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入場が、15分遅れて、好演していた魁春の戸無瀬と児太郎の娘小浪の冒頭の艶姿をミスったのが残念であったが、次の九段目で、二人の素晴らしい舞台を観て満足した。
この九段目の「山科閑居の場」は、幸四郎の加古川本蔵が、座頭役者が演じる仮名手本忠臣蔵の舞台のなかでも最も重要な主役なのだが、この八段目と九段目は、小浪の力弥への嫁入が、メインテーマであって、言うならば、九段目は、代理戦争とも言うべき様相を呈した戸無瀬と由良之助妻お石(笑也)との女の闘いが、重要なサブテーマでもあるので、舞台を楽しめるのかどうかは、この三人の活躍が、非常に重要なのである。
この場では、戸無瀬の方が、お石よりも格上であろう、緋綸子の風格と格調の高さが求められており、前には、芝翫や藤十郎、玉三郎の舞台を観たが、今回は、これまで、お石の舞台を二回観た魁春が、演じていて、恐らく、芝翫や義父歌右衛門の艶姿の再現であろうか、素晴らしい戸無瀬で感動した。
この戸無瀬とお石の対決で、一番印象に残っているのは、玉三郎の戸無瀬と勘三郎のお石である。
小浪と力弥(錦之助)とは許婚関係であり、小浪がどうしても力弥に嫁ぎたいと切望するので義母である戸無瀬が小浪を伴い遠路はるばる山科を訪れて祝言させてくれと懇願するのだが、お石は、諂い武士の娘には、力弥に変って去ったとケンモホロロに拒絶して席を立つ。望み潰えて自害を決意した母娘の覚悟を知り、お石は祝言を許すのだが、引き出物として本蔵の首を所望する。
この男顔負けの、二人の熾烈な対決の凄まじさは格別だが、本蔵以上にサムライ魂を色濃く持った毅然たる態度ながら、義理ゆえに揺れ動く女の悲しさに泣く戸無瀬を、玉三郎も、今回の魁春も、実に感動的に演じていた。
お石の場合には、本蔵憎しと一本調子で突き進めても、戸無瀬は、期待に胸を膨らませて小浪を力弥に娶せられるべく苦労して山科まで旅をして来たにも拘わらず、お石に冷たい仕打ちを受けて、追蹤武士の娘は嫁に要らぬと主人まで罵倒されて拒絶され、切羽詰まって自害しようと思ったら小浪に死ぬのは自分の方で殺してくれと哀願されて苦渋に泣きながら刀を振り上げれば、「ご無用」とお石に止められて、嫁入りは許されるが、本蔵の首を差し出せと最後通告。その上、本蔵が現れて、娘可愛さに、力弥の槍に倒れて、苦しい胸の内を吐露しながら死んでしまう。威厳と風格を保ちながらも、暗転する運命の悲惨を受けて立つ心の葛藤を演じ分けなければならなず、美しい絵になる舞台姿も維持しなければならない。
立女形が、挑戦し続けてきた大役なのである。
ここで、興味深いのは、由良之助(梅玉)の妻お石が、何故、あれ程、邪険に小浪の嫁入りを拒絶にして冷たく当たるのかと言うことだが、普通に考えれば、力弥は、決死の仇討に向かうのであるから、若後家になるのは必定であり、可哀そうだからと言うことになる。
しかし、関容子の「芸づくし忠臣蔵」によると、お石を演じた勘三郎が、「あれは、芯からいやなんだよ。殿を抱きしめた人の娘なんか、大星家は嫁に貰いたくないんだから。芯から拒絶している強さがなくちゃいけない。」と言っている。
「金銀を以て媚び諂う追蹤武士の禄を取る本蔵殿と、二君に仕えぬ由良之助が大事な子に、似合わぬ女房は持たせぬ」と言う訳である。
確かに、そう思うと、玉三郎の戸無瀬に対する勘三郎のお石は、情け容赦など微塵もなかったことを思い出した。
どう思って観るかは、観客の自由だが、本蔵が、娘の許嫁の主君である塩谷判官を抱きしめた理由を、腹に刀を突きたてたまま「相手死せずば切腹には及ぶまじ、抱き止めたは思い過ごし・・・」と本蔵が告白しており、本当は塩屋のためにと思った咄嗟の武士の情けがアダになったことになっている。
お石にしてみれば、本蔵は、高師直に賄賂を渡して怒りの矛先を若狭介から塩冶に向かわせて、その上、刃傷の邪魔をしてお家断絶に追いやった張本人であるから許せない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、小浪も受け入れられない。と言うことであろうか。
さて、お石を演じた笑也は、どう思って演じたのか、非常に毅然たる態度で偉丈夫とも言うべく、戸無瀬とは、一歩も引かぬ丁々発止の対決を披露していた。
澤瀉屋の看板女形、流石の好演で、素晴らしい。
