熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ストラトフォードのシェイクスピア旅(8)ストラトフォードの街を歩く-1

2023年09月16日 | 30年前のシェイクスピア旅
   ホテルで重いイングリッシュ・ブレックファストを取って、カメラを片手に街に出ることにした。
   欧米での旅では、昼食は何処で取れるか、真面なレストランに入ると時間のロスだし場所探しも難しいし、重量級の英国風朝食を取れば、昼は、適当なファーストフードで済ませられるので重宝なのである。

   まず、ホテルのすぐ前にはRCAのスワン座、
   大劇場のロイヤル・シェイクスピア劇場は、1932年に建てられた記念劇場だが、このスワン座の方は歴史が古く、1879年に建てられたが、1932年に火災で焼けたので、1979年に内部をエリザベス朝時代の劇場の複製を目指して大改造された。ジャコビアン・スタイルのエプロン・ステージとギャラリー形式の座席がそれで、東京のグローブ座がこれに近い。舞台が劇場中央に大きく迫り出し、それを三方で囲い込むように数列の座席が並び、その上部にギャラリー席が重なっている。総べて木製で、その内部造形が美しい。外装のファサードも凝っていて、ビクトリア朝の華麗な雰囲気を醸し出していて、中々素晴しい劇場である。以前に演目は忘れたが2回ほどここで観劇しており、大劇場ではなくこぢんまりした芝居小屋風の臨場感溢れる舞台に魅せられている。この日、「テンペスト」の公演があったのだが、大劇場のアドリアン・ノーブル演出の「ロミオとジュリエット」を観たくて、涙を飲んだ。エントランスの左手に、昔のままの真っ赤なポストと電話ボックスが並んでいて素晴しい点景となっている。
   

   劇場の前のバンクロフト公園を横切って、エイボン川に架かったトラムウエイ橋を渡って対岸に出た。河畔の柳越しに、祈念大劇場とスワン座の丸屋根が水面に映えて美しい。今回英国に来てからずっと素晴しい快晴で、川面の浮かぶ白い小舟や白鳥が目に痛い。エイボン川越し遠くに、シェイクスピアの墓があるホーリー・トリニティ教会が見える。公園の角に、ゴワー記念碑が建っていて、シェイクスピアの座像を真ん中にして、四隅に戯曲の代表的な登場人物、ハムレット、マクベス夫人、ファルスタッフ、ハル王子の銅像が取り巻いている。各々イメージ通りの姿で、シェイクスピアは劇場を背にして座っている。

   ブリッジ通りを経て、ヘンリー通りに面したシェイクスピアの生家に向かった。このあたりでは、この家だけが古い現存家屋である。彼が、手袋商人として成功して郡長にまでなったジョン・シェイクスピアと郷士の娘メアリー・アーデンとの間の長男として生まれた家で、「世界最高の天才で最も名誉ある記念碑」と言われており、世界のシェイクスピア・ファンの神聖なる聖地でもある。チューダー朝のかなり大きな民家で、19世紀半ばに描かれたこの家の絵と比較すると、当時は、相当くたびれていた感じで、補修が繰り返されてきている。しかし、柱、梁、筋交いなどは絵と全く同じなので、出入り口や窓などが多少変更された程度である。
   この生家へは、1981年に完成したシェイクスピア・バース・プレイス・トラストの建物から入る。コンクリートの近代建築で、全く周りとの調和を欠いたアグリーな建物だが、BBCで放映されたシェイクスピア・ドラマに使用された衣装等が展示されていて、中々興味深い。生家の中は、出来るだけシェイクスピア当時の面影を残しているようで、フッとシェイクスピアが飛出してきても不思議ではない。裏庭は、比較的広くて、イングリッシュ・ガーデン風に草花が咲き乱れている。シェイクスピア戯曲に出てくる花や木々が植えられていて、彼の描いた自然が、イギリスのものであることが分かる。
   シェイクスピアが、この家に住んでいたのは子供の頃で、父親の事業が傾いた13歳までは、何不自由なく、この家からグラマー・スクールに通っていた。世界最高の劇作家を生んだ揺籃の地がこの生家なのである。
   
   
   
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