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10月16日(日) 東京芸術劇場コンサートホール でのコンサート、
指揮/トーマス・ダウスゴー
チェロ/宮田 大
曲 目 ランゴー:交響曲第4番《落葉》
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op.129
ニールセン:交響曲第4番 op.29《不滅》
ランゴーもニールセンもデンマークの作曲家で、100年前の近代音楽で、始めて聴く曲である。
オランダに居た時に、コンセルトへボーのシーズンメンバーチケットを3シリーズ持っていて、そのうちの1つが、近代および現代音楽だったのだが、中々ついて行けずに、しばしば、敬遠して行かなかったことがあった。
今回のプログラムで馴染みのあるのは、シューマンのチェロ協奏曲だけである。
最近では、大分慣れてきて拒否反応をしなくなったが、ウィーン・フィルやベルリン・フィルやと言って目の色を変えてクラシック音楽のコンサートに半世紀以上も通っていても、私には、まだまだ、近代音楽は遠い存在なのである。
さて、ニールセンの第4番op.29は《Det Uudslukkelige=消しがたきもの(不滅)》という標題をもつ作品で、この標題は、作曲家によると「偉大な芸術のみならず、人間の魂も滅ぼし得ないものであること」を強調するために付されたものだという。
初演は1916年2月1日、コペンハーゲンで、1914年6月28日のサラエヴォ事件に端を発した第一次世界大戦(1914~18)の影響は、中立国であったデンマークにも及んでおり、人々は隣国ドイツの脅威に怯えながら、不安の中で日々を過ごしていた。そのような情勢下で、《不滅》のタイトルを持つ力強い生命力の漲る交響曲が作曲、発表されたことの意味は、当時のデンマークの人々にとってとりわけ大きかったことだろう。
と言うことであるから、まさに、ロシアに侵攻されて蹂躙されている戦下のウクライナ国民の思いで、聴こうと思って出かけた。
バルト三国、ポーランド国民の思いも同じであろう。
東京芸術劇場の観客席は、普段と変っていなかったが、私の臨席はお休みであったので、何となく、現代曲を嫌っての空席が増えていたかも知れない。
しかし、実際に聴いてみると、「不滅」など殆ど違和感なく、高揚したクライマックスの終曲など実に感動的である。
難しい音楽談義は無理なので、語れないが、興味深かったのは楽器の配置で、今回特に活躍した木管が中央後方に2列に横並び、金管は、第二ヴァイオリンの後ろのひな壇に列んだホルン以外の金管がその後ろに列び、
その後ろ、舞台中央最後方のティンパニーと、舞台右手最後方、ビオラの後ろのティンパニーの掛け合いは圧倒的であった。
キーウかオデッサのオペラハウスで、演奏できれば、ウクライナの国威発揚に必ず貢献するはずである。
宮田大のチェロの音色は、何故、あれほどまでに温かくて芳醇なのか、
アンコールで、ユーモレスクを挟んだ赤とんぼを演奏した、感激であった。
指揮/トーマス・ダウスゴー
チェロ/宮田 大
曲 目 ランゴー:交響曲第4番《落葉》
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op.129
ニールセン:交響曲第4番 op.29《不滅》
ランゴーもニールセンもデンマークの作曲家で、100年前の近代音楽で、始めて聴く曲である。
オランダに居た時に、コンセルトへボーのシーズンメンバーチケットを3シリーズ持っていて、そのうちの1つが、近代および現代音楽だったのだが、中々ついて行けずに、しばしば、敬遠して行かなかったことがあった。
今回のプログラムで馴染みのあるのは、シューマンのチェロ協奏曲だけである。
最近では、大分慣れてきて拒否反応をしなくなったが、ウィーン・フィルやベルリン・フィルやと言って目の色を変えてクラシック音楽のコンサートに半世紀以上も通っていても、私には、まだまだ、近代音楽は遠い存在なのである。
さて、ニールセンの第4番op.29は《Det Uudslukkelige=消しがたきもの(不滅)》という標題をもつ作品で、この標題は、作曲家によると「偉大な芸術のみならず、人間の魂も滅ぼし得ないものであること」を強調するために付されたものだという。
初演は1916年2月1日、コペンハーゲンで、1914年6月28日のサラエヴォ事件に端を発した第一次世界大戦(1914~18)の影響は、中立国であったデンマークにも及んでおり、人々は隣国ドイツの脅威に怯えながら、不安の中で日々を過ごしていた。そのような情勢下で、《不滅》のタイトルを持つ力強い生命力の漲る交響曲が作曲、発表されたことの意味は、当時のデンマークの人々にとってとりわけ大きかったことだろう。
と言うことであるから、まさに、ロシアに侵攻されて蹂躙されている戦下のウクライナ国民の思いで、聴こうと思って出かけた。
バルト三国、ポーランド国民の思いも同じであろう。
東京芸術劇場の観客席は、普段と変っていなかったが、私の臨席はお休みであったので、何となく、現代曲を嫌っての空席が増えていたかも知れない。
しかし、実際に聴いてみると、「不滅」など殆ど違和感なく、高揚したクライマックスの終曲など実に感動的である。
難しい音楽談義は無理なので、語れないが、興味深かったのは楽器の配置で、今回特に活躍した木管が中央後方に2列に横並び、金管は、第二ヴァイオリンの後ろのひな壇に列んだホルン以外の金管がその後ろに列び、
その後ろ、舞台中央最後方のティンパニーと、舞台右手最後方、ビオラの後ろのティンパニーの掛け合いは圧倒的であった。
キーウかオデッサのオペラハウスで、演奏できれば、ウクライナの国威発揚に必ず貢献するはずである。
宮田大のチェロの音色は、何故、あれほどまでに温かくて芳醇なのか、
アンコールで、ユーモレスクを挟んだ赤とんぼを演奏した、感激であった。