さて、児太郎の小浪だが、以前に、父の福助の小浪を観たことがある。
記憶は、殆ど残っていないのだが、今回の児太郎の実に初々しく健気でかわいらしい小浪を観て、改めて、その進境の著しさに感動を覚えた。
このような素晴らしい娘なら、当然、この首を婿の力弥に差し出そうと槍を受けて瀕死の状態で、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心推量あれ由良殿」と、涙にむせ返りながら苦しい胸の内を吐露する本蔵の父親の気持ちが良く分かる。
本蔵が討たれる覚悟で、お石に悪態をつき、戸無瀬が心配して袖を引くと邪険に振り払うが、「力弥めがおおたわけ」と言って小浪が袖を引くと、「よいよい」と言って相好を崩して頷きながら応える優しそうな幸四郎の表情を観ながら、幸四郎と松たか子の本「父と娘の往復書簡」を思い出した。
娘可愛さのバカ親父になる気持ちは、私も二人の娘を持っているので良く分かる。
幸四郎の本蔵、梅玉の由良之助、錦之助の力弥の好演は、申すまでもないが、私にとっては、この九段目は、女忠臣蔵の舞台なのである。
由良助は、本蔵の深編笠や袈裟で虚無僧に変装して、討入りの用意に、摂津の堺の天川屋へ向かって旅立つ。
本蔵は、静かに絶命し、夫婦と認められた力弥と小浪は、一夜限りの夜を過ごして、翌日堺に向けて出立する。
愈々、高師直仇討のために、堺港から稲村ケ崎へと船出して行くのである。
ところで、国立劇場の通し狂言の良さは、九段目の冒頭の「雪転しの段」が演じられていることで、中々、七段目の雰囲気を継承していて風情があって良く、この雪だるまが、後半の、障子を開け、奥庭に置いた雪で作ったふたつの五輪塔を暗示させる。
一力女房お品が言っているが、祇園から山科までは遠くて、今のメトロならすぐだが、昔では、この舞台のようには、雪の山道を越えて一夜で越せる筈がなく、芝居の虚構としては、絵にはなっていて面白い。
さて、十段目の「天川屋義平内の場」だが、先日書いたように、義平が、大勢の取り手に囲まれながら、武器の入った長持ちに、どっかと胡坐をかいて、微動だにせず、「天河屋義平は男でござる」と大見得を切る見せ場までは、良いのだが、その後が、何故だが、一気にテンションがダウンして、「作として低調」「愚作」といわれているくらい評判が悪い。
浪士たちが、偽装して幕府の大勢の捕手となって現われ店に踏み込み、義平を捕らえようとし、その上義平の心をしかも子供を枷にしてわざわざ試そうとする魂胆。そのあと長持の中から、由良助が現れると言う筋書きであったようだが、流石に、国立劇場は、襖が開いて隣の部屋から登場と言うことになっていたが、由良助ではなく不破数右衛門をその代りとして出したこともあったと言う。
八百余役を演じてギネスブックに載った先代の勘三郎が、「あんなものやりたくもねえや、あんなもの」と大変な反発で面白かったと、関容子さんが書いている。
何は、ともあれ、歌六の義平と、高麗蔵の女房お園、丁稚伊吾の種之助は、好演していた。
十一段目は、高家表門討ち入りの場から、花水橋引揚げの場までの大詰めである。
普段とは違って、柴部屋本懐焼香の場での焼香シーンや、花水橋での浪士全員の名乗りなど、少しずつ付け加えられたり、バリエーションがつけられたりしていた。
広間や奥庭泉水の場の立回りは、それなりに面白い。
柴部屋本懐焼香の場では、浪士たちが、炭小屋に隠れていた師直(吹替えであるから白ける)を見つけ引き出して、笛を吹くと浪士が全員集合して、由良助が、判官の形見の腹切り刀を差し出し自害するよう師直に勧めるが、師直はその刀で由良助に突きかかってくるので、師直から刀をもぎ取り刺し殺す。そして、その首を討ち、由良助たちはついに本懐を遂げ勝どきをあげる。
この過程が、あまりにも、安易簡単に進み過ぎて、これまでの勘案辛苦が何であったのか、全く、感動を感じさせない程あっけないのである。
小林平八郎の松緑、寺岡平右衛門の錦之助、矢間重太郎の隼人など、好演していたが、いつも、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を観ていて、大詰めに近づくほど面白くなくなってくるのを、不思議に思っている。
尤も、現在の討ち入りの台本は、元の浄瑠璃の丸本バージョンと違って、河竹黙阿弥以降に改変されたものだと言うから、芝居の密度が一気にダウンしたのも、仕方がないのかも知れない。
