこともあって、何本もある副主題も上手く整理して面白い舞台を作り上げていた。
   視覚的で美しいのは、冒頭からで、スライと妻が諍い絡み合いながら登場する場面で、稲光で間欠的に照らしだす印象的なシーン。このスライが欺されて伯爵に祭り上げられる枠芝居は、大幅に省略されて象徴的となりすぐに本舞台に入った。ペトルーチオの婚礼の衣装は、破れ鎧ではなく、烏が孔雀のように極彩色の鳥の羽を飾り立てた派手な格好で、ウエディング・ドレスのキャタリーナとチグハグ、先入観が邪魔して一寸違和感。
   この演出では、主役の二人に比べて、ルセンシオとビアンカの影が少し薄い。面白いのは、じゃじゃ馬のキャタリーナと比べて理想的な女性である筈のビアンカが、必ずしも美しくて素晴しい女性としてではなく、可愛いが、一寸はすっぱな軽い感じに描かれていて、何故、3人もの崇拝者が彼女を競うのか、ピントがずれてしまう。しかし、じゃじゃ馬のキャタリーナに焦点を当てるためには、この演出でも趣向が変って面白かったのかも知れない。
   
   じゃじゃ馬キャタリーナのジェシー・ローレンスは、RSCデビューだが、結構キャリアーのある女優で、非常に安定した個性派で、この舞台では、ただのじゃじゃ馬ではなく、何か威厳というか誇りさえ感じさせる演技をしていて、調教されて良い女に成ったのではなく元々の淑女だったのだという雰囲気で興味深かった。ペトルーチオのマイケル・シベリーは大ベテランで畳みかけるような演技で歯切れが良い。この二人の大人の演技がずば抜けているので、後の役者は自由に泳いでいる感じで面白い。ご主人に成りすましたトラーニオのイカレポンチ風の演技が秀逸であり、ビアンカにモーションを掛ける求婚者たちのコミカルな演技も面白い。
   この演出のテキストは、本来のものとは違って、作者不詳の版を使用しているので、スライが最後にも登場する。キャタリーナが、素晴しい妻としての義務を説く幕切れで、照明が暗くなり始めると、ペトルーチオがキャタリーナの前に跪き倒れると、元のスライに戻り、領主の衣装を剥ぎ取られて元の場所に置き去りにされる。劇中劇だったというのは分かるのだが、何故、その劇が、じゃじゃ馬ならしだったのか。

    時差ボケで眠くて苦しいところもあったが、久しぶりに愉しませて貰った。
    気持ちよい夜風に吹かれてホテルとは反対に、電光に映えてぼんやりと輝いているストラトフォードの街に向かった。開いているのは、レストランとバーとパブだけ。エイボン河畔のパブに入って、何時もなら、ギネスの黒ビールなのだが、英国ビールは常温ばかりなので、冷たいハイネッケンにした。
    やっと、イギリスに来て、旅情を感じた。
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