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この九段目の「山科閑居の場」は、幸四郎の加古川本蔵が、座頭役者が演じる仮名手本忠臣蔵の舞台のなかでも最も重要な主役なのだが、この八段目と九段目は、小浪の力弥への嫁入が、メインテーマであって、言うならば、九段目は、代理戦争とも言うべき様相を呈した戸無瀬と由良之助妻お石(笑也)との女の闘いが、重要なサブテーマでもあるので、舞台を楽しめるのかどうかは、この三人の活躍が、非常に重要なのである。
この場では、戸無瀬の方が、お石よりも格上であろう、緋綸子の風格と格調の高さが求められており、前には、芝翫や藤十郎、玉三郎の舞台を観たが、今回は、これまで、お石の舞台を二回観た魁春が、演じていて、恐らく、芝翫や義父歌右衛門の艶姿の再現であろうか、素晴らしい戸無瀬で感動した。
この戸無瀬とお石の対決で、一番印象に残っているのは、玉三郎の戸無瀬と勘三郎のお石である。
小浪と力弥(錦之助)とは許婚関係であり、小浪がどうしても力弥に嫁ぎたいと切望するので義母である戸無瀬が小浪を伴い遠路はるばる山科を訪れて祝言させてくれと懇願するのだが、お石は、諂い武士の娘には、力弥に変って去ったとケンモホロロに拒絶して席を立つ。望み潰えて自害を決意した母娘の覚悟を知り、お石は祝言を許すのだが、引き出物として本蔵の首を所望する。
この男顔負けの、二人の熾烈な対決の凄まじさは格別だが、本蔵以上にサムライ魂を色濃く持った毅然たる態度ながら、義理ゆえに揺れ動く女の悲しさに泣く戸無瀬を、玉三郎も、今回の魁春も、実に感動的に演じていた。
お石の場合には、本蔵憎しと一本調子で突き進めても、戸無瀬は、期待に胸を膨らませて小浪を力弥に娶せられるべく苦労して山科まで旅をして来たにも拘わらず、お石に冷たい仕打ちを受けて、追蹤武士の娘は嫁に要らぬと主人まで罵倒されて拒絶され、切羽詰まって自害しようと思ったら小浪に死ぬのは自分の方で殺してくれと哀願されて苦渋に泣きながら刀を振り上げれば、「ご無用」とお石に止められて、嫁入りは許されるが、本蔵の首を差し出せと最後通告。その上、本蔵が現れて、娘可愛さに、力弥の槍に倒れて、苦しい胸の内を吐露しながら死んでしまう。威厳と風格を保ちながらも、暗転する運命の悲惨を受けて立つ心の葛藤を演じ分けなければならなず、美しい絵になる舞台姿も維持しなければならない。
立女形が、挑戦し続けてきた大役なのである。
ここで、興味深いのは、由良之助(梅玉)の妻お石が、何故、あれ程、邪険に小浪の嫁入りを拒絶にして冷たく当たるのかと言うことだが、普通に考えれば、力弥は、決死の仇討に向かうのであるから、若後家になるのは必定であり、可哀そうだからと言うことになる。
しかし、関容子の「芸づくし忠臣蔵」によると、お石を演じた勘三郎が、「あれは、芯からいやなんだよ。殿を抱きしめた人の娘なんか、大星家は嫁に貰いたくないんだから。芯から拒絶している強さがなくちゃいけない。」と言っている。
「金銀を以て媚び諂う追蹤武士の禄を取る本蔵殿と、二君に仕えぬ由良之助が大事な子に、似合わぬ女房は持たせぬ」と言う訳である。
確かに、そう思うと、玉三郎の戸無瀬に対する勘三郎のお石は、情け容赦など微塵もなかったことを思い出した。
どう思って観るかは、観客の自由だが、本蔵が、娘の許嫁の主君である塩谷判官を抱きしめた理由を、腹に刀を突きたてたまま「相手死せずば切腹には及ぶまじ、抱き止めたは思い過ごし・・・」と本蔵が告白しており、本当は塩屋のためにと思った咄嗟の武士の情けがアダになったことになっている。
お石にしてみれば、本蔵は、高師直に賄賂を渡して怒りの矛先を若狭介から塩冶に向かわせて、その上、刃傷の邪魔をしてお家断絶に追いやった張本人であるから許せない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、小浪も受け入れられない。と言うことであろうか。
さて、お石を演じた笑也は、どう思って演じたのか、非常に毅然たる態度で偉丈夫とも言うべく、戸無瀬とは、一歩も引かぬ丁々発止の対決を披露していた。
澤瀉屋の看板女形、流石の好演で、素晴らしい。
さて、児太郎の小浪だが、以前に、父の福助の小浪を観たことがある。
記憶は、殆ど残っていないのだが、今回の児太郎の実に初々しく健気でかわいらしい小浪を観て、改めて、その進境の著しさに感動を覚えた。
このような素晴らしい娘なら、当然、この首を婿の力弥に差し出そうと槍を受けて瀕死の状態で、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心推量あれ由良殿」と、涙にむせ返りながら苦しい胸の内を吐露する本蔵の父親の気持ちが良く分かる。
本蔵が討たれる覚悟で、お石に悪態をつき、戸無瀬が心配して袖を引くと邪険に振り払うが、「力弥めがおおたわけ」と言って小浪が袖を引くと、「よいよい」と言って相好を崩して頷きながら応える優しそうな幸四郎の表情を観ながら、幸四郎と松たか子の本「父と娘の往復書簡」を思い出した。
娘可愛さのバカ親父になる気持ちは、私も二人の娘を持っているので良く分かる。
幸四郎の本蔵、梅玉の由良之助、錦之助の力弥の好演は、申すまでもないが、私にとっては、この九段目は、女忠臣蔵の舞台なのである。
由良助は、本蔵の深編笠や袈裟で虚無僧に変装して、討入りの用意に、摂津の堺の天川屋へ向かって旅立つ。
本蔵は、静かに絶命し、夫婦と認められた力弥と小浪は、一夜限りの夜を過ごして、翌日堺に向けて出立する。
愈々、高師直仇討のために、堺港から稲村ケ崎へと船出して行くのである。
ところで、国立劇場の通し狂言の良さは、九段目の冒頭の「雪転しの段」が演じられていることで、中々、七段目の雰囲気を継承していて風情があって良く、この雪だるまが、後半の、障子を開け、奥庭に置いた雪で作ったふたつの五輪塔を暗示させる。
一力女房お品が言っているが、祇園から山科までは遠くて、今のメトロならすぐだが、昔では、この舞台のようには、雪の山道を越えて一夜で越せる筈がなく、芝居の虚構としては、絵にはなっていて面白い。
さて、十段目の「天川屋義平内の場」だが、先日書いたように、義平が、大勢の取り手に囲まれながら、武器の入った長持ちに、どっかと胡坐をかいて、微動だにせず、「天河屋義平は男でござる」と大見得を切る見せ場までは、良いのだが、その後が、何故だが、一気にテンションがダウンして、「作として低調」「愚作」といわれているくらい評判が悪い。
浪士たちが、偽装して幕府の大勢の捕手となって現われ店に踏み込み、義平を捕らえようとし、その上義平の心をしかも子供を枷にしてわざわざ試そうとする魂胆。そのあと長持の中から、由良助が現れると言う筋書きであったようだが、流石に、国立劇場は、襖が開いて隣の部屋から登場と言うことになっていたが、由良助ではなく不破数右衛門をその代りとして出したこともあったと言う。
八百余役を演じてギネスブックに載った先代の勘三郎が、「あんなものやりたくもねえや、あんなもの」と大変な反発で面白かったと、関容子さんが書いている。
何は、ともあれ、歌六の義平と、高麗蔵の女房お園、丁稚伊吾の種之助は、好演していた。
十一段目は、高家表門討ち入りの場から、花水橋引揚げの場までの大詰めである。
普段とは違って、柴部屋本懐焼香の場での焼香シーンや、花水橋での浪士全員の名乗りなど、少しずつ付け加えられたり、バリエーションがつけられたりしていた。
広間や奥庭泉水の場の立回りは、それなりに面白い。
柴部屋本懐焼香の場では、浪士たちが、炭小屋に隠れていた師直(吹替えであるから白ける)を見つけ引き出して、笛を吹くと浪士が全員集合して、由良助が、判官の形見の腹切り刀を差し出し自害するよう師直に勧めるが、師直はその刀で由良助に突きかかってくるので、師直から刀をもぎ取り刺し殺す。そして、その首を討ち、由良助たちはついに本懐を遂げ勝どきをあげる。
この過程が、あまりにも、安易簡単に進み過ぎて、これまでの勘案辛苦が何であったのか、全く、感動を感じさせない程あっけないのである。
小林平八郎の松緑、寺岡平右衛門の錦之助、矢間重太郎の隼人など、好演していたが、いつも、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を観ていて、大詰めに近づくほど面白くなくなってくるのを、不思議に思っている。
尤も、現在の討ち入りの台本は、元の浄瑠璃の丸本バージョンと違って、河竹黙阿弥以降に改変されたものだと言うから、芝居の密度が一気にダウンしたのも、仕方がないのかも知れない。
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